第一章 3『崖は高く空は広く』
「――ですか。」
頭の中に聞き覚えのない声が微かに聞こえ始め、ふわふわとした感覚と同時に頭部から激痛を感じ、勢いよく目を開ける。
視界いっぱいに広がるのは黄金色をした空と真っ直ぐに伸びた木々。どうやら俺は長い間眠っていたらしい。
しかし直後目の前に広がったその光景は、今まで生きてきた中でも稀に見ない美しさだった。
自分に何が起きたのか、という疑問より先に景色全体に魅入られていた俺は思考の回っていない頭に浮かんだ感想を口から漏らす。
「綺麗だ……」
「そんな、照れます」
「どぅわっ!」
一人呟いたはずの感想にまさか返事が返ってくるとは思わなかった為、反射的に奇声をあげ勢いよく体を起こした。と、同時に頭部に電撃が走る。
そのままズキズキと脈打つ頭を抱えながら、先程声のした方向に目を向けるとそこには、黒髪ツインテールの少女がジト目でこちらを覗き込んでいた。
「頭の怪我は大丈夫ですか?」
「え?」
この子はどうにも俺の心配をしてくれているようだった。最初は軽蔑でもされているのかと思ったその印象の強いジト目は、この子の普段の表情なのだということを察することができた。
しばらく言葉も出ないまま見つめられた状態が続き、気まずくなり始めた時に自分の頭に包帯が巻かれていることに気がついた。
「これ、君がやってくれたのか?」
「はい、結構ひどい傷だったので応急処置だけやっておきました」
淡々と説明をしてくれていたが、この少女は俺が起きるまでずっと介抱してくれていたのだろう。
さっきまで中腰で話しかけていたが、その体勢に疲れたのか時折体を右に左にと捻っている様子が見られた。
見ず知らずの俺をそこまで気にしてくれるなんてなんて優しい子なのだろう。感謝してもしきれない。
「ですが、いきなりの愛の告白は受け取れません」
「……はい?」
「先程の、愛の告白についてです。綺麗だ……などといきなり言われても、私、ワカナはお兄ちゃんから危険な人にはついて行くなと教育を受けていますので」
「いや、ちょっと勘違いをしていらっしゃいません?」
無表情のまま首をかしげている彼女からは箱入り娘オーラが放出され続けていた。恐らくつい今しがた彼女自身が口にしたワカナという名前は彼女のもので、そのお兄ちゃんという人物に溺愛され育てられたのだろう。基本的な教育を深く教えずに。
ただの景色に対する感想が求愛のメッセージだと認識されてしまったあたり、さらにはそれを断られ危険人物扱いを受けた俺は明らかに受けなくていいダメージを心に負っていた。
「まあいいや、助けてくれてありがとう」
「いえ、お気になさらずに危険人物さん」
「……俺の名前は如月幹斗だ」
「了解ですミキト」
そこは、さん付けじゃないんだ……。
しかし、話をしていてわかるが根は本当にいい子なのだろう。人の話もちゃんと聞いてくれている。
この子も田舎が好きで散歩でもしていたのかな。
「君……ワカナはここら辺に住んでいるのか?」
普段女の子を呼び捨てにすることは基本的にないのだが、向こうからは既に呼び捨てで呼ばれていたため、何のためらいもなく彼女を名前で呼んでいた。
そもそもの話彼女は名前しか名乗っていなかったから。
「はい、ワカナはこの森を少し北に抜けたところにある村に住んでいます」
「あはは、大げさだな。ここは森なんてほどきは生い茂ってないじゃないか」
「いえ……緑だらけですが……?」
この子は都会っ子なのだろうか。このあたりの林は背の低めの木ばかりで――。
――――あれ?
