帰らざる者たち
第一次、第二次と二回にわたって真珠湾に攻撃をかけた日本軍。第一次攻撃隊は雷撃隊の魚雷攻撃や、艦爆隊の飛行場爆撃によって多大な損害を与えていたが、第二次攻撃隊は見た目ほどの被害を敵に与えられていなかった。
「赤城」艦爆隊第二中隊長の阿部善次大尉は、激しい弾幕を潜り抜け見事命中弾を与えたが、命中させただけの効果があったとは思えなかった。
もちろん中には桜井のように、第一次攻撃隊の討ち漏らしを攻撃できた搭乗員もいたが。真珠湾東側の燃料タンクや、艦艇修理施設、潜水艦基地、西側の弾火薬庫集積地などを攻撃したほうが効果があっただろうと後に語っている(実際にこの攻撃で燃料タンクを残した事でアメリカ軍の反撃開始を早める結果となっている。)
第二次攻撃隊の攻撃も、およそ一時間にわたって行われた。
淵田中佐は、第二次攻撃隊が帰還した後、真珠湾上空を一回りして戦果を確認し写真を撮影した。
戦艦四隻は撃沈、三隻は大破行動不可能、あとの一隻は中破と認められた。
ハワイの飛行場はすべて大火災になっている。空中に敵機は確認できず。ハワイの戦力の半分は撃破できたと判断された。
この攻撃で圧倒的勝利を得た日本軍だったが、当然ながら損害は皆無というわけにはいかなかった。第一次、第二次の攻撃で二十九機が還らなかった。アメリカ軍に比べれば僅かな損害だが、彼らが帰ってこないことに変わりはないのである。
その中でも「蒼龍」の戦闘機隊第三中隊長飯田房太大尉は、戦死の瞬間を確認された数少ない搭乗員である(大半の航空機は格闘戦や対空砲火で一瞬にして墜ちていくので、個人の確認は不可能に近い。)
飯田大尉は飛行場上空で空戦を行った後、地上銃撃に移った。銃撃が終わった後で集合した時に、部下が燃料が漏れているのを発見した。だが、機体には大きな被害はないようなので、無事に「蒼龍」まで帰還できるだろうと部下は判断していた。
飯田大尉は部下が集合したのを確認すると、部下達に帰還進路を明示し、手を振った後に突如として飛行場に急降下を開始した。再び銃撃をするのだろうと思った部下が数機続いたが、飯田大尉はそのまま格納庫に突入して自爆した。「蒼龍」まで帰還できないと判断しての自爆と思われる。
また、大尉は出撃前に「母艦帰投不能と判断した場合には、捕虜にならずに自爆せよ。」と訓示しており、自ら率先して示したものとも考えられる。
飯田大尉と同じく「蒼龍」の搭乗員で艦爆乗りの丸山賢治三飛曹と桑原秀安二飛曹のペア、川崎悟三飛曹と高橋亮一一飛曹のペアは、それぞれ敵艦に突入自爆した。この内の一機が、突入前に「蒼龍」に、
「我、今ヨリ敵艦ニ突入セントス」という電文を送っている。
「蒼龍」の艦橋でこの電文を受け取った、後に烈将と呼ばれる第二航空戦隊司令の山口多聞少将は、「蒼龍」艦長柳本柳作大佐に言った。
「謝ス、と返電してください」
山口少将は南雲長官からの無線封鎖の指示を無視して返電せよというのだった。少将の決意を感じ取った柳本艦長は、ただちに「謝ス」と返電した。
一般的には飛行機でも戦死といえば撃墜のみと思っている方も少なくはない。しかし、実際には敵地で燃料タンクに穴を開けられたり、操縦員が負傷したりして帰還が不可能と判断した場合には、自らの命をもって敵に損害を与えるべく突入し自爆することはあった(これは、戦争末期の日本に代表される特攻精神ではなく、アメリカ軍にもミッドウェー海戦などで同様の事例が見られる。ただし、日本軍の方がそういう事例が多いのは確かではあるが。このあたりは民族性の違いであろうと思われる。)
彼らの壮絶な自爆は、桜の散り際の儚なさを美徳とする日本人にとっては、尊敬すべきところもあるかもしれない。だが、これより先に徐々に激しくなっていく戦いの中で、多くの優秀な搭乗員が帰還の可能性と途中で墜死する可能性を天秤にかけ。海に墜ちるくらいならと突入を選び、生き残れるかもしれない可能性を捨て、敵に損害を与える道を選び戦死していく。
もう一つ、彼らが自爆を選んだ理由を付け加えるとするならば、それは日本軍機の防御性能の低さがある。極端な例でいえば、戦争末期に搭乗するF6Fは七.七ミリ機銃を全弾使っても墜ちないことがあったのに対し、零戦に代表される日本軍機はスピードと航続距離を求めた結果として、当たり所が悪ければ一発で撃墜されることもあった。
いずれにせよ彼らの壮絶な覚悟とその最期は見る者の心を震わせるが、それは同時に敗北を早める一因にもなってしまうのだった。




