外伝7 実現していた原発
311はこの世界でも当然ながら発生している。
転生ものならよくある事だが、「先を見越した対策で被害を大幅に軽減した!」なんて話は、当人の存命中には可能だろう。
現に関東大震災には対処したが、それ以後の地震については、耐震化や防災体制の確立による減災という部分が主眼だった。
南海や東南海地震でも、極端に被害を少なくするには至っていない。とはいえ、そもそもの工業地帯が中京地域に集中していなかったので、実質的には被害を少なくできた。
そんな実績もあるが、すべてがそうとは言い切れない部分もある。
津波を前提に築堤式鉄道を福島から青森まで作る計画を立てたことがある。一部は確かに実現した。
しかし、築堤式であるために交通網の発展、特に自動車の普及には大きな障害となる事態も起きていた。
結果、21世紀を迎える頃には各所で築堤ではなく高架橋式へ置き換える工事が進むような事態となっていた。
小説的に言えば、「津波が来るから作っているのに高架橋式に変えて津波被害を拡大させるバカなど、どこにいるか」と思うだろう。
しかしだ、「2011年3月11日に巨大地震が起きて津波が東日本を襲う」などという話は国家機密であって公にされてはいない。計画から50年以上、完成から30年以上も過ぎれば当時を知る人も現場を去って何が建設の理由かも伝わらなくなる。それになにより、海岸線と居住区域を築堤で分断したのでは、生活に支障をきたすようになるのは避けられない。
そんなことがあって、各所で高架化事業が進み、築堤は切り崩されてしまっていた。
どうなるかは想像がつくだろう。
そう、311被害の多くは前世と大差ないレベルにまで拡大してしまった。一部では早期高架化を行った地点で高架の倒壊なども起き、避難の支障となって前世より甚大な被害を出した地域もある。
もちろん、高架化が遅れていた場所については被害が抑えられたというところもあり、高架線の再築堤化という話が出たのも頷ける。
311と言えば原発事故だが、それがどうなったかって?
そもそもあんな郊外に原発など存在していない。
まずは、この世界の原発の話をしようか。
俺が暗殺されたころ、核開発が順調に進み、昭和三十(1951)年には最初の核実験を行うことになった。
核開発や兵器開発はある程度順調に進んでいたのだが、民間用原発の開発は遅々として進もうとしなかった。
原因は、米国からの技術者招聘が遅れた事だが、昭和三十五(1956)年にようやく実現し、そこから開発が始まる事になった。
この頃、米国でも核兵器開発に成功し、前世の様に原潜開発も始まり、軽水炉を用いた民間用発電所計画なども始まろうとしている時期だった。
昭和四十(1961)年には日本への原発売り込みも行われたという。
しかし、日本は俺の方針を堅持してくれて、軽水炉型の売り込みを断り、独自の液体原子炉開発を推し進めていった。
日本が液体原子炉を完成させたのは昭和が終わり永安と元号が変わってからとなった。
永安四(1970)年にようやく実用型原発を完成させ、商業展開を始めるという出遅れがあったが、世界情勢は日本の液体原子炉を後押しすることになった。
まず起きたのはフランスの核開発問題だった。
ドイツがすでに核を持っている状態だったが、フランスがそれに続こうと、民間用原子炉開発という表看板の下で核開発を行い、ウラン濃縮やプルトニウム再処理が発覚したのが昭和四十五(1966)年の話だった。
この時、日本はというと、実証レベルでの安全性や性能を確立していた液体燃料炉の有効性やその利点を早々に世界へと宣伝する行動をとっていた。
その一つが、「核兵器転用が困難で、軍事転用の恐れが低い」というものだった。
ドイツや英国がその宣伝にすぐさま飛びついたのは言うまでもない。
それからすぐにドイツと英国による圧力によって、フランスの核開発は停止へと追い込まれ、仲介した日本が液体燃料原子炉の共同開発を提案することで合意へと至ることとなった。
