現代農家の次男が不思議体験
*注意*
一般的ではないと思われる名詞、単位などが作中で使われていますが、作中において説明などは一切ありません。
ニュアンスで読み流せない、自分で調べるのは面倒だという方には薦められない作品となっております。
上記の点を理解した上でお読みください。
ベッドの中でうつぶせのまま目を開けてぼーっとして、たぶんそろそろ三十分経った。目が覚めてすぐに半分以上意識が寝ている状態で時間を確認したのが五時半くらいだったから、六時にセットしたアラームが鳴ったら起きよう。それまでは何をするでもない現代日本における至福の一時に全身で耽溺するのだ。
世界から戦争がなくならない理由を考え、雌伏の一時に耽溺するって字面はエロいかもしれないと気づいたときアラームが鳴った。さー、今日も張り切って畑を起こしましょうかね。
仕事用に肌触りと安さ優先で選んだ見た目がアレな七部袖のTシャツを着て、ジャージのズボンと靴下を履いて部屋を出る。そしてすぐ戻り靴下を一組掴んで再び部屋を出る。また昼に履き替える靴下を忘れていくところだった。汗でビタビタになった靴下のまま家の中を歩き回るのはなるべく避けたい。昼と夕方に家に入るときに足を拭くタオルも裏口に置くのを忘れないようにしないと。
そんなことを考えて、数秒後には忘れて、階段を下りているとなにか違和感がある。でも眠いから違和感なんて放置でとりあえずゴハンゴハン。
階段を下りてリビングに入るとすぐに違和感のもとに気づいた。物が少ない。リビングの端っこにあった兄の邪魔くさいルームランナーとか、ハンガーラックになってた親父のぶら下がり健康器とか、人に触られるとフライパンで殴りかかるくらい気に入ってたオカンのダメソファとか。でも皆様からクソ邪魔くさい死に腐れと好評の俺の揺り椅子はある。
結論は出た。
夜逃げだな。俺、おいて行かれたのか……。
冗談はさておきマジでなんだこれ。現状について観察と考察を続ける。やっぱり野菜グラノーラは趣味じゃない。フルグラは牛乳かけてレンチンするのが好きだから野菜グラも温めたけどこれ冷たかったらまた違うのかな……もう一食分残ってるし次は冷たいまま食べよう。それにしてもなんというか、最近の若いもんはレンチンとか使うのかね。近頃の電子レンジはピーヒャラ鳴るじゃないか。チンっつってわかるのかね若いもんは。
温かい野菜グラを食べながら考える。マジでこれ夜逃げでおいて行かれたのかな。
結論が出ないまま食べ終え、皿を洗い、食後の百パーセントオレンジジュースをジョッキで飲んでるときにふと電話が目に入った。
親父なりオカンなり麗しの兄上様なりに電話かけてみれば宜しいのではなかろうか。
家電は繋がりませんでした。これ今の若いもんは以下略。家電だと固定電話じゃなくて携帯電話かもしれないよね。さすがに固定電話を携帯してるヤツはいないだろうから今度から家電じゃなくて固電って呼ぼうかな。
さて次は自分のケータイから電話をかけようとなったところで部屋に忘れてきたことに気づく。ああ、仕事中に使う林檎がトレードマークの音楽プレイヤーももってきてない。
部屋に戻ってガラケーを開いてすぐに閉じる。初めてこの部屋で圏外表示見たわ。
さてどうすっか。どうしようもないし、お金もないし、昨日のうちに言われてた今日の仕事をしますかね。コウコウセイともなれば出費が大きくなっていけませんわ。家の手伝いでバイト代をもらえるのは良い。ロウドウキジュンホウとか下手な人間関係とかまるっと無視できるのがいい。
現状においてわからないことが多すぎて思考停止と現実逃避を採択。つなぎを着て頭に埃よけのタオル巻いてフィルター取替え式のマスクを着けてイヤフォンを耳にさしながら家を出た直後に思考再開と現実を直視することを強制された。
