第二章 18『脱出』
突如現れたYの姿に動揺し、俺たちはそれぞれ手にしている武器を身構えた。彼女はそんな俺たちを見ても全く引く姿勢を見せることはなく、むしろ好戦的な目で唯一の脱出口の前に立ちはだかった。
武器の所持を除いても圧倒的戦略差が有るはずなのに、俺は彼女が持つ独特の雰囲気に飲まれかける。
「コノハたちがあんた一人にやられる訳無いじゃん」
「あら、どうかしらねえ。ちょっと私の事を低く見定め過ぎじゃないかしら」
「……じゃあ試してみる……?おばちゃん」
そう言った直後にコノハの周りには再びヒイラギとの交戦時に見られた濃縮された深緑のコアが轟々《ごうごう》たる爆音を奏でながら巻き上げられる。その溢れ出す殺気を初めて近くで浴びることで感じることが出来たが、コノハの潜在能力は俺やアカネでは手も届かないくらいの力の差があるようだった。
そんな彼女のコアが発生させる木枯しのような強い風を全身に浴びながら、Yは相変わらず弱者を見下すように小さく荒れるコノハに優しい笑顔で微笑んだ。
「おばちゃんじゃないわよ?失礼ね。そんな失礼な子にはお仕置きしないとね」
「やってみてよ……」
「うふふ、本当に強いのねコノハちゃんって。じゃあお望み通りお仕置きしてあげるわね?」
直後Yは目の色を変えてコノハに飛び掛る。
不意打ちとも呼べないただの捨て身の攻撃を仕掛けられたコノハは、真っ向から纏っていたコアを微量も残さずYの体へ解き放った。
「あはは!何これえ、涼しー!」
「―――!!うあっ!!」
確かにコノハの仕掛けた攻撃はYにクリーンヒットしたようだったが、当の本人はまるで微風に当てられたような反応を見せるだけだった。そして逆にYからの体当たりを真面に避けられずに俺たちが立つ後方へと吹き飛ばされたコノハは、吹き飛ばされ横たわったままの姿勢で異様な苦しみ方をし始めた。
「っ!!ぐ……あ……」
「コノハ!!!」
見えない何かに苦しめられるように体を反らせながら苦痛に顔を歪ませる。もがく様に両手で首元から何かを引き剥がそうとするその姿からは何が起きているのか全く理解ができなかった。
すると、またも饒舌になったYは娘を心配する母のように駆け足でコノハのもとへ近づこうと試みる。
「どうしたのコノハちゃん。苦しいの?」
「おい、てめえ。コノハに何しやがった」
「……あなたたちは属性研究課を舐めすぎなのよねえ」
「何だと」
「常日頃から数え切れない程の属性と触れ合ってる私たちが、元々自分が扱えていた純粋な属性を使用すると思う?」
そう言いながらほらほらと手を仰ぎながら体を揺らす彼女の周囲を注視すると、そこには非常灯が放つ僅かな光の中を漂うように浮かぶ小さな埃のようなものが確認できた。
彼女はその一角を掬い上げ、それをそっと頬に擦り合わせながら続けた。
「この小さな子たちは私の新しいコアなの。毎日の様にここを訪れる特殊な属性を持つ人たちから、少しずつ危険な性質だけをかき集めて集合させた世界にひとつだけのコア。菌属性のコアよ」
「菌……菌属性」
俺は少しだけ落ち着いたコノハを見ながらそのコアの性質を実感する。彼女がもがき狂しんだ際に必死で喉元を払っていたのは、恐らくYが放った菌類がコノハの気道を炎症させたか何かしらの毒素を体内に送り込んだからだろう。それは属性と言うには何かが違う、むしろ本物の細菌を使用した生物兵器にも思えた。
しかし幸いだったのは、すぐにでも窒息しそうだったコノハが、未だ呼吸は荒々しいものの少しずつ安定を取り戻していることだった。
俺はせめてYが生死に関わらない程度を見越して菌属性を使用したと思いたかったがどうやらそうではなかったらしい。
「ただ残念ね……まだ試作品みたいなものだから、少しでも耐性を持っている人に使うと気を失う程度までしか効果が無いのよねえ」
「お前、つまりコノハを殺すつもりでそれを使ったってことか?」
「うーん、どうかしらねえ。でもこれは彼女が望んだお仕置きじゃない。この子のパパをしてるあなただったらわかるでしょ?やりたくなくてもやらなくちゃいけない躾もあるって事」
