第一章 22『変貌』
周囲に張り巡らされた冷え切った空気を震わせるように、複数の足音がまばらにこだまする。勇ましいもの、僅かに恐怖に飲まれているもの、剽軽な性格が滲み出ているもの。それぞれがそれぞれの感情を明確に表しているそれは、これから始まるであろう能騎士との戦闘の結果に数え切れない程の分岐点を生み出すだろう。
だが今回俺たちはそう簡単にやられるつもりはなかった。この世界について何も知らなかった見ず知らずの俺たちにここで生きていく術を教えてくれた恩人が今、大切な人の仇を討つ為に覚悟を決めたのだ。
フユザクラの村人たちもそう。元々俺たちが持ち込んだ様な厄介事に最後まで付き合ってくれている。
少なからず伝説として語り継がれていた奴と対峙する事は彼らにとって相当な恐怖を感じているはずだ。そんな彼らを残して俺だけ逃げることなんてできない。なんとしてもこの戦いを終わらせてこの世界から帰る手段を探すんだ。
アカネと一緒に。
森の中心部位まで歩いた時に、先陣を切って歩いていたオウセンがふと立ち止まり、俺たちに静かにするようにと手で合図を送ってくる。俺たちは彼の言うとおりその場で足を止め、辺りの気配に集中する。特に変わった様子は見られない。
「……何も聞こえなくないか?」
「しっ……静かに……」
アカネに言葉を遮られる勢いで、沈黙を要求される。彼女は何か聞き取った様子で、多方向に目を泳がせながらその音の発信源を辿っていた。もう一度俺も皆と同じように感覚を研ぎ澄ます。
両耳に同じように響く自然の音。夜になり、昼間より微かに速さを増した風が耳の凹凸引っかかり、ざわざわとした雑音で聴覚を刺激する。
すると、俺はその中にほんの僅かだが異質な響き方をする音を見つけた。
カタカタカタカタカタカタ――――。
なんだ、何かが揺れている音?
それは明らかに自然が生み出す神秘的な調べを含んでおらず、俺たちと同じようにどこからかこの森に迷い込んだ別の何かが発していることが想像できた。
「……だんだん近づいてきてるぞ」
村人の一人が、ジリジリと距離を縮めてくる不気味な音に堪らず、強く結んでいた唇の線を解く。
その声に同調するように俺たちは皆一斉に、所持していた武器に手を掛けた。俺の背中にすっかり馴染んだ名前入りの刀は、来るべき時に備えその刀身に悠々たる力を蓄えているかのように普段よりもずっしりとした重さを含んでいた。
カタカタガサガサカタカタガササッ―――――!!!
隊の前列の人々が向き合っている草むらが、異質な音と葉擦れの音で不協和音を生み出しながら激しく揺れる。その音の正体は、俺たちが安全な距離を取る暇も与えることなくその陰から顔を出した。
「……おい、なんだこれ」
オウセン以外の人々はその姿に感想すら浮かべることができなかった。
そこから現れたものは、軽自動車ほどの大きさの土台とも言える体から黒い液体を絶えず放出しながら、その上に生えた人型の部位が台風に巻き込まれた案山子の様に激しく体を揺らしながらこちらに前進してくる怪物だった。
それが這う様にしてこちらに近づいてくる度に、足跡の様にその後ろに長く残された黒い液体のカスは煙を上げながら蒸発していた。
「……上のあの人間みたいな部分……まさかこいつ、能騎士か……?」
最初見たときは気がつかなかったが、目を凝らすようにその姿を観察してみると、その物体には能騎士にあった特徴が所々に確認が出来た。
俺の言葉を聞いて顔を引き攣らせていたアカネも今度はまじまじと奴の姿を確認し、それが恐らく能騎士である事に気が付く。
「本当に……生きてたんだ……でも何でこんな、前はもっと違った形だったでしょ……!?」
「俺も理由は良く分からないけど、前よりやばい匂いがプンプンするよ……こいつ」
カタカタ―――カタッ……。
「!?」
ゴルグアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
突如人型が荒ぶる体を鎮めたかと思えば、体のどこからかかつて奴と対峙した時に聞いた覚えのある咆哮を放った。しかしそれは以前よりも感情というものを乗せて叫んでいる様子はなく、ただ単に予告なく訪れる生理現象のように渇いた声だった。
そこから察するに奴は姿だけでなく、その性格すらも変貌してしまったようだった。
「行くぞ!!お前ら!!!」
禁忌の弓矢を構えたオウセンがそう叫び、俺たちはそれを初めに一斉に奴への初撃を与えるために初めの一歩を踏み込んだ。
俺たちの闘気に当てられ、周りの木々もその身を揺らし葉を散らす。
その落ち葉すべてを一撃で射抜くように、俺を含む前衛部隊の後方から放たれたオウセンの矢が俺たちより先に能騎士の下へたどり着いた。
赤い閃光のように炎をまとったその一線が能騎士の黒い液体部に突き刺さると、やがてその一帯を風船の様に膨らませ、能騎士が驚きその重そうな体を後ろに仰け反らせた瞬間に――――爆音とともに破裂した。
グググゴルゴアアア……!!