百五十メートルほど先にあったお隣さんの家やら倉庫やらはどこに行ったのかしら。ついでに言うと家からかすかに見えた四方を囲んでる山々の皆様もどこへ行ってしまわれたのかしら。あとは家の裏の山まで仲良く寄り添って続いてた道と川も家の前には跡形もない。というかそもそも山に囲まれて起伏の激しかった我が家の周囲は地平線が見えるんじゃないのかってレベルの平地になってた。なにこれ怖い。家の中うろついてるときに窓の外も視界に入ってたはずなのにまるで気づかなかった。先入観怖い。
恐怖に慄きながらふと気づく。平らじゃなくても地平線って言うのだろうか。
呆然としながら間違えて持ってったニーソックスを返して欲しい歌を聴きながら口ずさみつつ家の周りをぐるっと回ってみた。
見える限り山が全部なくなっている。見覚えのない森が家の裏手の畑の向こうにある。家の前にあった道と川がない。でも家を出て右手側三十メートルぐらいのところを家の裏手の森から家の正面に向かって川が流れてるっぽい。川のそばに池があるように見える。家の正面一帯が畑になってる。基準点が家だから位置関係を考えると全部家のって言葉が着いてややこしいな。
ウチの倉庫類は全部あるっぽい。緑屋根のD型倉庫が三棟に、家と一体型の車庫に、ソリとか入ってる車庫と、車を入れてるのを見た事がない車庫と、トラクターを入れる車庫と、見覚えのない温室と、給油タンクがいちにーさんし。うん。余計な物も含めて全部ある。
家の周りにあったあれこれも……何があったかは覚えてないけど記憶にあるのは大体ある気がする。トラクターとトラクターとトラクターと豆トラとフォークリフトとトラックと軽トラックとトラクターの後ろにつけるアレコレとか自走式のアレコレとか。うん。乗用車が全部ない。
あるはずの物がなくて、ないはずの物がある。俺これなんていうか知ってるわ。最近流行りのTSでしょ。うちの土地がTSしたと仮定するならば、元の性別がどっちだったのかが重要だ。つまりあるはずの物とないはずの物はどっちが男のアレでどっちが女のアレなのか。
馬鹿なこと考えはさておいて、よく見たら電線もありませんわコレ。え、冷蔵庫の冷子さんはちゃんと中の物冷やしてくれてましたよ。扉開いたら中の明かり点いてたし。冷蔵庫を女性形で例えるのやめたほうが良いな。なんかエロイ。いや、男性形でもダメか。
いや、そうじゃなくて、テンパってんのかな俺。むしろ冷静のはずがないか。つまりテンパってるのは異常な状態における正常な状態なのか。
だからそうじゃなくて、電気はアレだ、親父の趣味の太陽電池パネルだ。たしか結構な数のパネルがあるはず。「停電になってもうちは自家発電で普段どおりに電気が使える(はず)」が親父の自慢だった気がしなくもない。風力とか水力にも手を出そうとして、もう要らないだろってオカンに毎度しかられてたから発電自体はなんとかなってるはず。どっかに計器みたいなのもあったと思うし。そんな親父をしかるオカンだけど、オカンの趣味は食料の貯蓄っていうね。夫婦仲良いよね。趣味が行き過ぎて猟銃の所有資格取って猟友会にも登録してたはずだし。でもオカン、熊狩りに参加されると一家一同心配なので鹿で満足してください。
電気は使えても、まあ、たぶん、おかしくない。太陽発電は親父の趣味であって俺は良く知らないし。でも水道ってどうなんだ。皿洗ったんだから水は出てた。ろ過装置なんてうちにないよな……ろ過装置ながめてハアハアするのが兄貴の趣味だったけど、さすがに家には設置してなかったはず。家継いだら絶対買うって言ってた気がするし。つまり、うちに水源となるものはない。ってことはどっかから水が供給されている。地面掘って水道管を確認するのは現実的じゃないよなあ。どこ掘ればいいか分からないから家の周りをぐるっと掘ることになるし、深さも分からない。水道管の確認は究極的な手段として保留しよう。水は使える。それでいいじゃないか。止まったらそのとき困ろう。ああ、いや、見覚えのない家の横にある川から水が引かれてる可能性もあるのか。じゃあ、朝飲んだりした水はろ過もなにもしてない川の水……考えるの怖いから保留ホリューっと。
