第一章 23『悲鳴』
無抵抗のアカネに能騎士の魔の手が差し迫った瞬間、彼女を横切るようにして再びあの赤い閃光が能騎士の体に突き刺さる。それが飛んできた方向を辿る様に目で確認すると、木の陰からオウセンが奴に向かって弓矢を構えている姿が見えた。
彼は再び弦を引き直すと、それを限界まで引き絞り奴に先程の痛みの余韻を与えることなく問答無用でそれを放った。
グルゴオオオオ……!!
鼓膜が引き裂かれるような大きさの爆発音が二度森林一帯を包み込み、破裂した液体から出た煙によって微かに視界が塞がれる。能騎士はそれを嫌がるように体を捩らせ、無理やり周囲に安定した景気を確保した。
お互いの姿をはっきりと視認できるようになった俺たちは、睨み合うように相手の出方を伺い合う。
「おい、キサラギ!アカネ!身動き取れない連中を早く安全なところまで運ぶんだ!」
「は、はい……!」
そうだ、能騎士の動きばかりに気を取られてちゃいけない。俺たち以外の殆どの前衛部隊は先程の能騎士の不意打ちの所為で自由に動き回ることができない為、誰かが避難させる必要があった。
俺は奴がオウセンの攻撃によって気を取られているうちに素早く行動に移ることにした。しかし、今さっきまで能騎士の殺気すら意識できないまま立ち尽くしていたアカネがそのままの姿勢で、未だに呆然としていた為、普段でかい声を出し慣れていない俺もその瞬間だけ無意識に声を張り上げ、彼女を叱りつけるように言い放った。
「アカネ、しっかりしろ!今は能騎士の反撃を食らった人たちを避難させるのが先だ!」
「う……うん……!」
俺はその声でなんとか我を取り戻した彼女と、二手に分かれて怪我人の救助に向かった。
時々彼女の様子が心配になり、離れた所にいる彼女を目で確認するようにしていたが、どうやら大丈夫だったらしい。彼女は近くにいた怪我人を手際よく介抱し、想像以上の力を宿していた禁忌の弓矢を所持しているオウセンの後ろへと人々を避難させていた。
俺も急いで残りの怪我人たちの応急処置だけ済ませると、彼女に習いオウセンの後ろに村人たちと一緒に身を隠した。
「くっそ、いきなり形勢逆転か?どうすりゃいいんだあのバケモノ」
「オウセンさん、なんでさっきアカネの春吹雪は弾き返されたんでしょうか」
「さあな、単純に相性の関係じゃねえか?」
「相性……ですか」
オウセンが放った火の矢が奴に大きなダメージを与えて、アカネの氷柱がまるで効かない相性。そう考えたときに俺の頭の中にふっと一つのイメージが浮き上がってきた。
「油……能騎士が纏ってる黒い液体は、油と同じような物なんじゃないでしょうか」
「あ、油だあ?そんなもんを体から吹き出してんのかあいつ。対したもんだ」
「そう考えれば相性的にも納得がいくんです。オウセンさんの他に火を操れる人はいませんか?」
オウセンの矢が奴に効果的なら、その規模を拡大させれば能騎士をダウンさせることも可能なのではないか。そこで俺は彼にその質問を飛ばしたが、彼は残念そうに首を横に振った。
「いや……居ないな……正確にはここにはいない……だけどな」
「どういうことですか?」
「……火の力を扱える奴のことを、前にお前はこの森で見たはずだぞ」
俺が以前に見たことがある人物で火の力を扱える人。そして今ここにその人はいない。
ああ、なるほどそういうことか。
「ワカナ……ですか」
「ああ……あいつのコアは火属性を秘めている」
「……でもワカナは村にいますし、そもそも今あの子の体調はどうなんですか?」
「体調は良好なはずだ、そもそもあいつは俺たちがここに向かう時に一緒に行くって言って聞かなかったんだ」
そうなれば、誰かがワカナを呼びに行って加勢してもらうことも可能、だよな。ただやっぱり彼女の容態が心配な所もあるし、そもそもこの状況で誰か一人でも欠ければ、怪我人を含めた残りのメンバーだけで凶暴性を増した能騎士とやり合う事になる。それは明らかに部が悪すぎる。
俺がひたすらに思考を回転させている間にも、能騎士とオウセンの対立は収まることなく、常に爆音と咆哮が交互になる響いている状況が続く。そして気が付けばその遅い足を常に動かし続けていた能騎士は俺たちの目の前にまで近づいてきていた。
遠距離にメリットを求められた弓矢が近距離戦に持ち込まれそうになっている中、オウセンは必死でその背後に抱えた俺たちを守るために一歩も引くことなく矢を射ち続けていた。
「くそ……くそ……!」
彼は、矢を射つ度にその口から滲み出る焦りを言葉にしていた。背中に背負った筒の中にあった矢はもう既に半分を切っている。効果有りと判断されたその矢の特性も放つ物自体が無くなればただの荷物になれ果てる。オウセンはきっと、それをすべて射ち終える前に奴を倒そうと考えているのだろう。だが今の状況でその願いは叶いそうもなかった。
