第一章 8『儚い花』
オウセンは、形を失いかけもがき苦しむ様に暴れていた蝋燭の灯火を摘むように消すと、今まで交わされ続けた論争のまとめを綴るように語り始めた。
その内容は、俺たちがあの時出会った獣、心吸狼がオウセンの手によって葬られたことにより、その長である能騎士と呼称される特殊な生物によってひなたが次の標的にされているということだった。
彼は、その能騎士が一つの街を滅ぼしたこともある伝説上の怪物だったこともあり、素性も知れなかった俺たちではあったが何の知識もない二人を野放しにしておくのはあまりにも危険だと考え、『コア』というこの世界にのみ存在する特殊な力を利用し自分が標的に変わろうと考えていた。しかし、それを納得しないひなたによりこの案は見事に白紙へと戻り、最終的に俺たちに残された選択肢は、俺たちの手で能騎士と対峙することのみとなっていた。
「良いか?この考えに正直俺はまだ納得していないが、もう奴が攻めて来るまでそう時間も残されていないだろう」
オウセンは、先程役目を終えた蝋の塊を燭台から取り除き、彼が再び吸い始めていた煙管に溜まった火種を使い、新しい蝋燭に橙色の生き生きとした灯りを燈した。その後、不規則に並べられた床板を鈍く軋ませながら時折望みもしない隙間風を迎え入れていた年期のある窓に近づき、白み始めていた東の空を遠く眺めながら言った。
「この様子だと今すぐにあいつらが攻めて来る事はないだろうな。恐らく、早くて今晩。俺とお前らが初めて顔を合わせた時と同時刻ぐらいだろう」
最初にこの家に来た時とは違う緊張感が俺たちを包んでいた。その様子は、俺がまだ小さい頃に心から嫌ったマラソン大会の、走る直前に感じる血が冷めていく感覚とよく似ていた。しかし、勿論今回はそんな生温い思考のまま挑むわけには行かない。この先に自分が体験する苦しみが想像できない点では同じだが、俺たちがこれからやろうとしていることはその瞬間に自分が消えて無くなる可能性も含まれているのだから。
俺だけじゃなく、この場のみんなや、まだ会ったことのないこの村の住人を含めたすべてを。
「俺はあいつに挑むための力の使い方をお前たちに叩き込む。しかしまあその作業は、コアのコの字も知らなかったお前らがいきなりやるとかなり体力を消耗するだろう。だから、今日はとりあえずゆっくり休むといい」
彼は、そう言ってワカナに俺たちを部屋へ案内するようにと促す。この部屋に一つだけ取り付けられていたドアをワカナが力いっぱい引っ張り、重みのある音とともに丸太を積み上げたような巨大なドアがゆっくりと動き、人が一人ずつ通れる程のスペースが開いたと思ったところで動きを止めた。
「ど……どうぞ……こちらです」
ワカナは先程までメイドのようなキッとした表情で俺たちを見守っていたとは思えないくらい疲労に塗れた表情で呼吸を乱しながらそう言ってそれたちを先導した。
ワカナとひなたがドアを潜った後、少しだけ好奇心を顕にし、その引き戸を手前に両手で引っ張る。が、見事に一ミリも動かなかった。なんだこの扉、明らかに設計ミスだろう。この異様なまでの重さもそうだがワカナの腕力はどうなっているんだ。
全力で引っ張った証拠に少しばかり赤みを帯びた手のひらを見つめ悶々とする。背後から視線を感じ、振り返るとオウセンが無言で自分の腕を肩の高さまで上げ、筋肉を見せびらかすポーズをとったままポンポンと腕を叩き、更に俺を煽るようにニマニマと笑いながらアピールを繰り返していた。
俺は恥ずかしくなり、急いでワカナたちの後を追った。後ろから聞こえてくる高笑いに少しだけ頬が熱くなるのを感じたが、何故か悪い気分ではなかった。
小走りで二人の後を追いかける。しかし、そこに流れる景色は想像も遥かに豪華で、長い廊下に飾られた数々の代物は、ここが森林の中に佇む高級な別荘だと言われても違和感を抱かないほどに輝いていた。
少しだけ進んだ先にある扉の前で二人は止まっていた、ここに来るまでにもたくさんの扉があったのだが、そこは廊下の突きだった。