電気、水ときて次はなんだ。食料か。食料は家横の車庫にある冷凍ストッカーのストーカー君一号、二号と地下室にオカンコレクションがあるはず。あとまだ五月に入ったばっかりだから倉庫の予冷庫の野菜にも無事なのはあるだろ。
ストッカーをストーカーって最初に言い間違えたの誰だったかな。
こうして見ると家族の趣味に感謝するけど、あの人たちは何と戦っていたんだろうか。木材チッパーとペレット製造機を買いたいとかあの三人で話してた気もする。確かに暖炉はありますけどそこまで自力に拘るのはなぜかと気に……ならなかったわ。そういう家族だもん。あの人たちを駆り立てていたのはなんだったのだろうか。それは今は良いか。ただの趣味って可能性もあるし。実用的だけど費用的には理解できない趣味ですね。趣味なんて他人が見たら大概が同じかもしれない。
食料の有無は大切なのことなので、気づいた今善は急げとぐるっと確認してきた俺エライ。軽く小走りしていやに苦しいと思ったらマスクつけたままだった俺はドジっ子属性をもらえるかもしれない。
家横車庫の冷凍ストッカーと地下室のオカンコレクションはどっちもあったから食料はしばらく大丈夫。車庫には今年の家庭菜園につかう苗とか種とかあるし、足りなくなる前に自給できると思いたい。現状がまるで理解できてないけど、救助というかなんというかそれ系が遅くなるなら乾麺ゆでただけの食生活を経験する前に家庭菜園は形にしよう。
ああああああ。考えちゃった現実的なこと考えちゃったもう馬鹿ああああ。
まじで意味がわからない己のこの現状をシャウトしたいと思います。
耳につけっぱなしだったイヤフォンからちょうど流れてきたココアソーダクエン酸を一曲まるっと屋外で熱唱して落ち着きをとりもどした。
うん、俺もう大丈夫。全部が海の色に溶けてもあなたの声が聞こえるし問題ない問題ない。イヤフォンでそれなりの音量の音楽聴いてるはずなのにくすくす笑い声が聞こえるのもきっと気のせいだから問題ない問題ない。
これきっとあれだから。主人格の俺がうろたえてるの見て俺の別の人格が笑ってるのが幻聴として聞こえるだけだから。きっとそのうち二十四人の俺はみんな先生になって本が出版されるから大丈夫大丈夫。
ホラー苦手なんだって。怖いからくすくす笑うのやめてくれないかな。ちょっと泣きそうなんだけど……。
半泣きになりながら車庫にある野菜あれこれの苗やら種やらを確認したら、記憶にある分というか毎年作ってる野菜は全部あったので安心した。苗はあんまり放置するのも怖いから一週間以内には植えないと。それくらいならこのままでも大丈夫だと思うし。でもやっぱり一週間は不安だから今日中に植える所作っちゃってさっさと植えようか。
一人で畑作るところからやるにしても三日はかからないだろう。家庭菜園の畑ってどのていど手入れたっけなあ……他の畑と同じだっけ。いきなりハロウ入れたら刃が痛むし、スプリングハロウにしても同じだろうからおとなしくサブソイラーからでいいか。
畑作ったらマルチ……の前にハウス建てないと。うわー。一人でビニールハウス作るとか苦行だ。三人いても一日かかるのに一人でとか。そもそも鉄パイプにビニールかけるのは一人じゃ無理だ。
現実的なことを考えて現実逃避をしていたら、これからの作業に頭を抱えて現実逃避から逃避したくなった。