異様な姿に変わった奴であったが、痛覚は残っているようでその爆発の痛みに悶えるように醜い体を左右に揺らしていた。それに伴い、奴の周りにはその黒い液体が飛び散っていった。
爆発によって液体が剥げた部位がこちらに姿を見せる。そこにはかつて奴の行動をすべて統していたと思われる白い心吸狼が僅かに白骨化した状態のまま丸い塊となって液体に覆われているのが確認できた。
恐らく、俺たちに倒されたあと奴らは何らかの理由で共存を辞めたのだ。今奴の全てを操っているのは人型の部位なのだろう。そう考えると移動のステータスを捨て、凶暴な見た目へと姿を変えたのも納得がいった。
グガアアゴガアルアアアアア!!!
オウセンから受けた一撃により激昂した能騎士が鈍い足を全力で動かし、こちらに突進してくる。
それを見た俺たちは怯むことなく手にした刀の切っ先を目指すべき奴の体へと滑らせる。
「奴の腕についた槍の伸縮に気をつけろ、追撃を仕掛けてくるぞ!」
俺はそう叫び、先に突っ込んだ数人の後に続いて背中の刀を思い切り引き抜き、その引き抜いた時の初速に重さを乗せるようにして奴の体に刀を振り下ろした。
直後想像通り奴は俺の体めがけてその腕を伸ばし追撃を狙ったが、一度経験していたこともあったため無駄な動きもなく華麗に回避を決めることができた。
俺の後に続き、一人また一人と連携を決めていく。刃が擦れる音が能騎士の巨体をなぞる度に奴の断末魔の叫びが鼓膜を揺らした。
連携の最後の一人となったアカネが両手で短剣を構えながら奴の体をめがけて勢い良く突っ込む。
「はあああああああ!!」
彼女の短剣が薄水色の輝きを纏う。その瞬間大きく飛び上がった彼女は自分の体に回転をかけ、そのまま流れるようにその光の全てを能騎士に向けて放った。
彼女が得意な技、春吹雪だ。その壮麗な無数の光の束が鋭利な氷柱に姿を変え、容赦なく奴の巨体に突き刺さる。
グルルルルル……ゴルガアアア!!!
その凄まじい勢いから、確実に仕留められただろうと悟った俺たちが、彼女の下に駆け寄ろうとした瞬間にそれは起こった。奴は効果抜群と思われた体に刺さった無数の氷柱を勢いよく体から射出したのだ。
奴から仕掛けれられたまさかの不意打ちに俺たち前衛は一瞬で隊列を乱す。
「ぐあああっ!!」
「ああっ……ぐあっ!」
能騎士の近くにいた前衛陣数名の体に弾かれた氷柱が突き刺さる。それは傷跡周辺に凍傷の後を残して散ったが、その攻撃を受けた村人の大半が狙われたかの様に脚部を貫かれていたため想像以上の被害を被っていることは間違いなかった。
「嘘だろ……アカネ……!大丈夫――」
俺はその攻撃を放ったアカネのダメージを心配し、彼女に目を向ける。
「……私の技で……みんなが……嘘……」
アカネは能騎士に向き合ったまま、硬直していた。彼女は自分で放った技が能騎士によって弾かれたため、自分のせいで皆がやられたんだと自分を責め、その結果精神のバランスが崩壊しているようだった。
「アカネ……!逃げろ!」
無抵抗な彼女に対し、攻撃を受けた恨みを晴らすべく能騎士がどんどん彼女との距離を縮めていく。俺は彼女のもとに走り出したが速さ的に能騎士が先に彼女にたどり着くのは明白だった。
初めてこの森でアカネを出会った時の事が今目の前に鮮明に蘇っているような気がして、置いてきたはずの俺の恐怖心が再び掛けていたはずの心の空白に巣を作った。
頼む届いてくれ……!!!
どこまでも付きまとう恐怖心を疎みながら、俺は震える足で大地をしっかりと踏み込みながら目の前に迫る絶体絶命の光景に対し、かつての自分には無かった抗いを見せていた。




