第二十一話 戦艦 土佐
大正二(1913)年、日本はとうとう自国建造の主力艦を手にすることが出来た。
日露戦争以後、技術の蓄積と海賊問題の事もあって主力艦の自国建造は行わないようにしていた、その為、前世の河内型や薩摩型といった戦艦は建造されていない。ただし、規模を縮小した装甲巡洋艦として筑波型や鞍馬型は建造している。ここで背負式配置のデータ収集を行った。
そして、海外に目を向けると、アメリカでは1910年には早くも背負式の前段階である二階式砲塔が登場していた。
その為、日本では筑波型の推移をみながら予定より少し早くに背負式配置の戦艦の設計を始めることとなった。
なぜ、背負式に拘るかは前世では常識だと思う。しかし、この世界ではまだ常識にはなっていない。それ以前に単一巨砲もまだ実現した国がない。
そんな中で、前世の記憶を生かして早々に単一巨砲、背負式配置を実現しようとしていたわけ。
そして、とうとう明治四十三(1910)年から建造をはじめて、今年完成したのが、戦艦土佐。
戦艦土佐
排水量 2万3千トン
全長 175メートル
幅 27メートル
機関 ギヤードタービン
出力 5万馬力
速力 24.5ノット
武装 12吋連装砲4基
6吋連装砲6基
装甲は多少薄くするしかなかったが、それは舷側装甲の話で、この当時はまだ考慮されていない水平装甲はかなりの厚みを持たせていた。
しかも、ドレッドノートが高速戦艦の先駆けとして、この頃の戦艦が軒並25ノットあることから、それに合わせるために、前世とは違う形が出来上がってしまった。
列強の反応も当初はあまり宜しくはなかった。
と言うのも、8門を一隻に搭載した場合、建造費は倍では済まない。しかも、艦橋や指揮所で統制のとれた射撃をしなければ、多数砲の利点が生かせず、ただの無駄になってしまいかねない。
そのうえ、砲塔の揚弾機構の関係から日英以外では発砲間隔が長い主砲よりも、多少小型の副砲を大型化して連射する方が未だに有効だった。
英国でも、まだこの時期は口径よりも数が優先すると考えられていた。
いずれが正解かはまだ誰にも分からなかった。世界は日本の博打だと冷ややかに見ていたのである。
吋、どうしようか悩んだけど、史実より英国追従だろうから、規格をインチのままにしてます。