家庭菜園を放棄するのと一人でビニールハウス作る苦行を秤にかけて、食料を補充できないなら生卵がなくなったときにどうしたらいいのかを考え始めた俺の視界に温室があることに気づいた。見えていても認識してないものっていっぱいあるよね。家の周りぐるっと回って見つけた見覚えのない温室を放置してたんだった。
温室か。そういえば温室のあるあそこってビニールハウスなかったっけ。今年ももう作ってあったはずだよな。だから野菜の苗買ってきたんだろうし。
ビニハちゃんあなたなの? いつの間にこんな大きくなっちゃって……。
ここから見る限り、あの温室さんはビニールじゃないみたいですがきっとうちのビニハちゃんだ。うちの建築物の中にしれっとさももとからここにありましたみたいな雰囲気でいらっしゃるしうちの子でいいだろ。そもそもここがどこかわからないとか頭おかしい状態なんだから、土地の所有権とか建物の所有権とか不法占拠とか気にしても仕方ない。それに俺が住んでた親父所有の建物に酷似ってレベルじゃないくらいほぼ同じ建物ばっかりだから、ここらの物件の所有権は親父がいない今きっと俺が権利を主張しても問題ない。主張する相手がいないとかそういうのはあるけどあれだ。実行占拠とかあるし良いだろ。うん。自己正当化は完了だ。
ぱっと見た感じ、温室は幅二十メートルの奥行き五十メートルに高さ五~六メートルもある。入り口もトラクターが入れるくらいには大きいから、とりあえずサブソイラー入れてみよう。問題ないようならその後にスプリングハロウとハロウもかけちゃってマルチ張れば野菜を植えられる。
あーいや、うちで使ってたビニールハウスは鉄パイプ立ててビニールかけるだけだったけど、あそこまででかいと土台っつーか基礎とかどうなってんだろ。壁のところだけ埋め込んであるのか、温室の床面の下にも埋めてあるのか……。
確認のために中を覗いてみたら床材とかなくて土がむき出しの地面だし壁の直下部分だけ気をつければいいだろ。知らん。あれこれ正しいかはもう考えるのやめよう。考えるのも疲れてきたし、テキトーになんかやっとけば気もまぎれて何か思いつく可能性もありえないわけじゃない。何か壊れるとか取り返しつかなくなったとしてもそもそも現状が以下略で取り返しもくそもないない。
まずはトラクターにサブソイラーつけないと。ああ、いや、もともと今日は家の裏の畑にサブソイラー入れておくようにいわれてたから多分トラクターのどれかにもうつけてあるはず。
見えるところにあるトラクターにはついてないから車庫の陰になって鼻先しか見えてないやつのどっちかにつけられてるんだろうと歩いていくと、D型倉庫の入り口辺りが見えたところで次の問題発生。
さっきから現実逃避して何かしようとするたびに新しい問題が見つかるのはなぜなのか。単純に目の前しか見えてないから別の問題が見えてないだけですよねー。
で、D型倉庫のでる子さんの入り口に並んでるデッサン人形みたいな人たちなんなんですか。
あるはずのないものがあるっていうのは朝から何回か経験してますけど、人形って。人間大のデッサン人形って。十人が横一列に並んでるの。マジホラー。Maji-holler。名前付けるならこの十文字を頭文字にしよう。でもどうだろう。名前がないと決め付けるのは早計ではなかろうか。あ、あの人たち手の指が全部分かれてるタイプだ。
どうしよう。どうすればいいいかわからないからあそこにデッサン人形が並んでる理由を考えてみよう。
一つ。俺が知らないだけでうちにもともとあった物。親父かオカンが置いておいた。
二つ。今いるここは俺が居た場所とはよく似た別の場所で、もともとここに住んでた人たちが置いた物。
三つ。あの人たちこそが先住民だ。
四つ。あー、えーっと。あの人たちは俺のことを捕まえに来た極秘機関とかのエージェントとかそういうの。
