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第十九話  コロンビア号事件

 明治四十三(1910)年七月四日、俺はようやく乗り組み隊に慣れることが出来ていた。


 今日も警備航海中である。


 旅順艦隊への壱岐型警備艦の配備も粗方完了し、日本の負担も随分減っていた。時おり米警備艦が済州に寄港している。


 海賊対処には二つの方法を併用している。ひとつは俺たちの様に臨検部隊を乗せて定期的に海域を巡回する区域警備、もうひとつが商船の船団を組んでそれを護衛する船団護衛。


 これはどちらが効率的、有利という事はない。商船を守るという意味では船団護衛が良いのだが、その船団は会社も積み荷も違う船が集まって編成される。戦時の様に目的や荷主が同じ船ばかりで編成されるモノとは違い、最初に到着した船は数日済州で、或いは大連で船団が編成されるまで待たなければならない。守る側から見たら効率的だが、商船からみたら性能も出発地も違う船を待って船団を組むのは非効率で、場合によっては事故の危険すら伴うモノだった。


 商船からしたら、密な巡回によって海賊の行動を封じてくれた方が運航には好都合なのだが、警備する側からしたら、僅かな艦隊ではそんな隙間のない警備など出来ない相談だった。

 つまり、警備側と商船側では見方が異なる。


 そして、被害という観点からは常に商船に付き添える船団護衛が良いのだが、海賊が近寄らなければ海賊摘発も出来ない。逆に巡回していれば海賊を見つけ、摘発や掃討が可能だが、商船からは距離があるので商船を海賊から守る事は難しい。



 現在、米警備艦隊は主に船団護衛を担っている。自国の統治する遼東半島に向かう船が大半なのだから当然といえば当然だ。


 そこに第一警備艦隊からも警備隊をだす。


 それ以外の艦は巡回を行っているという訳だ。


 その為、済州に米警備艦が停泊するのも、大連に日本の警備艦が停泊するのも、当たり前の光景であった。

 ただし、船団編成が待てない船というのが居るもので、今、目の前を大連に向かっているらしい貨客船もその口らしい。


「船上で祭りでもやってるんですかね」


 近くにいた見張りの一人が貨客船の船上を眺めて疑問を口にする。

 確かに、船上では飾り付けが行われ、パーティをしているようだ。


 何だろうと考えて、今日が七月四日であることに思い至る。


「今日はアメリカの建国記念日だな、そういえば」


「隊長は物知りですねぇ~」


 件の見張りが感心しているが、別にそんなんではない。単に前世ではこの日に毎年のごとくその沖にある半島北側国家がミサイル発射だ核実験だと騒ぎを起こしていたから知っているだけだ。


「まあな」


 さすがに、前世の事は言えないが。


 貨客船とすれ違って一時間くらい経っただろうか、艦橋が慌ただしくなり


「緊急救難信号を受信した、これより反転する。乗り組み隊は待機」


 との発令があった。


 俺は乗り組み隊に待機を命じて艦橋に詳しい話を聞きにいった。


 すると、どうやらさきほどの貨客船が襲われたらしい。


「先程の船が襲われたらしい。かなりの海賊が居るかもしれん」


 俺は乗り組み隊員達にそう伝えた。


 速度を上げて急行したのだが、遅かったようだ。


 貨客船からは煙も上がっている。


 警備艦が見えたことで海賊どもはすぐさま逃げ出すようだ。


 まずは、貨客船の被害状況や残った海賊の掃討が優先され、射程に入った海賊船には砲撃が加えられる。


 海賊船を追い散らして貨客船に乗り込むとそこはまさに地獄絵図だった。


 すでに海賊連中の射殺体なら見慣れたが、船上にある死体は体を切り刻まれた男性や乱暴された上で殺されたらしい女性など、見るに耐えない状況だった。


「まずは生存者の捜索と海賊が残っていないかの確認だ。生存者の可能性があるから無闇に撃つなよ」


 そう言って俺も船内の捜索に向かった。


 しばらくすると救難信号を受信した別の隊も駆け付けたらしい。


 かなりの大人数で船内の捜索が行われたが、生存者はわずかしか居なかった。


「記者だと名乗る乗客が死体を撮りまわってますがどうしますか?」


「記者なら仕方ない。それが仕事だ。それより、あの子供をどうにかしないと・・・」


 後々まで「コロンビア号事件の写真」としてあらゆるところで掲載される写真がある。母親の遺体にすがり付いて泣きじゃくる子供とどうにか母親から引き離そうと困り顔の兵士の写真である。


 写真の多くは加工されたものだが、それでも母親の洋服が引き裂かれ、乱暴された上で殺されたであろうことがわかる。



 この事件は乗り合わせて生還した件の記者により米本国でも大々的に報道される事になった。 


 その結果、米国ではノックス長官暗殺により燻っていた韓国懲罰論が再び盛り上がることになる。


 ただ、米政府自体は当初、軍事行動を否定していた。しかし、政権への打撃を恐れた大統領はロシアと交渉して懲罰的な軍事行動の黙認を取り付ける。


 こうして米国は明治四十三(1910)年十月二日、奇しくもノックス長官が暗殺されて約一年後に仁川に上陸し、ソウル攻撃を行う事になった。


 それから約一ヶ月にわたりソウル攻撃と平行して黄海沿岸の港町を砲撃してまわっている。


 米国は以後、朝鮮に対してきわめて冷淡になり、後の朝鮮独立、自治の機会にことごとく非協力を貫く事になる。


 そして、明治四十四(1911)年二月には米国による侵攻で殆ど統治能力を失った韓国政府を支援するためとして、ロシア軍が朝鮮各地に展開、三月には韓国政府が自らロシアに統治権を譲る旨の宣言を出し、五月十七日に正式にロシア軍が周囲を警戒するなかで併合条約の調印が行われ、翌日発効となり、大韓帝国は消滅し、ロシア帝国コリア州となった。



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