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第二十三話   沿岸警備隊

 コロンビア号事件から二年もすると、海賊の活動は嘘のように沈静化した。


 日露協約によって朝鮮半島へのロシア軍(ただし、沿岸警備目的)の配備が認められた事も大きい。


 この為、日本では警備艦隊を朝鮮半島に集中的に配備する体制から全土への均等化が行われることになったのは既に述べたが、これは一つの問題を抱えることになった。


 これまでは一つの地域に集中していたから、「警備艦隊」として受け入れられていたが、千島列島から台湾に至る各地に数隻から十数隻単位で疎らに配備するとなると、それまでの指揮系統では無理が生じることになった。


 かといって、他の艦隊や司令部に組み込むには異質であり、持て余す事態が起きるようになった。


 こんなに早くこうなるとは思わなかったが、大正三(1914)年春に、沿岸警備隊として軍務総省三つ目の外局、沿岸警備庁が設置される事になった。

 沿岸警備庁の役割は、前世の海上保安庁とほぼ同じだが、唯一違うとすれば、戦時には護衛艦隊として輸送船団の護衛を任務としていることだろうか。


 こうして、沿岸警備隊は発足と共に、警備艦だけでなく、一部巡洋艦も配備して通商破壊に対応することになった。


 その頃俺はというと、兄が天皇となった事から、色々なしがらみから解放され、統合士官大学校への入学が可能になった。

 それというのも、戦後改革の一環として皇室典範の改訂も行っていたからだ。

 前世で問題となっていた退位問題は平成時代だけの問題ではない。大正末期の数年間も、兄が病に伏せるなか、甥が摂政を務めている。ならば、生前譲位を復活させておけば、平成のばか騒ぎも起きないし、大正もすんなり昭和になっただろうと、当時の会議で説明していた。


 その時に懸念されたのが俺への周りからの対応だった。

 俺は記憶を元に笑い飛ばしていたが、確かに病弱な兄ではなく、俺を担ぎ出そうとする勢力は多くいた。

 元々の望みが叶った背景にはこんな事情もある。

 危険な最前線まで会いに来て騒ぐバカは居ない。そんな理由から、父や元老達は俺の行動を認めてくれていた。


 嘉仁派筆頭が俺なのに、そこに何だかんだと話を持ち込む皇族、華族の醜態と来たら・・・

 そんなこともあって、縁談も全て断った。下手な縁が内乱に繋がっては洒落にならん。


 まさか、譲位の復活がこんな危険を孕もうとは、思いもしなかったよ。


 さて、もうすぐ欧州の火薬庫に火が付きそうだが、俺は学業に専念する。

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