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外伝5  それからの日本2

 朝鮮問題で日本が揺れていたころのシナ大陸はどのような状態だったかというと、米軍の撤退で内戦が激化していた。


 もともとドイツによる武器供与や軍事指導を受けていた民国軍だが、軍閥の統制に苦慮しており、共産軍との戦いに集中できる状況ではなかった。


 米国が遼東半島からも撤退するに至って、共産軍は内蒙古やマンチュリアへもその触手を伸ばそうとした。


 民国軍にとってそれが幸いしたと言えるだろう。


 共産軍はソ連の指導の下、ロシア弱体化を目指して動いていた。しかし、それは簡単に阻止される結果となった。


 余りにもタイミングが悪すぎた。

 共産勢力は朝鮮独立党がもう少し粘ることを前提に、ソ連からの物資供給と軍事訓練に多くの時間を費やし、内蒙古進攻の体制が整った頃には、コリアスタンは完全に平定された後だった。


 そして、遼東半島を失った米国は以前からの上海グループが息を吹き返し、民国への支援を活発に行い始めていた。


 更に悪い事には、モンゴル・ハーン国も完全にロシア公国や日本の支援で安定してきており、共産勢力の浸透が抑え込まれる事態になっていたことだろう。


 結局、内蒙古進攻は失敗に終わる。


 それだけでは終わらず、同時進行として行われたマンチュリア進攻は更なる惨劇を招くこととなる。


 マンチュリア進攻は内蒙古進攻にあわせて、ロシア公国の隙を突く形で行われているはずだった。


 しかし、主力を内蒙古へ振り向けたロシア軍に代わって、山海関付近へと日本軍が上陸して、共産軍の補給線を絶つ行動に出てきた。

 海上では空母が遊弋し、常に周辺へと攻撃機を飛ばしていた。しばらくすると遼東半島へと移動してきたロシア軍や日本軍の航空機によって渤海沿岸の制空権を掌握され、共産軍は身動きが取れなくなってしまった。


 今でも鉄の暴風雨として現地で語り継がれるように、日ロ軍の雷神部隊による攻撃はさながら虐殺であったと言われている。


 上陸部隊に援軍を足止めされたうえでの攻撃であり、共産軍には成す術が無かった。降伏するか死ぬかの選択しかなく、あまりの凄惨な光景を目の当たりにした多くの兵が降伏を選んでいる。


 未確定であったマンチュリア周辺の国境がこの紛争処理で確定し、内蒙古の大半もモンゴル・ハーン国へと編入される事となった。


 共産軍はこの戦いで近代的な戦力の多くを喪失してしまうが、対する民国は軍閥との抗争で揃えた圧倒的な軍備を有利に展開させることが出来なくなっていた。


 というのも、広州を中心にした南部軍閥は英国の影響力が増しており、香港と海南島の安全確保のために、英国が半ば公然と支援していた。


 それに対して民国は攻勢を強めようとしていたのだが、共産系軍閥が北部で民国系軍閥と激しい抗争を繰り広げている関係で、うまく機能していなかった。


 そして、英国による米独との交渉もあって、蒋介石には南部の安定を保証するように圧力がかけられ、半ば独立が保障された形となっていく。


 民国軍も南部からの脅威が無くなったとして、主力を北方へ振り向け、一時は沿岸部をことごとく制圧する事に成功したが、石家荘の戦いで逆転負けを喫し、済南へ押し戻されるという悲劇が起きることになる。



 昭和三十四(1953)年には戦線が膠着したまま、停戦がなされ、西安を首都とする中華人民共和国、南京を首都とする中華民国、広州を首都とする中華連邦の三国が独立するに至った。


 前世とは違い、英国が南部シナを勢力圏としたことで、インドシナの共産化は起きず、インドと南部シナからチベットに影響力を持つことで、チベットへの共産軍侵攻も抑制されることになった。ただ、ウイグル自治区は西安から中央アジアへと延びる中ソ連絡鉄道の要であることから、早くからソ連が侵攻し、共産勢力下においていた。そのまま北人民中華へと返還されている。結局、民国は鄭州を共産勢力に差し出し、黄河を基準に平野の北部を失い、南京を中心にした平原南部と重慶を支配する程度に留まってしまうことになっている。


 現代では、人民中華は資源国となり、民国はその最大の輸出先となり、今では相互の関係なしには成り立たないと言われている。南部連邦はというと、二か国とは違う道を歩み、一見、遅れた国とはなっているのだが、英国の影響下という事もあって、それなりの水準には達している。大きな違いと言えば、メコン流域開発でインドシナ諸国と対立していないことだろうか。対立するよりも、インドシナ諸国に近い姿勢を示し、二か国とは対立関係にあり、統一中国に関する記憶がある俺からすると、その変化に驚かされる。


 そのインドシナ半島はというと、タイが影響力を持ち、ラオス王国、カンボジア王国を名目上の王国として、タイがタイ連合王国として勢力を誇る。仏はタイとの戦争に敗れた後、その領域を国内の騒乱もあってベトナムのみへと縮小し、後にベトナム共和国として独立するのだが、タイ連合王国という体制がただの征服王朝であることから、東の火薬庫と言われるように、今でもタイにおいては内戦が絶えない。そして、しばしばベトナムにもその戦火が伸びる状態で、前の知識におけるバルカン半島のような状況がインドシナ半島で繰り広げられている。

 

 タイは対仏戦争の勝利もあって勢いに乗っており、日本からの技術導入や貿易によっていち早く近代化を行い、周りへと勢力を伸ばし、ラオス、カンボジアだけでなく、ビルマの一部もその支配下に置く大国として存在している。


 英国領マレーはその魔の手を逃れて独立を保っているが、共産主義の影響があり、本来、裕福であったはずのフィリピンと共に今ではマレーシア、インドネシアはタイ内戦の影響を受ける地域となってしまっている。


 そうそう、インドも英国から独立したが、やはり宗教対立で分裂、そこにタイまで介入して前の記憶以上の大戦争を巻き起こしてしまっている。ただ、今ではそれも落ち着いて、経済発展が進んでいるのだが、カーストの影響は非常に色濃く残ってしまっている。


 





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