五つ。彼らは神の遣いで世界を救いに来た。
常識的に考えて、とか言いたいけど現状が以下略。本命は一、対抗で二、大穴で四。
話しかけるなりしないとだめかなぁ。何か分からないものにかかわりたくないけど、もし本当に彼らが先住者だったら俺が寝てる間に襲われたりするかもしれない。それなら正面から話しかけて逃げる心の準備をしておいた方が精神的に多少はマシな気がしなくもない。
自衛手段として何か持つとすれば車庫にはバットとか、バールとか、鍬とか、鎌とか、鋸とか、チェーンソーとか、ブラシカッターとか、ガスバーナーとかいろいろあるし、家には各種包丁とかカセットコンロのガスボンベとか他にもあされば色々あるけど……色々あるけど鋸とチェーンソーを分けるのって木製バットと金属バットを分けてる気になる。確かに別物なんだけどチェーンソーって鋸の一種じゃんみたいなそんな感じ。丸ノコの刃って手裏剣代わりになるかな。皮手袋使えば投げるのはなんとかなりそうだけど、手で投げるんじゃやっぱり勢い足りないかなぁ。
よし。武器は持たなくていっか。デッサン人形さんたちは見える限りで十人。手には何も持ってないっていうか、横一列に並んで直立してる。彼らが丸腰なのに俺が何か持ってたら、話し合いの前に敵対してしまうかもしれない。
危ないとも思うし考えが足りてないのもわかってるけど、じゃあどうするのかを考え始めるとキリがないし、なによりも考えることに疲れた。朝から理解できないことばかりで頭が焼ききれそうだ。極限状態とは違うんだろうけど、海外ドラマとかで見る追い込まれた時に突飛な行動をとる登場人物のことが少し分かったかもしれない。
もうどーにでもなーれ。まな板さんの改二はポーズが似てるって見て笑ったのを思い出したわ。
手早く温室の中の土をおこし、もそっと山になってた堆肥を土に混ぜ、気持ち程度にテキトーな肥料も土に混ぜ、野菜を植える作業をマーデンさん一家に手伝ってもらっている。マーシャルさんに教えてもらわなかったら肥料とか忘れてた。
意を決して彼らに話しかけたものの、詳しいことは何一つ分からなかった。彼らに発声器官はなかったのだ。イエスとはいといいえとノーを首を上下左右に振るというごく一般的な手段で示してもらって、俺の方から気になった点をいくつか聞いた。
話し合いの結果としてお互いよくわかんない状況だから一緒にがんばっていこうぜってことになった。正確には、おめえらなに言ってっかわかんねえけどとりあえず一緒にやってかないか、と聞いたらイエスだった。
ついでに、彼らに名前はないということで、家名をマーデンとして個人にはMaji-hollerの一字ずつを頭文字にした名前を進呈した。男性名が四人と女性名が六人です。リーダーというか家長というか、まとめ役はマーシャルさん。名前をきめるときはケータイにメモってあった好きな名前メモからチョイス。
全員に名前を付けたところで気づいたのだが、見た目まったく同じデッサン人形なのに誰が誰かわかる不思議。名前を付けても区別がつかないからテキトーな服でも着てもらって区別しようとか考えてたのはお蔵入りとなった。本人たちに聞いたら、関節に布が噛むから服は無い方がいいっていってたし。それは経験によるものかという問いには首をかしげていた。
マーデン一家の皆さんは仕事が速い。しゃがんでるせいで腰が痛くなって伸ばしたりしてる俺とは違い、ずっと中腰で作業してても辛くないそうだ。まあ、俺の体力が持たないし、一人休むのも申し訳ないから二時間毎くらいで一緒に休憩はしてる。
休憩中は主に俺から皆さんへの質問タイムである。答えるのは全部マーシャルさんなんだけどさ。だってイエス・ノーの二択なんだもん。地面をぐりぐりやってるときに思いついて筆談を試したものの、マーデン一家は俺の書く文字が理解できないし彼らは文字を書けなかった。会話というか尋問してる気分になるからコミュニケーションはなんとかしたいな。
