第一章 1『夏菊を添えて』
全身から汗が滲み出る。
騒々しくも清涼を感じさせる蝉の声が、暑さに負けて畳の上に仰向けで寝転がる俺の耳に突き刺さる。
冬でもないのに、呼吸をする度に口から吐き出される吐息は白息の様に揺らいでは消えているように思えた。
「みっくん、麦茶入れたわよ」
「いつも通り氷ガッツリ入れといて!」
そう告げた直後に俺の頭上であり、後ろから聞こえた声の主は既にこちらに向かってきていた。
その手は二本のグラスが乗せられたお盆を震えながらもしっかりと掴み、俺のリクエスト通りの大量に氷の入った麦茶を台所から居間までの距離を慎重に運んで来ていた。
「あんがと、ばあちゃん!」
「みっくんは冷たい麦茶好きだもんねぇ。ばあちゃんは歯が染みちゃってダメだい」
そう言いながらもこちらに微笑みかけるのは言うまでもなく俺の祖母である。
俺は毎年夏休みを利用して、大好きな田舎のばあちゃんちを訪れていた。と言っても、幼少期に両親を失った俺からすれば、愛情を求め行き着いた地がここだったに過ぎない。
ここには勉強を強要してくる人もいない。料理も、掃除も、洗濯も。
一日中寝転がっていようが、俺にちょっかいを出してくるのは耳元をうろつく蚊ぐらいだ。
だから俺はここが好きだ。同級生や先生たちの、叔母さんや叔父さんたちの目の届かない、自然全てが俺の味方をしてくれているような。そんな、蒸し暑い緑に囲まれたこのトタン張りの家が。
大好きだった。
「また……きちゃったよ、ばあちゃん」
目の前の墓石に花を添えながら呟く。中腰になり、持参した新聞紙にライターで着火し、それを火種に線香にも火をつける。
澄んでいながらも、どこか濁っている相変わらずの空気に懐かしさを感じながら深呼吸をした。戻れるならあの頃に戻りたい。見るもの全てが大きくて、一人駆け回ったあの木々の隙間すべてが物語の一ページに感じられた時代に。
今日、二〇三四年・八月・十三日。先の昔話から十年とちょっとが経った世界。
この俺、如月幹斗は今年十七歳を迎えた高校二年生である。
中学に上がってから対人関係で少々トラウマを抱えており、今では立派な引きこもりだ。
そんな俺にとやかく言う人間はもういない。いるのは陰口を叩く俺の引き取り手の方々のみだろう。
応援してくれる人も……いなくはない。
ただ、迷惑を掛けたくない。
そんな積もり積もった思いを抱えて、昔懐かしのド田舎に荷物を抱えて無い金掻き集めて来てしまった。
一概に引きこもりとは違うのではないかと言われる気もするが、引きこもりは引きこもりで外に出たい時だってあるさ。
周りの圧力が怖いだけ。それを振り払えば行動を起こす事なんて容易だ。
ただ今後外出するときはもうちょっと服装にこだわった方がいいな、と照りつける太陽に似合わない七分袖の白いパーカーを二の腕あたりまで捲くり上げ考える。
唯一救いだったのは、心地よい風が足元を吹き抜ける設計のジャージを下に履いてきていた事だった。
「散歩でもしますかね」
誰に言うわけでもなくただ一言吐き捨てる。
先程まで墓石に向かって合わせていた手が汗で湿っていた。
祖母に相談したいことは山程あるが、死人に口なしという正論を述べながらもある種にとっては残酷な言葉を噛み締め、俺は祖母の墓石から立ち去った。
俺が去った後の墓前は、先程自らの手で備えた夏菊が人肌には感じられないほどのそよ風を受け、心地よく揺れていた。
僕たちは異世界と未完成の上で踊る。一話読んでいただきありがとうございます!
先程プロローグを投稿したのですが、先に一話文の内容を執筆してしまい、迅速な投稿となってしまいました……。少し薄い内容になってしまいましたが次回から本編が段々と濃くなって行くと思いますのでぜひお時間がありましたら読んでいただけたら光栄です。これからも(よろしければ)応援よろしくお願いします。