「お二人にはこの突き当たりの二部屋を利用していただきます。どちらの部屋がいいかはお二人で話し合ってください」
俺とひなたはお互い顔を見合った。どうやら彼女も同じことを考えていそうだ。
「どっちでもいいよな」
「どっちでもいいわよね」
やはり寸分の狂いもなく意見は一致していた。オウセンさんには命も救って貰ったし、ひと晩過ごすための住居まで提供してもらって、その上我儘に好みの部屋を使わせてもらうなんてとんでもない。
しかし、同じタイミングで同じ言葉を発したことにじわじわと笑いのツボが刺激され、森であった恐怖など忘れるように俺たちはどこか朗らかな笑みを零していたと思う。その様子を見たワカナのジト目も少しだけ力が緩んだように見えた。
「では、ここから先はお二人にお任せします。部屋の中にお風呂やトイレ、あとパジャマなども備えてありますので。何か不備がありましたら私の部屋をお尋ねください」
廊下の真ん中付近にあるドアが白い部屋にいますので、と言って小さくお辞儀をすると、彼女はくるりと向きを変えて先程通ってきた廊下を逆に進み始めた。
俺たちは彼女が少し進んだところでお互いに近い方の扉に手をかけた。
「あ! あの、それと……」
彼女は何か思い出したように、小さい体から出した精一杯の声でもう一度俺たちを引き止めた。そして、今日一番のハニカミを見せながら一言。
「おやすみなさい」
そう言った。
俺たちより全然幼いのに、本当にしっかりしている。俺は関心を交えながら今日の感謝の言葉として彼女と同じ言葉を述べる。
「おやすみ」
「おやすみ」
やはり以心伝心でもしているかのようなハモリをひなたと繰り広げた後に、俺たちはそれぞれ自分の個室へと足を踏み入れた。
部屋の中は最初俺が目を覚ました部屋とさほど変わらない雰囲気だった。しかし、盗品と思われた高級そうな装飾品等は見当たらず、異色の文化を取り入れたような無理矢理な模様替えはされておらず、一般的な木造建築の内装と同じようだった。
今まで心身の奥深くに隠れるように積もっていた疲れが、その一瞬で大きな溜息とともに俺の体から吐き出された。それと同時に俺はワカナから手渡された刀を近くの棚に置き、ベッドに横たわった。この体勢になってしまうともう動くのも億劫になってしまう。体の汚れも落としたいし、襲いかかってくる睡魔も落ち着かせたい。そんなことを思っていた俺だったが、部屋の端にある窓に映った、先程よりも白い光を強めた景色に気を取られているうちにいつの間にか眠りについていた。
突如としてふと目が覚める、浅い眠りだったようでいつものような過剰な周囲の確認は必要としなかった。入ったときは気にならなかったが、部屋の中には立派な暖炉も備え付けてあり、その上には木で作られたであろう振り子時計が小さな音を立てながら活気よく左右に振れていた。寝入った時間もわからなかったためそれが指し示す針はさほど意味を成さなかったが、恐らくもうそろそろ陽が顔を出す頃合だろうということは認識できた。
俺は大きく背伸びをすると、後回しにしていた入浴を済ませ、ベッドの上に置かれていたパジャマへと着替えた。そのパジャマは、意識が朦朧としたままベッドに腰をかけて座ったせいか、上にのしかかった俺の体重で細かなシワが刻まれていた。薄い素材で作られていたパジャマだった為、襟を伸ばしても袖を引っ張ってもシワが消える状態ではなかったため、そのままの状態で着こなし、眠れないまま部屋の中を彷徨っていた。
「喉渇いたな……」
そういえばひなたたちが入れてきたお茶を一口も飲んでいなかったことを思い出した。もしかしたら、あのままテーブルの上にグラスが置いてあるんじゃないかと思い、俺はもう一度最初の部屋に戻ることにした。
しばらく長い廊下を歩き、見覚えのある丸太の扉が視界に入った時、その扉の前で踞る人物が居るのに気がついた。
「あなたも眠れないの……?」