他にもマーデン一家は飲食ができない。休憩時に車庫の冷蔵庫から仕事用のお茶とか持ってきて渡した際にわかった。飲食しないから排泄もしない。ついでに俺は自覚できるくらいには疲れてるけど、同等以上に動いてる皆さんは疲れてない。明日にならないとハッキリしないけど睡眠もいらないっぽい。
イエスノーで会話って不便です。大体はわかるけど細かいところは全部あやふやだ。しかもなんとなくだけど、マーデン一家の皆さんは俺と積極的にコミュニケーションをとろうって感じではない。頼んだことは二つ返事でやってくれるし、俺のことが気に食わないとか警戒してる雰囲気でもない。言われたからやるし聞かれたから答えるみたいな、なんかロボットっぽいっていうか。いや、見た目はデッサン人形そのままですがね。人かって聞いたらノーと返ってきたとはいえ対話もどきはできてるしなあ。なんなんだろ。今日の作業切り上げた後どうしよう。休む必要はない的な反応はされるけど俺一人で家入って寛ぐとか居心地悪い。
夕方までには無事家庭菜園を作り終わった。ここでもまたおかしいことがあったけど、朝に確認した時より種や苗がちょっと増えてるくらいはもう今更だ。もっと気にしなくちゃいけないからこそ放置してる問題だって多いのだ。人生は諦めと妥協と融通が大事である。勇者だけではなく大体の人間にとってユーヅーは大切なものです。
家庭菜園に植える予定だった苗や種の種類が無駄に増えてて全体の量が20倍くらいに増えてるとか瑣末ごと。そうでも思わなきゃやってらんねーっつーの。
一週間以内にやるときめたことをマーデン家のおかげで今日中に終わらせ、皆さんにお礼を言って帰宅。
どうしたらいいか以下略なので夜間は皆さんに家で休んでもらうことに決めた。
家に入る前に車庫に付属してる事務所で作業着を脱ぎ始めて気づいた。土いじってそのまま家に入っていただくのはなんかちょっと。俺は作業着や頭に巻いたタオルで汚れをあるでいど遮断できてるけど、皆さんは生身というかむき出しですよね。また無駄に悩みそうだったが、皆さんの方を向いて解決した。素手というか素足というか、何も纏わずに土いじってたはずなのにまるで汚れてない。了承を得てから腕とか触って確かめたけどなんか適度に弾力のある素材でさわり心地がなかなかいい。固めのシリコンとか似てる。そしてめっちゃキレイ。たぶん俺よりも断然キレイ。もう考えるの以下略。このまま出入りしてもらおう。家の中も汚れるようなら皆で一緒に掃除すれば良い。完璧完璧。
皆で一緒に裏口から入り、俺はそのまま風呂へ。皆さんにはとりあえずリビングへ行ってもらった。それ以外に何も言うことがない。飲食できないから勝手にどうぞとか言っても仕方ないし。好きにテレビ見ててとか言おうにも電波拾ってるのかがわからない。今もう電波じゃないんだっけ。地上デジタル波とかそんなんだっけ。何が違うのかよくわからんわ。
ざっとシャワー浴びて体洗ってさっさと風呂場を出る。寛ぐための風呂と体の手入れするための風呂とは別枠なんです。でも今日は疲れてるし用意するの面倒だから後から湯につかることはないな。
リビングに入ると皆さんが二列横隊で直立していらっしゃった。部屋の広さ的に一列は無理だもんね。今気づいたけど、並ぶときってもしかしていっつも同じ順で並んでるのか。休憩してとか言ったら一列横隊か二列横隊で直立してるけどいつも同じ並びの気がする。だからなんだっていうのはあるけど、ほら、相手を知っていくことでもっとより良い関係を築けるかもしれない。
何と話しかけたらいいかも分からないのでちょっと待ってくれるよう一言残してリビングを出る。