打つ手がなくなるかと思われたその時、俺の後ろにいたアカネが突如口を開いた。
「……私が……ワカバちゃんを呼んできます」
「!?」
アカネが口にした言葉に俺は驚き、先程同じ内容について頭の中で考えた結果を彼女に話す。
しかし、それを聞いても彼女は自分の考えを改めようとしなかった。そうしないといけないと思ったのだろう。いや、確かにこの状況を打開できる可能性を持っているのはワカナであるのは間違いないのだが、彼女はきっと自分の中の罪悪感に今も尚追われ続けているんだと思う。
いかに難しい作戦かというのは俺もオウセンも、この場に倒れたみんなも重々承知していたが、もうそれしか方法がないくらいに追い詰められていた俺たちは、能騎士の進行を全力で防ぐ役割を担うことを約束し、彼女に全てを託すことにした。
「頼んだぞ……ただし無茶はするな」
「わかってます、まかせてください」
いつになく張り詰めた表情で彼女はそう答えると、すぐさまフユザクラの村を目指し、全速力で森の中を走り抜けた。風の様に俊敏に移動した彼女は一瞬にして森に巡る闇の一部へと溶けて消えていった。
グルルルルガアアアアアアアアア!!!
獲物を逃がした事に対し能騎士が再び渇いた叫びを轟かす。俺とオウセンは僅かに進行スピードを上げたように感じる能騎士に真っ向から挑発をぶちかまし、研ぎ澄まされた感覚と刃を奴の体へ向け、威圧するように構えた。
「こっからは本気で相手するぜ、バケモノ」
「お前には借りがあるからな……能騎士……!!」
そして俺とオウセンは同時に攻撃を仕掛ける。俺は頭上に持ち上げた刀を雄叫びと共に能騎士の土台部に思い切り振り下ろす。その瞬間に俺の頭上を掠める様にぼんやりとした余熱が風の中を泳ぎ、消える。オウセンが放った弓が俺の丁度真上を通過したのだ。彼が計算したように不意打ちで放ったその貴重な矢は、人型部の顔面を貫き、途中で静止した。
その能面の様な不気味な顔に、貫かれた衝撃で微かに縦方向にヒビが入る。パキパキと音を立ててそのひび割れを進行させる奴の顔からは、矢が纏っていた火が残した熱から出たと思われる煙がもくもくと立ち昇っていた。
その衝撃に怯み、進行していた足を止めた奴の胴体に俺からの重い一撃も加担される。刀を振り下ろした時に奴が胴体に纏っていた黒い液体が二・三滴辺りに飛び散った。
奴に一撃与えた俺は一度、逃げるようにして後方へ回避する。
「大丈夫か?」
「はい、でもあいつ……止まりましたよね……?」
俺たちの攻撃をまともに受けた能騎士はじわじわと続けていた前進もいつの間にか止めており、そしてまるで石像の様にピクリとも動かなくなった。未だに奴の顔から吹き出した白い煙だけが、戦闘が真実だと告げるように活動を続けていた。
「……倒したのか?」
「……油断はしないほうがいいです。前もあいつは生きていたんですから」
俺たちは慎重に、奴の巨体へと近づいていく。
その距離数メートルと言ったあたりまで近づいた時に、戦闘中には気がつかなかった不快な臭いを嗅ぎつける。その腐ったような臭いは、つい最近嗅いだ悪臭とそっくり同じものだった。そう、オウギの体や鍛冶屋の外壁を覆うように張り付いていたあの液体だ。やっぱり間違いない、あれもすべて能騎士の物だ。
「オウセンさん、この液体はオウギさんの体に付着していたもので間違いないです」
「やっぱりそうだよな、間違いねえあれは能騎士がやったんだ」
「いきなり高温になって蒸発を始めたりするので気をつけてくださいね」
「おお、まじかよ危ねえ……ていうかお前、その液体刀に引っ付いてるじゃねえか。大丈夫なのか?」
確かにそうだ、と俺はさっきの一撃でへばりついた液体を払おうと刀を左右に振ってみる。やはり前に見たものと特性は同じで恐ろしい吸着力を持っており、なかなか剥がれようとしなかった。手で触ると発火する恐れもあったため、そのままもう少し強く振り払おうとしたが、危うくオウセンを切り裂きそうになり、苛立った彼に頭を小突かれたのでとりあえず今は気にしないで放置することにした。
「というかこいつ、今のうちに刻んどいた方がいい気がしませんか?」
「あー……確かに、放っておいてまた復活されたんじゃ困るしな」
そう言って俺たちは固まったままの能騎士に先程よりも深い一撃を与えるために、武器を構え腕に力を入れる。矢を構えていたオウセンは勿体ないからといって腰からドスを引き抜いた。どうせなら二人で一箇所に攻撃を加えたほうが効率がよさそうだという話になり、俺は彼が準備完了の合図を出すと同時に能騎士の懐へ向かって飛び出した。
キャハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!