こうして開発された液体燃料原子炉は、当時、英国が開発していた黒鉛ガス冷却炉やドイツの黒鉛重水炉と大差のない規模であり、発電能力も大きな差が無かった。
そして、日本の宣伝通りに兵器用核物質の取り出しが難しかった。
フランスはこの「軍事転用が難しい」ことを逆手にとって欧州各国やアフリカへも販路を拡大していっている。
その中で小型化という必要性が生じ、フランス型原子炉として独自の発展を遂げているのだが、その辺りは専門でないので詳細は割愛する。
日本でも原発推進が行われ、まずは日本海沿岸の工業地帯へと建設が行われている。
そんな中、日本海中部地震で秋田に建設中だった原発で、津波による犠牲者を出したのは痛恨事だと言えよう。
この事故をきっかけに、日本では地震や津波への対策を考慮した新型炉の開発が始まり、元々が放射性物質が外に漏れない構造を前提にされていたこともあって、小型化という方向性も新たに示されることとなった。
米国でスリーマイル島事故が起きたのがそんな時だった。
米国では独自に軽水炉を商業展開しており、日仏とは違う道を歩んでいた。
このスリーマイル事故によって原発不信が世界へと広がる。全く形式が異なるとはいえ、原発が工業地帯近郊にある事への不安の声が上がったのだが、日本では実際の原子炉を用いて事故対応の訓練公開を行って不安払しょくに努めている。
それでも一時的に建設が停滞したりもしたが、フランスに対抗して小型化計画が出た時に、ちょうど優秀な技術者が新型原子炉を発表したのは幸いだった。
彼の原子炉は非常に簡素で構造も簡単。そして小型だった。
一般的な一戸建て住宅程度の小さな設備で中規模都市の電力を賄えるというもので、安全性の向上も話題となっていた。
「もし事故が起きれば、燃料は全て下のプールに抜け落ちて個体となります」
開発者自身が各所でそのように安全性をアピールして回っていた。
非常に安全だという事で各地の工業地帯に建設が行われ、それらは仙台や石巻、八戸などにも建設されていった。
そう、原発自体はこの世界でも被災している。しかし、あのようなことにならなかった。
爆発もしなかったし、そもそも、冷却に電源を必要ともしなかった。
石巻で完全に破壊された原発は開発者が言う様に、燃料がプールに落ちて個体化しており、原子炉内に立ち入らない限り何の問題もない状態だった。
一部の人はガイガーカウンターをもって歩き回っていたそうだが、震災のがれき撤去が進むと、その破壊された原子炉も撤去され、跡地の僅かな放射能について騒いでいるというていどの些末な問題でしかない。
安全な原発だとして多くの人には不信より信頼が広がり、開発者の著作も多いに売れている。俺も購入者の一人だが、その内容は前世、こいつがあればフクイチの被害も少なかったろうにと思った、その内容がそのまま書かれているのには驚いた。
もしかして、この開発者も転生者だったのだろうか?
すでに亡くなっている様で確認はできないし、こちらの素性を知られるのもどうかとは思うが。
そんなわけで、現実は小説ほどうまく行っていないことが多い。
ただ、原発や核開発疑惑という問題については明確に違いがある。
開発推進のときに明言したように、核開発がしたければ軽水炉や黒鉛炉を必要とするが、本当にエネルギーが必要なら、液体燃料炉を導入すればよい。
エネルギー問題が核開発の隠れ蓑にならない世界が出来ている。一部の人から見れば、日本が核保有国なので誇らしくもないかもしれないが、前世とは違っている。
核兵器が無い世界は未だ見えてはいないが、前世とは違い、核物質をより安全に利用できる世界なら実現している。
世界を変えることは出来たと自負してよいかも知れない。
そんなことを思いながら梓を見た。
「こらぁ、岩崎!嫁に見とれてないで授業に集中しろ」
お決まりの叱責が飛んできた。