それは扉に寄りかかり、両手で湯呑を大事そうに抱えるひなただった。彼女は俺の真っ白なパジャマとは違い、ピンク色の女性用らしいパジャマを来て、持参した毛布にくるまっていた。
「俺はただ喉が渇いたから、まだテーブルに置いてあるかなと思ってきたんだけど」
「まだあるかはわからないけど、お茶なら私が入れようか? そこキッチンだし、そこの扉は……重くないし」
と、彼女はすぐ横の扉を指さしながら言った。なるほど、彼女はこの丸太扉を押せなくてここでしかたなくお茶を頂いていたのか。引きこもりとは言っても、男性一人に開けられなかった扉を彼女が一人で開けることはほぼ不可能だろう。オウセンとワカナが異常なだけだ。
「ああ、いや、大丈夫だよ。それなら自分でやるから」
そう言って俺がキッチンへ入ろうとした時、ひなたも一緒に立ち上がった。
「お皿とか割っちゃうと危ないでしょ? 私は一回やらしてもらったから、私がやるわよ」
彼女は少し不安そうな表情でそう言った。じゃあ遠慮なく、と、俺ひなたが来るまで先程の彼女と同じように扉に寄りかかり、無心のまま、遠方まで綺麗に整列したシャンデリアの灯りを眺めていた。
しばらくして、彼女はキッチンから俺の分の湯呑を手にして顔を出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
彼女が手渡してくれた湯呑は、外見の分厚い装甲に似合わず冷気を帯びていた。中を覗くと、氷が二・三個中で壁にぶつかる度に澄んだ音を立てながら浮かんでいた。
「ちょっとこの廊下蒸してるから氷入れさせてもらったんだけど」
「ありがたいけど、勝手にお茶とか貰っちゃってよかったのかな。オウセンさんの家なのに」
「ワカナちゃんがお好きなようにどうぞって言ってくれたから大丈夫よ」
「そうなのか、じゃあ頂きます」
俺が寝ている間に許可を貰っていたのか。俺は昔から人の目を気にする傾向があるため、いちいち確認を取らないと落ち着かない正確だった為、その言葉を聞いて少しだけ安心した。
しかし、やはり床で飲むのはいかがなものかと思いひなたに一個だけ協力を促す。
「なあ、やっぱりこの部屋で飲まないか」
俺は俺たちの後ろに聳える扉の見ながら言う。
「でも、これ相当重いんでしょ? 君一人でも動かせてなかったじゃない」
見られていたのか。
なんとなく気恥ずかしいが、その通り俺ひとりの力じゃ動かすこともできなかった。
「ああ、でも流石に二人で押せば動くだろう」
「でも私、そんなに力ないよ?」
「平気さ、軽く押してくれればいい」
少しだけカッコつけるようにそう言うと、俺は扉を全体重でこじ開けるように肩の方から扉に寄りかかった。それに習い、彼女も同じように扉を押す。
俺たちがその体勢のまま扉を押し、しばらくしたところでそれは小さく動き始め、そのまま慣性に頼るように押し込むとやっと人が通るスペースを確保することに成功した。
お互いに歓喜の声を上げ、床に置いてあった各自の荷物を手にし、部屋へ入った。
そこは、恐らくオウセンによって消されたであろう燭台の灯りのせいで前ほどの温もりは無かったが、顔を出し始めた日光のおかげでどこに何があるかは認識することができた。
テーブルについて一段落する。俺の向かいに座った彼女もだいぶ疲れきった表情を見せていた。
「ごめん、無理させちゃったか?」
「う、ううん。大丈夫」
言葉に詰まりながら、ひなたは冷静に湯呑のお茶を体内へ流し込んだ。俺も、先程の作業で完全に口の中の水分は弾け飛んでいたため、彼女が淹れてくれたお茶を急いで口に流し込む。
それが喉を通過した瞬間、俺の脳裏には毎年この時期になると口にするばあちゃんの麦茶が浮かんでいた。それと同時に俺の目頭は急に熱を帯び、視界は水面に映った景色のように正確な像を持たずに歪んでいた。
俺がそれに驚き袖で自分の目を拭っていると、彼女は俺に気を使うように下を向きながら寂しそうに呟いた。
「なんでこんなことになっちゃったんだろうね……」
今喋ると声が出ないような気がして、彼女の放った疑問に気の利いたことも言えないまま、俺は先ほど拭った涙で湿ったパジャマの裾を見つめ、過ぎてゆく時間を見送っていた。