タイミングを見計らったかのように、突然能騎士は嘲笑うような甲高い笑い声を上げながら、初めに出会った時のように人型部を激しく揺さぶりながらカタカタと震えていた。
「やっぱ生きてやがったのかこいつ!!」
「オウセンさん、一旦距離を―――うわあ!!」
突如頬に何かが飛んできたかと思えば、それは十分に熱せられた金属の様に熱を持って俺の体を焼き始めた。気が付けば頬だけじゃなくパーカーやジーパンにまでしっかりと付着していた。俺は炎に包まれた箱に閉じ込められたかのようなその熱さに悶え、熱の逃げ場を探すように地面を転げ回った。
「キサラギ!!」
ふとオウセンの声が聞こえたかと思うと、彼は無様に暴れまわる俺を担ぎ能騎士の元から身を引いていた。奴から少し離れた事で、徐々に熱を引いたかと思われたその液体に意識を向けないようにしながら俺は能騎士の現在位置を目で確認した。
奴は、人型部を振り回しながら例のこの液体を雨のように周囲に撒き散らしているようだった。そして、俺が寝転がっていたと思われる場所には、隕石の様なドス黒い塊が水に花火を投じた時のような音を上げながら激しく煙を上げていた。きっと俺があの一撃を受けそうになった瞬間にオウセンが助けてくれたのだろう。
「ありがとうございます……オウセンさん」
「気にすんな、それよりそれは大丈夫か?」
「はい、今はなんともありません……」
「そうか、それなら良かった。咄嗟に奴の攻撃からお前を庇ったもんで、他の連中をあいつの近くに置き去りにしてきちまった、お前は一旦ここで休んでろ、俺があいつらをまとめてここに連れてくる」
そう言って俺を木陰に下ろし、オウセンは能騎士のすぐ横道に倒れている数人のもとへ向かっていった。
俺は自分の頬に付着した液体が気になってしょうがなかったが、熱せられる痛みがトラウマとなり触る勇気すらも湧いてこなかった。しかし、未だにこの液体の発熱条件が分からない。それさえわかればなにか打開策が見いだせるかも知れないのに。
俺はまだ僅かに頬に残る焼け焦げた匂いが鼻を刺すのを感じ、気分を悪くした。その際に少しだけ黒い液体に触れてしまい、その直後それはやはり激しい熱と蒸気を発しながら俺の身を蝕んできた。
言葉にならない断末魔を上げ続けること数秒、それはやっと収まったが、体力と共に精神面にも大きなダメージを与えてくるこの痛みにあと何回も耐えられる自信はなかった。
でも先程の体験で確実とは言えないが、この液体の性質はなんとなく理解できた。これの液体は衝撃を加えられると激しく発熱を繰り返す。きっとそうだ。
俺は新たに身を持って体験した貴重な情報を糧に、オウセンが戻ってくるまでの間能騎士の対策について再び考えを巡らせていた。
しかし、何も浮かばないままその時はやってきた。
「きゃああああああっ!」
少し離れたところから女性の悲鳴が俺の耳に届き、俺は下げていた頭を勢い良く持ち上げた。
「……アカネ、だよな?」
俺は今の悲鳴がアカネのものであると判断していた。能騎士が彼女の下にたどり着いたのか。いや、まだ俺たちの目の前に存在している。そうなると彼女の身に何が起きた。別の心吸狼たちだろうか。
それともやはり―――。
「……」
俺はそこで浮かんだ可能性に彼女の危機を感じ取った。どうか、どうか違っていて欲しい。
俺はそう願いながらオウギが口にした能騎士に次ぐもう一つのキーワードを、口から出した途端に消えるような小さな声で呟いていた。




