第一章 20『ワカバ』
一瞬でも懐かしい顔に希望を見出してしまっていた自分に後悔しつつ、俺は正確にこちらを捉えた彼の弓の射線上から逃れるようにして森の中に飛び込んだ。
後方で矢が刺さる音が響く。それも先程とは尋常じゃない量の本数だ。
「舐めてたのは俺の方だった……!」
しかし、今更そんな事を思っても事態が急変することはなく、より一層怒りに身を委ねた彼らを都へと向かわせるだけだった。
森を駆け抜ける自分を追いかける怒号。木々を間を縫うようにして抜けるも、それはしつこく俺の周りにこだましていた。
くそ、くそ……どうする……!
そう思った時に、背後の集団の中のハバラと思われる人物が俺に最悪な取引を持ちかけてきた。
「オウセンー、君が持ってる武器を全部捨てて降参してくれれば僕たちはハナクラキョウを攻めるのを辞めよう。どうだい?簡単なことだろう?」
突然の交渉に、俺だけでなく彼らもざわめき始める。俺は動きを止めた様子の彼らに合わせるように立ち止まり、木の陰からその気になる内容について聞いた。
「そんなうまい話があるわけ無いだろう」
「本当だよ、信じてくれ。とにかくもう一度話がしたいんだ」
相変わらず明るく振舞う調子のいい声に気を狂わされながら、俺は恐る恐る彼らの前にもう一度その姿を現した。その時間を巻き戻したかのような見慣れた光景に反応して、右腕の貫通した矢が再び熱を持ったように俺の体に痛みを広げる。
先のやり取りで出ていた冷や汗が、風によって仄かな熱を吸収され俺の全身に悪寒を走らせる。
「ありがとう、オウセン。出てきてくれたんだ」
「さっきの話は本当なんだろうな」
「ああ、本当だよ。この交渉に乗るかどうかは君次第だけどね」
そう言っていたずらに笑みを浮かべる彼の顔は俺を小馬鹿にする表情をしていたが、都を第一に考えていた俺はそんなこと気にすることもなく手にしていた刀をハバラに向かって投げつけた。
呆気なく怪しい話に乗ってきた俺を見て彼らは呆然としていたが、俺はその行為を恥じることなくただ真っ直ぐに彼らを見据えていた。
「それが君の答えなんだね」
「ああ、そうだ」
目を閉じて、うんうんと頷いた彼は俺の真後ろを指すように手を振り下ろすと、後ろの集団に向かって言い放った。
「全員、放て」
その掛け声と共に、俺を目掛けて飛んできたのは赤いコアに包まれた無数の矢だった。俺は身を翻し、なんとかそれを避け切ったが、放たれた矢の方向からは軽やかなリズムでパチパチと何かが燃える音が響く。どうやら森に火が放たれたようだ。初めから俺ではなくそれを狙って射ったのだろう。ハバラは綺麗に伸ばした手をゆっくりと下げながら、再び冷酷な笑顔をこちらに向ける。
「オウセン、君は本当に馬鹿なんだね」
「てめえ……」
俺は一張羅の着物の裏に隠していたチャクラムを取り出し、風のコアを纏わせると思い切り奴らの方向へ向けてそれを投げ飛ばした。甲高い風切り音が停滞していた気流を乱しながらハバラの待つ部隊の中に飛び込んでいく。
それは数十名を切り刻み、赤い霧雨を周囲に撒き散らした所で土を抉るようにして地面に突き刺さった。
一瞬にして怒号は悲鳴に変わる。ハバラの指示によって武器を捨てた俺が丸腰と踏んでいたのだろう。
俺が同じ遠距離武器を携えていると知った彼らの行動は迅速だった。
誰かに指示を煽るわけでもなく次第に士気を取り戻した彼らは、個々の行動ではありながらも隊列を乱すことなく隙のない陣形のまま俺のもとへ突撃した来た。
後ろで音を上げながら、色濃い緑を燃え上がらせる森の叫びが俺の耳に届いた気がした。
その時の俺の心には、もう既に忠誠心とかいう雑念は消えていたのだろう。俺の体はただ単純に、今持つ力の全てを解放し自分の居場所を守るために戦うことを望んでいた。
「なんだ……やれば出来るじゃないかオウセン!!!」
ハバラは悪意に満ちた目と口を楽しそうに歪ませながら両手に構えた弓矢を引き直す。
俺も残っていたチャクラムを両手に構えながら、感情に身を任せて奴らの部隊に突っ込んだ。
手の平に食い込むように握られたチャクラムの痛みなど感じられないほど、俺は奴らを憎んでいた。恨んでいた。殺したかった。
「俺の……俺の森を返せええええええええ!!!!」
そうして俺は意識のないまま獣のように数時間、只管に暴れ続けた。
喉が焼けるほどの大火の中、炎熱によって揺れる空気を纏いながら善悪構わず切り捨てる最悪の戦神に成り果てて。
しばらくして、その場に静寂が訪れる。
俺の目の前には無数の亡骸が転がっていた。
「……終わったのか」
立ち上った煙の所為で青々としていた長閑な空は姿を消し、代わりに現れた灰色の雲から冷たい雨が降り注いでいた。
俺は、それを全身に浴びながら嘘のように静まったハバラの前に足を運ぶ。彼は仰向けに力尽きたまま大事そうに弓矢をしっかりと握り締めていた。