オウセンはその言葉を受け、嘲笑うYに憤怒の相で歩みだす。
俺はその様子を見て必死で彼の着物を引っ張り、静止するように促す。そんな俺の行動が珍しかったのか、オウセンは鬼の形相は崩さなかったものの、すぐに足を止めて俺の方へ耳を傾けてくれた。
普段聞き手側に回り、実行すらしない俺が今回動いたのは勿論考えがあってのことだ。俺はその内容をオウセンに耳打ちした後に、それを実行するために今回の決め手であるアカネにもそっと声を掛ける。
上手く行くか分からないということも同時に伝えたのだが、二人共方少しでも可能性があるのならと快く引き受けてくれた。気を失ってしまったコノハを力の入らない腕で持ち上げ、なんとかおんぶすると俺は近くで困惑していたワカナにも計画を話し、脱走手段のすべての準備を整えた。
顔つきが変わった俺たちの姿を見て、有利に立ったYが得意げにコアを撒き散らしながら話しかけてくる。
「お話は終わったかしら?待ちくたびれちゃったわよ」
「優しいんですね、随分余裕が有るようにも見えますが」
「ええ?そう見える?そうかもしれないわね。私がただこの子達を遊ばせるだけであなたたちは気絶、うまくいけば死んでくれるし直接手を下す必要がないから楽だわあ」
「……そこまでして守りたい機密情報って何なんですか?」
「あははは、機密なんだから漏洩するわけないじゃない!おバカさんじゃあるまい――――」
そこまで言ってYは自分の身に降りかかる危険を察知し、回避の姿勢をとる。しかしその動きは間に合うこともなく、俺とコノハの影に隠れていたワカナが飛び出すと同時にYへ出来るだけ近い位置で発射した飛び切りの爆発を持つコアをもろに全身で受け止めていた。
噎せながらも撒き散らされた黒煙を振り払って、空気の濁りの無い場所へ退避したYは怒りに身を震わせていた。
「あなた……あなたたち……!!」
「余裕こき過ぎてまともに受けちゃったみたいですね、ユズナさん?」
「くっ……ああああああああ!!!」
俺の安い挑発を受けた彼女は半狂乱になりながら無様な雄叫びを研究所内に反響させる。俺はそんな彼女の追撃に気を付けながら確認すべきところをしっかりと眺める。
彼女が纏った菌が先程よりも激しく宙を舞っている。俺はその様子をしっかりと目に焼き付け、思考をフル回転させて出した結論をこの場の全員に届く声で叫んだ。
「やっぱりこいつの菌類は高温で活発になるタイプだ!これならやれる!」
その俺の叫びにハッとし、Yはついに弱々しい表情を俺たちに向ける。彼女は俺たちが突き止めた菌の弱点を補うための高温の物質を辺りに探しているようだがそんな都合良く行くはずもい。完全に立場の逆転したYに残された逃げ道は後ろの非常口のみ。
彼女は全速力で非常口へ近づくと、ドアに取り付けられたセキリュティパネルのようなものに震える手でパスコードを入力し始めた。だが、もう遅い。
氷山の一角に紛れていても違和感のない、透き通った青色の粒子を体の輪郭に纏いながらYに歩み寄った人物はその姿に似合う、か細く美しい声色ですべてに終止符を打つセリフを吐き捨てる。
「……春吹雪」
その言葉と同時に一瞬で大気に作り上げられた無数の端麗な氷の針は、高音の風きり音を周囲に響かせながら神速でYの居る非常口方面へ解き放たれる。
リズム良く壁や床へ突き刺さる鋭利な氷柱たちは、器用にYだけを避け、すべてその動きを止めた。確実に死を覚悟したであろうYは涙を流し、その場に倒れこんでいた。彼女の目の前に位置する非情口は半開きになっており、もう少しで逃げられて、また襲われていたかもしれないと思うと俺たちは自然を胸をなで下ろしていた。
そのまま皆振り返ることなく彼女の横を通り、春吹雪が放つ冷気により凍結し床へ落下したであろう菌類を、情けもなく音を立て踏み潰しながら、俺たちはYが必死で解き放った施設外へ繋がる扉から溢れる眩い陽光の中へと姿を溶かしていった。




