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第十三話  内燃機関

 この世界では内燃機関が未発達だった。

もっと正確にいえば、意図的に妨害されていたと言った方が正しいかも知れない。


 十九世紀半ばに研究が盛んになった内燃機関だったが、事故や火災が起きることもしばしばあった。その為、その事を理由として、シリンダー内に燃料を混入する事を禁止する運動が広がり、各国で施行されていく事になった。


 その為、多くの研究が頓挫し、研究を続ける者への圧力も大きく、ことごとく廃れて行くことになった。唯一、ドイツには過去に内燃機関に関する特許が現存したことで日本による独占を阻むことになった。それでも新たに開発されたエンジンの特許が存在し、完全にとはならなかったが。


 こうした内燃機関排除が自然に起こるとは思えない。

 前世にも、英国で赤旗法なる自動車規制が存在して、自動車の発展を妨げているが、あれが道路管理者の危惧と鉄道、馬車業界の利益が噛み合った結果であるように、ここには蒸気機関で利益を得たい転生者(多分)の意図が働いているのではないかと睨んでいる。


 結果として蒸気機関は前世より発達した面はあるが、その反面、蒸気機関は必ず蒸気発生装置を外部に持つ関係で小型実用化には限度があり、内燃機関を排除したことは発展の足枷であることに変わりはない。

 何せ、日本が特許取得して僅か二十年で列国は内燃機関の発展に注力して、目覚ましい進歩を見せることになるのだから。


 日本が欧米で内燃機関の特許を取得した明治三十九(1906)年に英米企業に対して共同研究を持ち掛け、開発が行われることになった。混入禁止法自体はこの頃既に因習と化していたが、まだまだ欧米での影響は続いており、開発は主に日本国内で行われることになった。


そして、僅か三年で実物が完成し、明治四十三(1910)年には発売されている。

しかし、当時の日本ではガソリンは高価で手に入りにくい事から、灯油やガスを使ったエンジンの開発もほぼ平行して行われ、こちらが先に普及していくことになる。


日本での発展を見た各国は三年もすると因習を捨て去り、エンジンの開発を我先にと行うことになり、日本に莫大な特許料が転がり込むことになった。


ディーゼルエンジンについては、ドイツの発明家が因習により開発を断念し、日本への技術売却を行ない、それを買い取り実用化されたものが、企業名を取りヤンマーエンジンと称する様になる。この為、この世界にディーゼルエンジンという名称は存在していない。

ディーゼ・・ヤンマーエンジンの登場はもうしばらく先であり、ここで詳しく語るべきではない。


それはそうと、内燃機関がこの様な状況のため、戦車、潜水艦、飛行機といった内燃機関を原動力とする兵器は前世より登場がかなり遅れる事になる。

必ずしも赤旗法が鉄道や馬車業界の利益のみを求めたわけではないと言われているけれど、分かりやすさ優先で敢えて、利権関係だけに焦点を当てています。

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