「お前が、お前らがこんなことをしたから……!」
俺はハバラの持つ弓矢を無理やり彼の手の内から引き離す。彼が握っていた箇所に滴った誰のものかも知れない血液が、雨粒によって流され薄く溶けていく。微かに残ったハバラの体温すらも彼の体と同じように生きた証を拭うようにやがて消えた。
森を守るために戦った、いや、都を守るために俺が身を投じた結果が招いた惨状がこれか?こんな残虐に終わる道しか俺たちには残されていなかったのか。
いや、違うだろ。
「俺が……悪いんだ……」
これまでの行動を全てやり直したいと願うがそれは叶わない。俺が選んだ行動が数え切れない程の選択肢からこの結末を引き抜いたんだ。だから俺が全部悪い。
都の為、森の為?俺の為だ。
「俺は……ただの人殺しだ……!」
かつての知り合いとの再会は、俺の人生を大きく捻じ曲げることで終わりを迎えた。もう訪れることはない再会を報酬として。
それから俺はハナクラキョウから逃げるように、ひたすら都とは反対方向へと歩き続けた。
三日四日、もしかしたら一週間は経っていたかもしれない。そのまま飲まず食わずのまま照りつける太陽と安寧を奪う月に見守られること約数週間。
見知らぬ森に突入した時に、とうとう俺を動かす最後の糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
もうダメだ、いやこれでいいのかもしれない。
乾いた唇を舌で潤す気力も力もない。数週間も右へ左へと歩き続けてきた足は突然訪れた休息によって痺れ、あの時から握ったままのハバラの弓は、彼の最後と同じように硬直する俺の手の平で握り締められていた。結局、人間最後は同じように命を散らすんだな。
すべてを受け入れ、瞬きを忘れたように虚ろに開いたままの瞼を閉じた瞬間俺の頭上から草木を分ける音が聞こえた。
獣か、いっそ綺麗に跡形もなく頬張ってくれや。
俺は僅かに逸れた意識を再び自分の終わりに集中させる。つまんねえ人生だったなあ。
頭の名で誰かが呼ぶ声がする。でももうそんなのは関係ない。俺はどっちみちここで死ぬ。
全身が温まるような感覚を覚えた直後、俺は意識をそっと闇の中に沈めた。
「――ですか」
頭の中に聞き覚えのない声が微かに聞こえ始め、重い瞼を開けると同時に全身が動かせないほどの筋肉痛に襲われていることに気がついた。
「痛っつ……」
「大丈夫ですか?」
もう一度聞こえたその声にハッとして、俺はそこに顔を向ける。そこには、肩の下まで伸ばした艶のいい黒髪を、炎に照らされ白く反射させながら、手にした果物を食べやすい大きさに捌き、こちらを心配そうに覗き込むキャミソールのような布に身を包んだ美しい女が居た。
「誰だお前は……」
「私ですか、私はワカバといいます。あなたは?」
「……俺は……オウセンだ……ここは何処だ、俺はなぜここにいる」
俺がそう問うと彼女は一度持っていた果物とナイフを近くのテーブルに置き、こちらに向き直ってから口を開き始めた。
「オウセンさん。私はあなたが森で倒れているのを見つけてここに運んできました。ここは私の家です」
「ここは、ハナクラキョウ……じゃあないよな」
「ええ、ここはそんないいところじゃありません……ところでオウセンさんその弓矢はあなたのものですか?」
彼女はあからさまに俺の質問から話題をずらすと、俺がハバラから奪い取った弓矢を指差し、そう言った。これは俺が人を殺し奪い取った戦利品だなんて言ったら彼女はどんな反応をするだろう。すぐにここから出て行くように言われてしまうかもしれない。
一度命を拾ったことで揺らいでいた俺の生存本能が嘘を付けと囁いてくる。それに従うまでもなく、俺の口は慣れたように真実と異なった内容を言い放っていた。
「ああ……これは俺のものだ」
「……」
彼女は平然と嘘をつく俺のことをジッと見つめ。それに気づいたように静かに微笑むと思いもよらない反応を見せた。
「嘘はつかなくてもいいんですよ」
「え?」
「私、人が嘘をついてるかどうかすぐ分かっちゃうんですよね」
人の顔色を伺っていたのはそういうことか、やられたな。これで俺は息をするように嘘を付く人間だということが彼女に露呈してしまったわけだ。そうなればもうここには居れない。彼女も見ず知らずの嘘吐き人間と同じ屋根の下で過ごしたくはないだろう。
俺は無言で立ち去ろうとするが、バキバキに硬直した筋肉がそうはさせまいと俺の体を縛り上げる。
「ダメですよ。安静にしてないと」
「は?なんでお前はそこまで俺の面倒を見ようとする」
「うーん……なんででしょうねえ」
「……お前バカだろ」
もうどうにでもなれ、と俺は思ったことを堂々と彼女に告げる。さすがに彼女もカチンと来たのだろう、俺に少し強めに反論をしてきた。
