第一章 12『置き去りと驕り』
アカネたちを追い村を後にした俺は、無我夢中で深い闇に包まれた森を走り続けていた。ここへ来る途中の道までこだましていた村人たちの叫びを振り払うように、俺は腕を全力で振りながらその見えない残響の中を行き先も分からないままかき分けるように進んだ。
辺りが完全に木々に囲まれた所まで到達した時に、遠い場所で激しい光が放たれるのを確認する。凄まじい轟音と共に小さくなっていくその薄水色の光は、オウセン宅で特訓した際にアカネが放った『春吹雪』の色と酷似していた。
「……そっちか」
一瞬だけ聞こえたその音から戦闘音ではないことを察した俺は、移動し続ける彼女らに遅れないよう即座に先程の閃光が視界に残していった仄明かりを追いかけた。しかし、どこを見ても差異が感じられないその忌まわしい景色に翻弄され、俺は再び目印のない深淵の中に取り残された。時偶どこからか響く爆発音が木々の隙間を掻い潜って俺の耳へと運ばれたが、それは例えるのなら鏡の迷宮に一人放たれた子供がどこからか響く母親の声を頼りに出口を探す様な感覚で、ここの地理を完全に把握している人間にすらそれが意味を持たない物だとはっきりと理解できた。
ただ、あの音の先には彼女たちがいる。それは、ほぼ間違いないだろう。俺がどうやってもう一度彼女たちの痕跡を探るか考えていると、後ろから微かな吐息音が聞こえ振り返る。
そこにはやはり、一瞬頭を過ぎった最悪な光景が広がっていた。
グルルル―――。
餌の匂いを嗅ぎ分けながらこちらと距離を詰めてくるそれは、俺に何度も不快な体験をさせた獣の姿だった。奴の足裏に張り付いた肉球は、その巨体から生まれる重い足音を吸収し、相変わらず不気味に生えた蛇の尾はしつこいようにうねりながらこちらを嘲笑うかのように、時折口元の小さな穴から長い舌を揺らしていた。
「やっぱいらっしゃいますよね……」
森に入った瞬間からこいつらと出会う覚悟はしていたが、オウセンの家で対峙した心吸狼とは違い実際に真正面から向き合うとなるとやはり威圧が違う。お互いの野生本能が織り成す静寂が、全身を鳥肌で埋め尽くしていく。
肉食獣に襲われないままただただ睨まれ続けるという異様な時間に耐えられなくなり、俺は刀を両手で絞るように握り直し、奴に向かって突っ込んだ。俺が切って走った後の風が、地に落ちた枯葉をもう一度宙へと誘うように周りに小さな気流を作り、巻き上げる。
やがて、その浮いた葉のすべてが力を失いもう一度地面に着地すると同時に俺は刀を奴に向け、上空に弧を描きながら、嘗て奴の同種を殺った時と同じように思い切り刀を振り下ろした。が、その一撃は諸刃の剣にすらならず、俺の体もろとも後方へ吹き飛ばされた。
「ぐはっ……!」
空中に投げ出された俺の体は、受け身を取る事なく無様に地面に叩きつけられた。腹部から広がる鞭に弾かれた皮膚が痺れる様な痛みは、獣の背後からこちらに牙を向ける蛇が全身を撓らせながら仕掛けた体当たりによるものだった。
一時的な戦闘が起きたにも関わらず、獣の本体は両足を揃えたまま餌を待つ犬のように静かにこちらを眺めているだけだった。
「舐めやがって……俺にはお前らをぶっ倒すことが出来るんだぜ」
そんな小物感満載の言葉を吐き捨て、軋む体を抑えながら無理矢理立ち上がる。一度受けた痛みにより感覚が麻痺した俺は、恐怖という感情を忘れ狂ったようにもう一度奴に突進する。今起きていることが夢だと錯覚しているかのように興奮した体が僅かに武者震いを起こす。
その瞬間体の内側が、熱を持ったかのように急激に熱くなった。
「なんだ……!?」
俺は自分の体を襲う異変に、高まる戦意を忘れその場に立ち止まる。それを好機と捉えたのか今まで何も反応を示さなかった心吸狼は大きく遠吠えを上げると、地面を蹴りながら一直線に俺の下へ突っ込んできた。
奴の間合いまで詰め寄られる寸前で気を取り戻した俺は、出来る限りの力を振り絞り奴の体へ刀を滑らせた。すると、刀が奴の体に触れる直前に赤黒い光が刀から周囲に撒き散らされ、一瞬の静寂をもたらすと同時に勢いよく空から奴の体へとそれは雨のように降り注いだ。赤黒い雨の様に。
斬撃と謎の光を集中的に浴びた獣は、見るも無残な姿で俺の目の前に転がっていた。その後、その死体は以前の獣と同じように塵となり、その場に不気味な玉を残して消えた。以前のようにそれを掬い上げるとやはりそれは俺の体へと浸透していった。
「この玉は何なんだ……というよりさっきの光は……」
そこまで言いかけたところで、俺の頭に一つの答えが浮上した。
「もしかして……コア……か?」
光を放った直後の言葉にできない気持ちの悪い感覚が僅かに俺の手の平を駆ける。心吸狼の討伐に二度も成功し、無意識のうちにコアの開栓にまで成功していた俺は、この世界に来て初めて刀を振ったことで傷めた腕の筋肉の痛みにも気づくことなく、アカネたちの様に戦う力を身につけた自分自身に完全に浮かれていた。
もう一度感覚を掴むべく、思い切り刀を振るうがコアは現れない。その回数を重ねる度に腕が悲鳴を上げるだけだった。やっと刀を持ち上げられなくなる程筋肉を酷使した事に気が付いた俺は、その状態ではありながらも無謀な賭けを思いつく。
「もう一回……あいつらとやりあえば……」
直後その機会は望まずとも俺の目の前に顔を出した。
ゴルルルルガアアアアアアアアア!!!!