父母兄の私物が無いみたいだから、たぶん部屋もスッカラカンだろ。あとは客間と物置代わりの部屋がどうなってるか確認して、その辺りを待機部屋として使ってもらおう。男性名と女性名に分けた所為なのか、微妙に雰囲気に違いがあるから一緒の部屋を使ってもらうのは気が引ける。
部屋五つ回ってほぼ私物ナシ。ちょいちょい残ってた物はなんなんだろう。本人たちの意識的には家族の共有物とかそんな意識だったのだろうか。とりあえずそういった物はまとめて本来の物置部屋に突っ込んでおいた。物置代わりの準物置部屋には布団類が詰まれてたけどさすがに一人で動かすのは時間がかかるから今はいいや。
十人で五部屋なら問題ないだろう。どういう風に部屋分けして誰が使うかは知らんが男女も四対六だから異性での相部屋を強制されることもない。性別があるのかはわかんないけど。どの部屋にもベッドや椅子すら無いけど無い物はどうしようもないし要るなら言って貰ってから考えよう。
はあ、もう、頭使いたくないっていうのに次から次へとあれこれ考える破目になってるし誰か助けて欲しいわ。助けて欲しいとかやめとこう、考えないように気をつけよう。
再度リビングへ入ってマーデン家の皆さんに使ってもらう部屋を伝えて後は放り投げる。細かいことは任せマース。
俺は俺の飯を作って食ったらさっさと寝よう。マーデン家は飯はいらないそうだけど、見られてる状態で一人飯作って食うのはできれば拒否したい。
飯食ってる間にじわじわ気になってきたが、一応それぞれの部屋に布団を用意した方がいいよなあ。客間と準物置部屋にあったのを合わせれば十人分はあった気がする。何であんなに布団あるんだろう。準物置部屋は物置部屋に置きたくは無いけど他に置く場所ないしって物を集めた部屋だから、あそこにあった布団類はキレイだった。客間のも問題なかったし使ってもらおう。
食べ終わって食器を片付けて準物置部屋へ。ノックをして出てきたのはジェフリー。奥にいるのはアイバーか。2人に用件をさくっと説明して、布団を運んでもらう。俺は客間へ行って、あっちにあるのを別の部屋に運ぶのだ。
客間はヒルダとウーナが居た。またもちゃちゃっと説明して、運ぶのを手伝ってもらう。
元母の部屋へ布団を運び、中に居たエステルとラモーナへ渡す。
元父の部屋と元兄の部屋にはジェフリーとアイバーがもう運んでおいてくれていて、それぞれマーシャルとアルフレッド、ローラとレアが使うことになったようだった。
ドアを開けてくれたほうじゃない、部屋の中で待機していた方の全員が壁際で直立してたのは見ていない。布団運び込んだ後の部屋でも直立で待機してたのなんて俺は知らない。布団運んだ意味あったのかなんて考えることじゃない。実際、たぶん寝る必要ないって言ってたのにわざわざ寝具を用意したのは俺の方で気にしてしまうからであって、結果として使われるのかは大したことじゃない。何も問題はないな。
さ、俺もさっさと寝よう。
翌日以降、俺は現状を把握できないままになぜか周囲の畑をおこし始めた。
なぜかっていうか、食料を増やしておこうって言うのと他にやることがない。やることがないわけじゃないのか。周囲に俺と同じような境遇の人が居るか探したりとか。ただ、俺一人の消費速度で言えば確実に半年分はある食料と、以前のまま使える電化製品。更に安全と思われる水という生きるのに必要なものがあるからここから離れたくないだけだ。昨日から体調を崩してないしたぶん水は安全だろ。