見渡す限りの深い緑。先程のモノリスがあった場所からは想像もできない程の深い森の中に俺たちはいた。気を失ったあと俺は一人でここまで来たのだろうか。
だとしたらさすがの俺でも現在位置が把握できない。どれほどの間一人で歩き続け、どれほどの間力尽きて倒れていたか把握ができていないのだから。
「多少の記憶喪失が見られますが、自分の名前は覚えていたのですから少し混乱しているだけでしょう。ワカナはそろそろ自分の家に帰ります」
「ちょ、ちょっとまって。ここってどこ?」
「ざっくりとした質問ですね。地名を答えれば良いのですか?」
「うん。教えてくれないか」
何を今更、と考えているのだろう。元々のジト目をさらに強めながら彼女はそのまま変わらず淡々と答える。
「ここは、五国所有の地《カンザシ》の中にある多きな森。特に決まった名前はありません」
「……五国?」
「はい、五国のうちのひとつカンザシです。これだけ言えば思い出せたですか?」
思い出すもなにも俺の記憶の中にそんな国名は刻まれていなかった。いくら普段から不登校・無勉強の人間だといっても一般知識は身につけている。あの林で気を失ったときに記憶の改ざんをされた?それはありえない。いくら科学が発達しているといっても記憶の一部を切り取って捨てることなど不可能だ。
「……とりあえず、私はもう時間なので帰らなければいけません。ミキトも体が回復次第急いで帰ってください」
そう言って彼女は、呆然としたまま動かない俺を置いて駆け出した。
しかし、去り際にふと思い出したように突然立ち止まり、薄い皮の上着をなびかせながら俺の方を振り向き一言彼女が言い放つ。
「夜が危険なのは、忘れていませんよね?」
その答えを待つ様子もなく彼女は俺の視界から徐々に遠ざかり、やがて見えなくなった。
夜が危険。彼女がその言葉を言い放ったときその声以外の音すべてが静止したように冷たく無音を奏でていた。
そういえば夕方に聞こえるはずのヒグラシの鳴き声が聞こえない。風も心なしか寒くなってきた。
そもそもここは―――日本なのか。
モノリスと出会ってから頭の回転がなかなか収まらない。もはや、包帯の内側から悲鳴を上げていた痛みを感じる余裕などなくなっていた。
「彼女の言う事を信じるならこのままここにいても危険なだけだ。安全な場所を探そう」
俺は力なく立ち上がると、来た道を確認しようと後ろを振り返る。
来た道、と言っても同じ景色を眺めることができるのはここが日本、もしくは地球だったらの話だろう。
少しの希望を持って重い頭を無理やり捻る。数時間同じ体勢で倒れていたせいか、こわばっていた筋肉が鈍い音を立てて擦れあう。
しかし、その一連の流れを通し体全体が団結して俺に見せた景色は、最悪の現実だった。
――――崖。大きな崖がそこにそびえ立っていた。
「はは……意味……わかんねえ」
確信した。ここは日本じゃない。少なくともあの田舎じゃない。いや待て、じゃあなんでワカナは日本語を喋って……。
頭の傷から血液が漏れ過ぎたのか、気力を失ったのかわからない。俺はまたへなへなと地面に座り込んでいた。
もう考えるのに飽きていた。もう一度寝てしまえば何もかも元通り、そんな気がした。
危険なことなんて何もない。ワカナはただ俺が見た幻か何かなのだろう。最後に、今日見たものすべては俺が日頃溜め込んだストレスで作り上げた妄想の世界なんだ、と言い聞かせてゆっくりと瞼を閉じた。
ガサッ―――。
周りの草木が強く揺れる音がする。
その音は、徐々にこちらに近づいてきている。明らかにそよ風になびく葉擦れの音ではないことが分かり、再び俺の心臓は鼓動を強めた。
夜が危険なのは、忘れていませんよね?
ワカナが放ったその言葉がより一層今の状況を悪いイメージへと膨らませる。
ガササッ――――!
俺の、視界の左端の草木が大きく揺れ、やがて真ん中から左右に裂けた。
俺は震えたままゆっくりとそちらに視界をずらす。
顔を上げた先にいたのは、驚いた様子で草木の間からこちらを覗く少女だった。
「――――人?」
俺と同じセリフを彼女もつぶやいた気がした。
さっきまで生暖かかった風は、既に冷気となり、光り輝くことを忘れた淡い紫色の空に徐々に包み込まれていた俺たちの間を流れ続けていた。
三話まで読んでいただき誠にありがとうございます。物語に展開付けるって難しいものですね、しかし三話にしてやっと、やっとですが小さな一歩を踏み出せたのではないでしょうか。
ペースは相変わらずですがなんとかひとひねり加えられた感じがします。
ただここのところちょっとショックなことが続いてまして……特に今日は車のタイヤ交換を行っていたらボルトをねじ切ってしまいまして。いやぁびっくりですね。
こんな感じのよくわからないテンションで投稿を続けているので謎の文章は以前より目立ってしまっていると思います。その際はご指摘いただければ幸いです……。
とりあえずこの先も今後ゆっくりではありますが書き進めたいと思いますのでよろしければ応援よろしくお願いします!(ほかの方の作品ももっとよみたいなぁ……)