耳を抉るかの様な咆哮と共に目の前の大木を薙ぎ倒し現れたのは、今まで目撃した奴らの大きさとは比にならない大きさの、奇怪な形をした心吸狼だった。周りに生えた草木を盛大に揺らすほどの悲しげなその声は、仲間を亡くした事に対し号哭しているかのようだった。
その生物は、背中に生えた人を模した体で俺の姿を確認すると、怒りを顕にしながら俺のもとへ向かってきた。初めは真っ直ぐに向かい合っていた俺だったが、全てに物怖じることのないその姿に圧倒され、寸でのところで奴の脇へ回避する。
奴はその動き瞬時に察知し、俺が回避をした方向に体を捩らせながら鋭利な腕を伸ばしてくる。見事俺の足を貫いたそれは、肉の感触を確かめるように二度ほど傷口を抉るように回転した後、勢いよく引き抜かれた。
「ぐ……あっ……!!」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い―――!!
いきなり引き裂かれた血管は、戸惑うように激しく脈を打つが止まることを許されるはずもなく、心臓から無理やり押し出された血流は、決壊したレールをはみ出し体外へと放出され続けた。
右脹脛に空いたその穴から香る鉄の匂いと激痛で喉から吐き出されるはずの悲痛な叫びは、引き出されることなく代わりに俺の頭の中をかき回し続けた。
一度俺の足を貫いたことで正気を取り戻したのか、先程まで暴れまわっていたその生き物は本来の風格を漂わせながら、少しの抵抗も見せないまま横たわるだけの俺に少しずつ歩み寄ってきていた。徐々に迫りくる死の恐怖から逃げるように俺は匍匐をしながら奴とは真反対の方向へ体を這わせる。
傷を負った状態のまま逃げ切ることが出来るはずもなく、一瞬にして僅かに空いた間合いを詰められる。振り返りながらも必死で背を向け這い続ける俺を憐れむように一つの唸り声を上げると同時に、奴は不気味なその体から生えた槍を勢いよく俺の心臓めがけて突き出した。
ああ、終わった――――。
「はあああああっ!!!」
死を覚悟した直後に奴の背後に現れた影は、眩く青い閃光を放ちながら目の前の巨体へと飛びかかる。それに気が付いた獣は俺への攻撃を中断し、反射的な動きでその光に槍を伸ばすが、既にその青い光は奴の体を包み込み、やがて四散していった。
獣は低音と高音が重なり合ったようなうめき声を上げながら大きく仰け反り、風のように木々のへと姿を消す。その姿を確認していた俺は、俺に迫るもうひとつの驚異に気がつかなかった。
バチン!!
この世界に来て初めての夜に味わった痛みと音が俺に襲いかかり、それと同時に俺の体は無理矢理仰向けにされ、そして叱りつける声が目の前から放たれた。
「なんで君がここにいるの!!!!」
それは探し求めていたアカネの姿だった。彼女が言った言葉は当然のことであり、彼女が俺に対して怒っているのも理解は出来ていた、が足元の痛みで俺はそれどころではなかった。
俺の行動に違和感を感じ、彼女は俺の視線と同じ場所へ目を向ける様子をとると、一瞬の驚きを見せたもののすぐさまその傷口に向けて何かをやり始めた。
彼女の手からは白い光が放たれていた。治癒の光だ。
オウセンがあの時説明した通りの効能を持ったその光は瞬時に俺の傷を癒し、何事もなかったかのような状態にまで回復させた。落ち着きを取り戻した俺に対して彼女は真剣な眼差しでもう一度疑問をぶつけてくる。
「教えて、どうして君がこの森にいるの」
俺はいじけるように顔を逸らすと、小さくそれに応えた。
「俺にも戦えると思ったんだよ」
「なんでそんな事……」
「村が襲われた時に、心吸狼を一匹倒したんだ……」
その言葉を聞いて、彼女の怒りを含んだ表情は一瞬にして焦りに変わる。
「村……?村が襲われているの!?」
「あ、ああ……状況は最悪だ……」
それを聞いて彼女は、ゆっくりと彼女の後ろからこちらに近づいてくる巨大な人影に向けて俺の言葉を伝言した。
「オウセンさん……!」
その人影はオウセンのものだった。俺たちの会話が聞こえていたのか、アカネが言葉を言い終える前にオウセンの顔が険しくなっているのがわかった。オウセンは一度止めた歩みを再開しながら俺のもとへ近づいてきて、そして俺は思い切り胸ぐらを掴まれた。
「村の連中は無事なのか!!!!」
「……」
俺は何も言えなかった。オウセンにそう言われた瞬間に村で起こったあの光景がもう一度脳裏に蘇ったからだ。嫌な汗が俺の頬を伝い、地面に落ちたところで、オウセンによって僅かに持ち上げられていた俺の体は再び地に足をつけた。
「お父さん」
彼の後ろに隠れていたのか、それとも影になって見えなかっただけだったのか、いつの間にかそこにいたワカナがオウセンに声をかける。それが彼に届いたのかは定かではないが、掴んでいた手を離すと同時に彼は一人歩き出し、吐き捨てるように俺たちに言った。
「俺は、村へ戻る」




