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第九話   決戦からの混乱

「あんのバカ共エエカゲンにせえや!」


 俺は前世の記憶を元に、最小限の封鎖部隊を残して海軍の撤収とバルチック艦隊迎撃の準備を提言していた。


 十月二十八日の第二回総攻撃の結果を見れば明らかな成功だった。山縣、伊藤という元老二人の意見も一致している。だが、大バカ営はそうではないらしい。戦場の混乱はよくあるし、戦場の霧とも言われる。

 だが、限度があるんじゃないか?


 俺が前世で、乃木批判に対する反論に感銘を受けたって感情論だけでなく、報告と俺の話を聞いた元老の判断でも同じなのだから、間違ってるのは現場だ。見えないなら気球を使え。誰だよ、未だに使わない連中は。


 大本営に殴り込もうとしたら止められた。

そして、替わりに父が話を着けた。いや、それ、どう解釈しても勅令じゃ・・・


 その結果、二〇三高地攻略は取り止め、艦隊の大半は強制的に帰国し整備を受けることになった。

膠着状態の奉天正面は後回しにして第三軍への補給と兵器の増強が優先された。


 そして、十一月二十六日の第三回総攻撃は激しい事前射撃と機関銃すら沈黙させる迫撃砲の連射から始まり、十二月四日には望台を占領するにいたった。ただ、日本側の補給は限界で、一日占領が遅れていたら攻略は失敗していた。本当に紙一重の勝負だったといえる。

 旅順要塞では、望台陥落で司令官のステッセルが降伏を決断し、前世より一月近く早い陥落となった。


 ただ、困ったことに旅順陥落に調子づいた韓国が日本支援を公式に表明し、政府と大本営を混乱させることになる。


「前世でこんなことは起きていません・・・」


 俺は困惑するばかりだった。


 そうした外交上の混乱をよそに後回しにされていた奉天正面への補給と第三軍の転換が行われていた一月二十五日にロシア軍による攻勢に遭う。

 駆けつけた第三軍の先発隊や騎兵隊の奮戦により危機を脱し、決戦準備が行われた。


 二月に入り、日本軍は前進を開始し、幾多の反撃にあいながらも二月二十日には奉天占領に成功した。しかし、それから三月十日までロシア軍は断続的な攻撃を仕掛け、消耗を強いた後に撤退していった。


 これを受けて韓国は日本に対して対ロ宣戦布告の用意ありと打診してくるが日本側は丁重に断り、中立維持と従来通りの支援を要請するに留めた。


 この頃から後方攪乱に遥北方にまで足を伸ばした騎兵が大部隊を見るようになる。欧州からもロシア軍が大量に増援を送った兆候が伝えられてきたが、既に陸軍には更なる進軍も奉天にて大軍を迎え撃つことも難しい程に消耗していた。


「まさか、これほどの物資が必要とは・・・」


 頭を抱える目の前の人物。


「だから言ったでしょう。これでは気休めだと。前世よりも善戦したのでこの当りが退き時です。後はバルチック艦隊を破ったらすぐにでも講和のテーブルにつく準備をしなければ、大反攻は確実ですよ。兎に角、一気に話を纏めるために伊藤閣下は渡米の準備を。若造に任せてハリマン協定蹴られたら事です」


 前世の記憶でもロシアが増援を極東に送った話はあったはず。日本海海戦が決め手となって以後はにらみ合いだったとされている。


 バルチック艦隊は前世の記憶通りにドーバー海峡でイギリス漁船団を日本艦隊と誤認して攻撃するドッガーバンク事件を起こした事で、前世とはちがい通航できる筈だったスエズ運河通航を拒否され、ジブラルタル通航すら怪しい状況となり、寄港すら制約されながら極東にやって来た。

艦隊の内容も前世より古く、海防戦艦などの低速艦隊だった。


 対する日本艦隊は装甲巡洋艦を主力とした高速艦隊であり、速力差を武器に戦う事を想定していた。


 前世の記憶より遅れて五月二十八日に対馬沖に現れた艦隊に突っ込んだ日本艦隊は中小口径砲による乱射でロシア艦隊を翻弄した。当時の大口径砲は一発撃つ毎に砲の位置を戻す必要があったり、後の戦艦の様な揚弾設備を持たないため、発射間隔は五分から長ければ三十分も掛かる代物だった。しかも、未だ砲塔に装甲はなく、剥き出しか波除け板であり、攻撃にも脆弱だった。


 その為、完勝は出来なかったが、装甲巡洋艦二隻、防護巡洋艦二隻、駆逐艦三隻の犠牲でロシア艦隊を壊滅させることに成功した。



 ただ、話はこれで終わらなかった。


 当初のバルチック艦隊到着予定日であった五月二十二日からロシア陸軍の大反攻が始まっていたのである。

 日本は海戦勝利を祝う暇も無しに毎日悲報に接することになる。


 七月十八日には遼寧まで押し戻され、八月十五日には韓国皇帝が日本へ宣戦布告を行い国内の日本軍を攻撃し始めるに至る。

 しかし、当時、日本と共に参戦する前提で武装を施されていた親日派は皇帝に反旗を翻して軟禁状態におき、日本への宣戦布告撤回とロシアへの宣戦布告を行う事態となる。その結果、朝鮮半島では親日派と親露派による内戦が勃発することになった。


 日本は何とか遼東半島での防衛戦構築に成功するが、それはロシアが親日派の対ロ宣戦布告を口実にして朝鮮半島に侵攻したからに過ぎなかった。


 しかし、日本もこの機を逃すことなく、事前に準備していた樺太占領を実行に移すと共に済州島の占領も行った。

 ロシアの進撃により韓国は九月二十三日に降伏。


 ロシアにもこれ以上の余力は乏しく、ようやく米国による講和勧告を受入れ、交渉が行われることになった。


 交渉の期間中、日本はアムール川遡上を吹聴して回り、何とか樺太全島領有と済州島領有を勝ち取ることが出来た。

 遼東半島は揉めたが米国による暫定統治で妥協することになった。


 朝鮮半島については非武装を前提にロシアによる統治を認めるところまでしか譲歩してこなかったが、非武装を勝ち取れたので良しとするしかないことは明らかだった。まあ、俺としては朝鮮から手を引きたかったからとりあえず及第点か。






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