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第二十四話  第一次世界大戦勃発

 統合士官大学校には様々な課程がある。統合参謀課程が必須である以外は陸海沿岸の個別課程や統合指揮等に分かれる。

 俺は統合参謀と統合指揮を選んだ。


 この二つは他より教育期間が短い。陸海沿岸の個別課程は、統合参謀とプラスで三年に及ぶが統合課程だけなら二年で終わる。

 そもそも俺は沿岸警備隊の特別乗り組隊だから、個別の課程はあまり必要性はない。統合課程を終えて、統合特別司令部行きの資格さえあれば良いのだ。


 大正三(1914)年時点での日本軍は、統合参謀部の指揮下に陸海沿岸の三組織があった。そして、海賊対処の為に昨年まで陸海の特殊作戦部隊を指揮する統合特別司令部が存在した。

 今は朝鮮情勢が落ち着いているから解散しているが、そろそろ第一次世界大戦なので、統合司令部が様々に立ち上がるだろう。



 そんな風に呑気に考えていた六月二十八日、サラエボ事件が起きた。


 もう少し後じゃなかったか?記憶違いか。

何れにしろ、起きたのである。

 たかだか一小国に対する大国による制裁に過ぎないはずなのだが、主役はサラエボ事件の当事国ではなく、その後ろの別の国だったとは・・・


 七月に入ると日を追う毎に事態は悪化していく、気が付けばいつ開戦してもおかしくない状況になっていたわけだ。

 八月に入るととうとう戦争が始まった。


 日本にとって最大の問題は英国にある戦艦だった。

 八月四日、英国がドイツに宣戦布告すると、日本の去就が問題となる。

 日本は即日、ドイツに宣戦布告することで戦艦土佐、加賀、戦闘巡洋艦金剛、比叡の接収や拘禁を回避するしかなかった。

 議会では欧州へ送る艦隊と中国大陸や太平洋のドイツ軍への二正面作戦が問題になった。


 まさか、英国にある四隻をそのまま英国艦隊に編入される訳にはいかない。独自の艦隊として動けるように艦隊の派遣が必要だったが、悲しいかな、日本には余裕がなかった。

 結局、英国にある四隻は艦隊派遣が整うまで待機となった。


 日本はまず、青島攻略を英国と共同で行うことになり、二ヶ月の準備を経て、十月に攻略を完遂した。


 さて、その間の欧州戦線だが、フランスに攻めこんだドイツ軍は、パリを目前にし、手薄なフランス軍を破ることには成功したが、それ以上先へ進む力は残っていなかった。

 ドイツ軍は、戦闘に勝ちながら、補給の欠乏のために撤退して行き、塹壕戦へと突入してしまう。

この直接の原因は東部戦線にあった。


 ドイツ軍はロシアの動員には時間がかかると見てまずフランスに攻めこんだ訳だが、ロシア軍は一週間もせずに準備の整った軍勢で東プロイセンに進攻した。

 この予定外の戦いに兵力を拘束され、ロシア軍の進攻を止めることは出来たものの、それ以上の対応は難しかった。この為、パリに迫りながら、後退するしか方法がなかった。


 後にフランスでは、戦争終盤に登場した動力馬車(自動車)がこの時に存在すれば、よりマシな戦いが出来たと言われたが、内燃機関が未発達だったこの世界では仕方ない。

 欧州における内燃機関の普及は、この後の塹壕戦での補給手段としてであった。


 大正三(1914)年はこうして欧州での戦線が膠着した状態で年を越すことになった。


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