カイの努力
カイside
目が覚めるとそこは、見慣れたICUだった。
何で自分がここにいるのかわからなくて、僕はぼっと天井を眺めていた。
「…今村くん?」
看護師さんに呼ばれ、ほんの少しだけ首を動かす。
自分の体じゃないみたいで、返事をすることも手足を動かすことも出来ない。
それぐらい、僕は眠っていたのだろうか…?
「カイくん、大丈夫か?」
僕の担当医が、笑顔をほころばせながら聞いてくる。
僕はやっぱりほんの少し、頷いた。
「検査するね」
再度頷き、僕は眠りに落ちた。
再び目が覚めた場所は、見慣れた病室だった。
さっきよりも、手足を動かすことが出来る。
誰もいなかったので、ナースコールを震える手で押した。
何も言わなかった…否、何も言えなかったけど、ナースコールに出てくれた看護師さんは、わかったみたいで。
担当医がやってきた。
「カイくん。大丈夫?」
疑問系で聞かれたけど、声が出ない。
なので、頷いた。
「まだ体力が戻っていないから、話せないんだろうね。
首を動かすことは出来るみたいだから、それで答えてね?
無理しないで良いから」
こくり、と頷いた。
「まず、手始めに。
今村魁…自分の名前は覚えてる?」
頷いた。
自分のことも、家族のことも、覚えている。
「数か月前、発作を起こして、意識不明だったんだ。
今は、大丈夫みたいだね」
「……は…い……」
掠れた声を出した。
担当医が、嬉しそうに笑っていた。
「ともかく、今日は様子見だね。
どこか痛い場所とか、具合悪い場所ある?」
「…ない、です……」
「じゃあ、今日はゆっくり、安静にしていて?
何かあったら、すぐにナースコールを押して」
「…わかり、ました……」
担当医が出て行き、僕は天井をぼっと見つめた。
そして、意識を失う前のことを思い出す。
独りだった病室。
大通りから見える、憧れの景色。
そんな中現れた、“あの子”。
僕は数日前まで隣で笑っていたあの子のいたベッドを見た。
本当は数か月前見たいだけど、僕にとっては数日前の出来事に思えた。
誰もいない、シーツが畳まれたベッド。
僕がこの病室にいない間、ここの病室には誰もいなかったんだ。
僕が意識を失う前、あの子はまだ足に包帯を巻いて座っていた。
僕がいない間、あの子は元気になって退院して行った。
…お別れも、言えないまま。
「…………っ」
何故か、涙が溢れた。
慣れない手つきで、流れる水を拭うけど、どんどんこぼれ落ちていく。
拭うだけじゃ止まらないから、僕は拭うのを止めた。
手で拭かれなくなった涙は、シーツにどんどんこぼれ落ちて行った。
「……ハル、ナ…さん………」
僕はそっと、涙声であの子の名前を呼んだ。
それだけで溢れてくる、あの子への想い。
あぁ…僕はやっぱり、あの子が好きなんだ。
あの子に、会いたい。
あの子の、話を聞きたい。
あの子の、笑顔を見たい。
灰色だった僕の世界に色を付けてくれた、あの太陽みたいな笑顔に。
「…会いたい……」
生きて、健康になって、会って。
万が一のために書いておいた手紙の通りに。
あの子に会って、自分の気持ちを、伝えたい。
それから僕は、成功率が低い手術を受けることを決めた。
元々、手術を受けるかどうか選択を受けていた。
だけど、成功率が低く、下手すれば死んでしまうんじゃないかと言う難しい手術。
成功すれば、僕はずっと憧れていたあの景色のように、元気よく走りまわることが出来る。
でも、初めて選択を受けた日、僕は怖くなった。
死んでしまったら…そんな考えが頭をよぎって。
死にたくなかったから、僕はその手術を拒んだ。
だけど今、僕は担当医に受けたいと告げた。
生きて、健康になって、あの子に会いたい。
手紙に書いたんだ、会いに行くまで待っててほしいって。
好きな人がいるかもしれない。
付き合っている人がいるかもしれない。
だけど、初めてのこの気持ちを、あの子に知ってほしくて。
例え哀しい結末を迎えたとしても、気持ちを伝えられたのなら、後悔はしない。
僕はあの子に、ハルナさんに、告白することを決めた。
だから僕は…手術を受ける。
「下手したら…死んじゃうかもしれないよ?
それでも、大丈夫?」
「平気です」
「手術の日まで少し辛いかもしれないけど、耐えられる?」
「耐えてみせます」
「…わかった。
じゃあ今日から、手術を受けるため、やることがあるから、やって行こう」
「はい!」
そう、力強く返事したけど。
現実は厳しかった。
長時間に及ぶ難易度の高い手術なので、体力が必要だ。
つい数日前まで眠り続けていた僕は、体力がない。
最初は、体力を付けるために、ご飯をいっぱい食べるようになったんだけど。
量が多くて、小食だった僕にとって完食は難しかった。
最初の方は、ほんの少し食べただけでも、気持ち悪くなって戻してしまったり。
食べては吐いてを繰り返し、やっと人並みに食べられるようになったのは、一か月ほど経った日のこと。
それでも足りないと言われ、頑張って押し込んでは吐いてを、また繰り返した。
そして出来る限り、院内を散歩するようになった。
点滴を引きずりながら、あてもなく歩きまわった。
最初はほんの少し離れただけでも苦しくなって、病室に戻された。
だけど食事と違い、繰り返して行けば段々体も慣れてきて、昼休み中の担当医に付き合ってもらって病院の庭の散歩も出来るようになって来た。
「ゲホゲホッ、ゴホッ」
「カイくん、平気か?」
「大丈夫です…」
「無理するんじゃないよ」
何度も咳きこみながら、僕はご飯を食べる。
キツいけど、大丈夫。
これも全部、僕が決めたことなのだから。
僕は深い息を吐き、再び箸を手に取った。
そして迎えた、手術の日。
僕は朝から緊張していた。
ご飯も最初に比べて、随分食べられるようになり、ここ最近は完食が出来るようになって来ていた。
「今のカイくんなら、手術が終わるまで体力持つと思うよ」
「はい…」
「緊張してる?」
「そりゃ…まぁ…」
「平気だよ。
カイくん、最近頑張っていたからね。
愛の力って凄いなって、オレ素直に感心したよ」
「愛の力って…!」
「本当のことだろ?
ハルナちゃんに会いたいから、頑張ってるんだろ?
十分愛の力じゃないか」
「……そう、かもしれません。
僕は、ハルナさんに会いたいです」
こくん、と力強く頷くと、担当医は笑ってくれた。
「…じゃあ、そろそろ始めようか」
「お願い、します」
麻酔をうたれ、段々眠気が襲ってくる。
僕はゆっくり、瞼を閉じた。