「命の恩人に失礼じゃないですかそれ!」
「助けてくれなんて言ってねえ」
「素直じゃないですね……」
彼女は頬を膨らませながら、そっぽを向いた。その時に照らされた横顔は彼女の純粋な性格を露にするように、不満で赤く赤面した様子をはっきりとこちらに伝えてきた。その姿に俺も気を許してしまい、思わず強張っていた口元に笑みを浮かべる。
彼女なら、今の俺を受け入れてくれるかも知れない。俺の頭の中にはそんな考えが浮かんでいた。
「なあ……さっきの話……本当のことを話してもいいか」
「はい、オウセンさんがそれでいいのならば」
そして俺は結局ここに至るまでの経緯を事細かに彼女に伝えた。話を聞いている間の彼女はとても悲しそうでとても苦しんでいるように思えた。こんなに性格のいい娘を俺の罪の話で苦しめているという現状に耐えられなくなることがしばしばあり、話を止めようとしたが、彼女はそれを拒み俺は最後まで自分のした事を全て吐き出した。
「――それが、俺がやったことだ」
長い時間を費やし、自分を擁護するように綴ったその物語は彼女にしっかり届いていた。
「……話してくれてありがとうございます」
「どうだ、こんな男さっさと追い出したほうがいいと思わないか?」
「……」
彼女は黙った。さすがにそうなるだろう。別に俺は彼女に否定して貰いたくてこ自分の罪を告白したわけじゃない。むしろ逆に全てを吐き出させてくれて感謝したいくらいだ。俺はもうここに用はない。出て行けと言われれば潔く出ていく。
そんなことを思っていたら、彼女の口から当然の言葉を浴びせられる。
「……人殺しは良くありません……そんな事をする人のことを受け入れようとは思えません」
「当然だわな、まあそういうことなら俺は今すぐここから出て行くよ世話になったな」
俺は未だ解れる事を知らない筋肉に負荷を掛けるように起き上がる。しかし、その瞬間彼女が俺を勢いよく押さえ込んできた。全身を伝わるように電気が走ったような痛みが体中に与えられる。
「いでええっ!!何しやがる!!」
俺は流石に悲鳴を上げた。だがそれを気にすることもなく彼女は続きの言葉を話す。
その内容は俺の耳を疑うものだった。
「……でもあなたは違います……あなたは大事なものを守りたかったから……咄嗟にやってしまっただけ……ただ人殺しを楽しむ野蛮な人とは違います……」
必死で弁明する彼女の顔は大量の涙が流れるように頬を伝っていた。人殺しを反対する気持ちと残念な俺の行動を肯定する気持ちが複雑に絡まりあった結果彼女の中の正義同士が対立してしまったのだろう。
純粋な彼女を再び苦しめてしまったことに同じような罪悪感に心が蝕まれる。
「……人殺しは人殺しだ……変わらねえよ。この弓矢もそいつらから奪ってきたんだ……俺はとんでもねえ罪人だよ。異常者に成り果てた俺の居場所は、あの日からどこにもなくなっちまったんだ」
「……じゃあ、ここに居場所を作っていいですよ。私にあなたを見捨てることなんて出来ません」
「お前……本気で言ってるのか……」
彼女は泣いていた顔を恥ずかしげもなく俺に向けると、無理やり作り上げた笑顔で俺の質問に答えをくれた。
「ええ……人殺しはもうしないと約束してくれるなら……」
「そんな事……こっちだって二度と御免だぜ」
俺は新しい居場所をくれた彼女に、不思議な感情を持ち始めていた。この笑顔を見るたびに俺の心を締め付けるようなその気持ちは、生まれて初めて感じるものだった。
それが何かは後々気づくことになる。
「オウセンさん……実は私も言わなくちゃいけないことがあります……軽蔑されるかもしれませんが」
「ん?なんだ」
溢れる涙をある程度ぬぐい去り、俺の方を真剣な表情で向き直す彼女に少し不安になる。
少し言いにくそうに重い口を開いた彼女は、申し訳なさそうに小さくなりながら自分の立場を俺に紹介した。
「私のいるこの村は、フユザクラです……わかりますよね?」
「…盗賊村……だろ」
「ええ……私たちは世間から見れば数え切れない程の罪を重ね、それを日常として生きてきました。そもそもオウセンさんのした事をはっきり責められる立場じゃないんです……申し訳ありませんでした」
頼むからそんな悲しい表情はしないでくれ。
俺は君に助けてもらっただけで、本当に返しきれない恩がある。俺の全てを聞いても受け入れてくれた君に伝えたいことがたくさんある。そもそも、君は俺と違って自分たちがした事と向き合う力があるじゃないか。俺もぜひ、その仲間に入れて欲しい。
「それなら俺も、君と一緒にここで自分の罪を償っていってもいいか?少しずつ、最後まで」
俺が告げたその言葉は、再び彼女の美しい顔に笑顔を作った。
「――はい……!」
彼女はただ一言はっきりとそう言って、お互いの立場と向き合う俺を、心から受け入れてくれた。




