第十一話 戦後の改革2
明治四十(1907)年五月十五日、とうとう憲法改正の発表が行われた。
これまで一年かけて試行錯誤した成果がようやく形になる。
ここまで来るのは随分大変だっただろう。俺は後に苦労話を恨み言の様に聞かされたに過ぎないが、最後は天皇、元老の強権で力押ししたらしい。
そうして出来上がった内容は、軍を天皇が統制することは変わらないが、指揮権を実質的に総理大臣に渡す。
総理大臣が軍の指揮権を発揮する為に、憲法において他の大臣に優越する事も明記されている。
前世で問題となった軍務大臣の辞任という自爆テロを阻止する為に、総理大臣には大臣の推薦(任命は天皇という建前)、罷免上奏の権利が与えられ、勝手に大臣が辞めたり、任命を断る事が難しくなった。
辞めても良いが、総理大臣は次の大臣候補を推薦する権利があるから何の効果も持たなくなる。
総理大臣に軍の指揮権がある以上、軍は総理大臣に対して統制権干犯を叫ぶ根拠はない。それをやれば指揮権を渡した天皇批判をするのと同義になってしまう。
さて、改憲によって軍にも大きく影響が出る。計画通り、統合参謀部と統合士官大学校の設置が決まった。
統合参謀部が動き出すのはまだ一、二年先になるだろうが、その準備として即席で現役将官が統合参謀講習に放り込まれている。
本当に変わるのは統合士官大学校が稼働して、その卒業者達が統合参謀部の要所を占める10年先になるだろう。
そうそう、その為、これまでの陸軍省、海軍省は統合参謀本部に併合されて軍務総省と名前を変える。
当然、大臣も一人だが、替わりに統合参謀総長というポストが出来るから、椅子の数自体は変わらない。
将官、佐官は陸海軍から離れ、統合参謀部に在籍する者がそれなりに出てくるため、椅子の数自体は増える可能性もある。ただし、それは中将までに限られて、大将の椅子自体は減ることになる。
この為、日露戦争の将官陣は今後厳しい立場に置かれていくだろう。
兵学校における講義は教官が一方的に教えるモノだけでは無くなっている。
その顕著な例が日露戦争についての考察だった。
日本は日本海海戦には勝利した。本来ならそれでめでたしなのだが、二〇三高地勅命事件というのが起きている。更に、朝鮮喪失後の遼東半島輸送はしばしば朝鮮海賊を利用したロシアによる通商破壊戦が行われている。仮装巡洋艦や軍艦こそ僅かではあったが、襲撃は頻繁に起きて海軍を悩ませていた。
こうした事例に対する考察を各人が行う時間が設けられている。
俺は答えを知ってる。
第一次大戦で船団護衛が組織的に行われ、第二次大戦では、ハンターキラーグループという討伐部隊が出来たのだから、こうした未来の出来事をさも自分が考えたように作文すればよい。
それで、海賊問題は簡単に解ける。二〇三高地の話だが、これもSEALsみたいな潜入部隊を持てば解決するだろう。
こんなカンニング紛いの作文だったが、案の定誉められた。物凄く複雑だ。