第九十九話 暗殺
昭和二十七(1948)年十月、欧州での急展開と共に極東でも変化が起きていた。
十月十日にドイツへの停戦の申し入れと同時に、日ロに対してもソ連から和平交渉の打診があった。
気を良くした俺は一路、ロシア公国へと向かおうとしていた。
「殿下、なぜそこまでロシアへ行きたいのですか?」
当然のように周囲からそのように聞かれたのだが、行きたいものは仕方がない。
ロシアに渡っていた敬仁とロシア貴族の娘さんとの話だが、嫁とオリガさんの画策が実り、とうとう婚約となってしまいそうだ。
当時十だった女児も今や十七である、正式な婚約はソ連との和平が成立して以後の予定だが、すでに話は固まり、正式な発表を待つばかりとなっている。
そんなわけで、ハバロフスクへ行く口実は十分にある。
敬仁は陸軍に入り、最近まで皇室農園に居た、バイカル戦線が怪しくなるとロシア公国へと向かい、近衛の工兵らと共に春から夏は現地で農業指導を行いながら地形調査をやっていた。休暇を利用してハバロフスクへも通っていたらしい。
そういう名目があるので非常にロシア公国へは行きやすい。
本当の理由?
それは、一度、本場の大農場で大型機械を見てみたい、出来れば乗り回したいという欲求だが、何か問題があるのだろうか?
ロシア勢と山岡さんや佐藤さん、松山さんらが作り上げた機械が活躍しているのが満州の大農場だし、ちょうど大豆の収穫時期でもある。
「敬仁の事もあるだろう?一度、向こうへ行っておきたい」
しれっとそう答えてはいたのだが、最近、政治や軍事を離れ、農機具に傾倒している姿を知る周辺は、何をしに行きたいのかお見通しといった風だった。
「では、ハバロフスク及びチタのご訪問ですね?」
そう返してきやがる。
「いや、もっと満州も・・・」
どこへ行きたいかわかってますよと、その目が語っていた。
ロシア公国建国以来、満州は穀倉地帯として発展している。
馬賊の跳梁著しい時期もあったが、ここ十年ほどは農業の機械化で農地の拡大が進み、生産量の増大と共に、馬賊から農民へなるモノも増えている、南部では油田の発見もあり、工業化も著しく進んでも居た。
そのため、治安回復の努力と共に、農業と工業の発展で馬賊は減少し、経済成長も著しい。
さらに、前世で問題となっていたモンゴルとの国境問題も起きてはいない。
大ヒンガス山脈より西をモンゴルに渡し、米国の確保している内モンゴルも同様の合意が行われている。そのため、面積自体は前世の満州よりも減少しているが、満州平原を領有し大穀倉地帯として維持できているのでロシア公国としては不満はないらしい。
一部の呆れを含んで、俺のロシア行きはすんなり決まった。大豆の収穫に間に合わせるという強引な要求もあって、公式訪問ではなく、私的な訪問という事で十月中にはロシアへと赴くことが出来た。
まずはハバロフスクへと向かい、相手の家族と会って歓談した。
オリガさんの後押しもあって相手方も非常に乗り気なようで、本当に良かった。敬仁は今はハイラルに居るそうだ。
前世、ノモンハン事件の前線だったそこは、今はモンゴルの穀倉地帯。そこで農業指導をやっているらしい。
このまま和平交渉が始まれば、日本軍も大幅に縮小されて、大半が帰国することになる。それに合わせて婚約の段取りとなる事が決まった。
そうそう、華怜だが、相手の近衛兵が調査の結果、皇室ゆかりの一族とわかり、陛下も喜んでくれた。
上総宮家は外国や古い時代の縁をつなぐ家になっているという不思議な縁がある。
ハバロフスクを後に、一路、飛行機でチタを訪問し、日ロ軍を慰問して、とうとう本命の大豆農場へと向かうことになった。
チタからマンチュリスク(瀋陽)へと向かい、そこにある佐藤造機の満州工場を訪れることになった。
そこにはずらりと大型コンバインやトラクターが並んでいた。
軍用のヤンマーエンジンを転用した大型機械だ。日本ではなかなかお目にかかれない。北海道に行けばあるにはあるんだが。やはり、本場はこっちだろう。
「殿下、ようこそお越しくださいました」
佐藤造機満州本社の社長に出迎えられて、工場を見学した。
「ようやくゴムクローラも採用できましたから、これからは一層、農機の発展は加速しますよ」
そんなことを言いながら、鉄製履帯だった駆動部が軽量化された新型コンバインを前に説明してくれた。
「では、試験農場にご用意していますので、そちらへ向かいましょう」
車で工場からほど近い農場へと向かう。車窓からは枯れた大豆畑が一望できた。
農場には新旧のコンバインが用意されており、すでに刈り取りが行われている。
新型に乗せてもらい暫く収穫したのち、社長の元へと戻ってきた。
「いや~、さすが満州。日本の農場とは広さが違いますね」
そんな話をしながら、市内にある宿へと向かう。
市内は非常に活気に溢れているが、米国領遼東半島が近いせいか、軍人の姿も目立つ。
「結構、軍人の姿も見えますね」
社長に尋ねると
「最近は米軍の撤退とコリアでの政情不安があって、マンチュリスクも少々、ピリピリしています。米国の反コリア感情があって、米領ではコリア人は未だ奴隷の扱いですからね」
発端となったコロンビア号事件の関係者としては、他人事ではなかった。あの時は本当に酷い有様だったのだから。
宿に到着して車を降りた時だった、ふいに銃声のようなものがしてその場に伏せると、後から降りてきたアナスタシアが撃たれるところを目撃した。
「アーシャ!」
俺は急いでアナスタシアを庇い、抱きかかえる。銃声はさらに続き、背中に熱いものが走り抜けていった。どうやら撃たれたらしい。
「アーシャ?」
腕の中のアナスタシアに呼び掛けてみる。
「また、助けられました。私が助ける番なのに」
弱弱しい声でそう言っているが、傷は思わしくなさそうだった。
気力を振り絞って周りに視線を向けた時、視界に入ったのは拳銃を構えてこちらへ向かってくる男の姿だった。
その男が何事かを叫び、発砲した。それが、俺が見た最後の光景だった。