第十八話 ハルビン事件
明治四十二(1909)年十月二十六日、ロシア蔵相ココフツェフと米国務長官ノックスは関東州や朝鮮における鉄道投資について非公式話し合うためにハルビンを訪れていた。
ノックスがロシア兵の閲兵のためホームに降り立ち、ココフツェフらと握手を交わしていると群衆の一団が近付き、数発の銃声が響き渡った後、ココフツェフやノックスが倒れていた。
混乱するなかで取り押さえられたのは朝鮮人だった。
ロシア側はすぐさま組織的な犯行を疑い、朝鮮独立派の捜索が行われ、二十数人が逮捕される事件へと発展した。
更に、数日間の懸命な治療むなしく米国務長官ノックスが死亡すると米露間で実行犯の裁判をどちらで行うかでもめる事態にまで発展した。
最終的には鉄道がロシアの権益であり、韓国がロシアの保護国であったことからロシアでの裁判権が確認され、簡単な審理の後に犯人は銃殺されたとされる。前世の様に犯人の発言が報道されることはなかった。
その後、米国は暗殺者の裁判権を得ることが出来なかったとして大統領の支持が大幅に低下している。
一部には朝鮮に対する懲罰的な軍事行動を主張する意見も出たが、米政府はその様な行動を否定し、ロシアとの協調を重視する姿勢をとる。
それは大統領の「ドル外交」の一環として大連を起点としてシベリア鉄道と結ぶ路線に対する投資を優先したからであった。
その結果、ノックス長官の死への弔慰の意味からも、更なる米国の鉄道関与が認められ、米政府はそれを成果として強調したのだが、米国内ではノックス長官暗殺問題が燻ることになる。