続く沈黙の中聞こえるのは、お互いの呼吸音と時々啜るお茶の音だけ。俺はまたうじうじすることしかできない自分に苛立ちを覚え、硬い表情をしていたと思う。
その時、彼女が口を開いた。
「そういえば、自己紹介してなかったよね。私は、日向 茜。君の名前は?」
「俺は……如月 幹斗。どう呼んでくれても構わない」
涙を流した不甲斐なさを消し去ろうと、彼女から促された自己紹介に力強く答える。
「じゃあミキトくん……でもいいのかな?」
「あ、ああ」
自分で言い出したことなのに、いきなり呼び捨てにされたことに少々動揺しながら肯定する。女子に名前で呼んでもらうなんて何年ぶりのことだろうか。
そうなると、俺も名前で呼んだほうがいいのだろうが、いかんせん臆病者な俺は再び彼女を頼ってしまった。
「俺は、なんて呼べばいいんだ」
「うーん、同じように名前で呼んでくれればいいんじゃないかな」
「あー……じゃあ、アカネさんで……」
「あはは、なんでさん付けなの」
「そっちも君付けだろ……」
しかし彼女に指摘されたので、小さくアカネと訂正したが再び彼女に笑われてしまった為、俺はもうどうしたらいいかわからなくなり、それの場で小さくなっていた。その様子を見た彼女は、平謝りをして後、自分を落ち着かせるためか大きく深呼吸をした。
「改めてよろしくね、ミキトくん」
「ああ、よろしくなアカネ」
その瞬間やっと、初めて出会った時の上辺だけの絆は取り払われ、心からの信頼関係が芽生えたような気がした。
「ミキトくん言ったよね、ここが異世界だって」
「ああ、ほぼ間違いなく異世界だ。おかしな事が多すぎる」
「私たち、元の世界に帰れるのかな」
彼女が未だ見せたこともなかった弱々しい表情で俺の問いかける。それは同じ立場の人間だからこそ打ちかけられる考えであり相談だった。彼女は当然俺がその疑問に対しての正しい答えを持ち合わせていないことは知っていただろうが、心に溜まったままの不安を拭い去りたかったのだろう。それを察した俺はありもしない虚構の回答を彼女に渡した。
「帰れるさ」
それを聞いて彼女からは不安そうな表情がみるみるうちに消えてゆき、代わりにその白いきめ細かな肌を流れるように行き場をなくした涙が、それでも列をなして彼女の頬を伝っていった。
やがてはっきりと顔をのぞかせた朝日によって彼女の姿が照らされた。そこにいたのは、言葉通り容姿端麗で、絹のように美しく肩まで伸びた明るい茶髪を揺らしながら涙を流している少女だった。
年齢はやはり俺と同じくらいだが少し幼さの混ざった顔は穢れのない白が陽光によって照らされていた。
今まで意識していなかった彼女の姿をはっきりと確認し魅入ってしまう。まさしく高嶺の花というのはこういう人を指すのではないかと。
そんな俺の考えを置き去りにして、彼女はただ自分の中から溢れ出す感情を抑制できないまま、笑顔と涙を同時に咲かせ続けていた。その花は枯れることも咲き続けることも望まれない、唯一、人だけが育める儚い花だった。
八話も読んでいただいてありがとうございます。最近思ったことなんですが、やっぱりわたくしにパパッと展開を進ませる力はないようです。なのでこれからものっそりと書き進めさせていただきます。しかし、遅すぎる等の指摘があればやっぱり改善せねばですね。
それは、そうと最近暑い日が続いております。皆様いきなり始まった学校やお仕事で体調は崩されていませんか?本当に気をつけてくださいね。わたくしはもう既に腹を下しているんで心配無用です。
ただ最近年々夏日になるのが早まっている気がします。今日なんかはもういっそ小説書かないでプールに身を投げてやろうかという思いでしたが、午後から風が強くなったのでやめました。
はい、また長くなってしまうのでここらへんで切らせていただきます。このままのんびりと進みますがよろしければこれからも応援お願いします(感想やご指摘もお願いしますね)!