切羽詰ることが確定するまではここで待ちの一手だ。食料が尽きる二月前くらいから悩み始めて、残り一月で行動をきめよう。これから芋を植えて三ヶ月あれば芋が食えるようになるし、大根や南瓜もある。植えた作物がきちんと収穫できるなら、食料は一年分を超えるはずだ。いや、大根の有用性はどうなんだろう。おいしいし好きだけど、芋も南瓜も主食にできるのと比べて大根はなんだ。大根おろしとか煮物とか味噌汁とサラダ。あとは切り干し大根が保存食になるか。十分だな。種の消費期限もあるから植えられるなら全部植えてしまおう。他の作物はどうするか。植えてしまうか。種を残しておいてもいざ植えようとした時に種が死んでしまっていれば意味はないし、何よりやることがあれば嫌な事も考えずにすむ。
漠然とした予定を決めてからはひたすら畑をおこすだけだ。最初に温室のそばで山になってた堆肥を撒いて、サブソイラー、プラウ、スプリングハロウ、ハロウとトラクターのアタッチメントを付け替えながら黙々と畑を走り続ける。より正確には運転席で歌いながら歩くよりちょっと早いくらいでトラクターを走らせていたりもする。
俺が最初の畑を作ってる間、マーデン家には温室の野菜の水遣りとか、温室の温度調整とか、予冷庫から出した芋の消毒とか、家の掃除とかやってもらった。数台あるトラクターを使って畑をおこす手伝いをしてもらおうかとも考えたのだが、使い方を説明しても皆さんはイマイチ乗り気じゃないというか、運転席に乗り込むのすら拒否するのであきらめた。なぜ嫌なのかは聞いても何いってるかわからなかった。そんなこんなでトラクター仕事を任せられないとなれば、十人に対して俺が思いつく仕事量が少なすぎて家の掃除を頼んでいる。だって昼飯食いに家戻ったら、手持ち無沙汰になってる数人がじっとこっち見つめて切ない雰囲気醸し出してるんだもん。
もともと俺だって前の日とか当日に親父からやること言われて指示に従ってただけだもん。急に指示出す側になったってどうしたらいいかわかんないですわよ。そもそもの話としてうちは兄が大学入ってからは父母たまに俺っていう稼動人数だったのに、今は俺プラス十人って三倍以上になってるからどうしても労働力があまり気味になるのは仕方ないじゃないですか。ってなことをマーシャルさんに愚痴ったら肩を軽くたたいて慰めてくれたという一幕もあった。
そうして数日を過ごし一枚目の畑を作り終わり、今日、最初の大根を植えているわけです。
俺が豆トラでマルチを張りながら肥料を撒き、マーデン家の皆さんに名前の分からない器具で大根の種を植えてもらう。
豆トラといえば、我が家じゃ四輪バギーみたいな大きさのちっさいトラクターを豆トラと呼んでいるけれど、他所じゃ軽トラを豆トラと呼ぶとか聞いて驚いたことがある。じゃあ、ちっさいトラクターはなんと呼ぶんだみたいな。同じ部落の人たちも皆ちっさいトラクターを豆トラと呼んでたし、こういうのにも地域差ってあるのね。
ついでに言うと部落が差別用語だと知ったときの衝撃。普通に地区の集まりで行く温泉旅行を部落旅行とか呼んでた。使ってる本人たちが気にしてないのに差別用語とか言われましてもーって言うね。差別する気で使われた言葉は全部規制するのかみたいなね。人間ってメンドクセ。
まあ、いつものごとく現実逃避気味に関係ないこと考えてるわけですけども。後ろでサクサク仕事進めてるマーデンさん一家のうち、畑まで一緒に来たけど手が空いてる人たちは俺の仕事が遅いと一列横隊で無言の圧力をかけてくる。すいませんね。この速さで走らないとだめなんですよ。でもね、普通の生身の人間が二、三人でその仕事やる分には後ろから追いかけられても問題のない速さなんですよね。ほら、人間って疲れるますから、ちょいちょい休憩入れるわけでしてね。構造としては自転車のタイヤに空気入れるやつみたいな大根の種を植える器具、かなり古いやつだから鉄の塊のアレって二キロはあったはずなんですけどね。やっぱりマーデン家の皆さんは疲れないのかなあ。長さ百メートルくらいのこの畑だと、杖を突いて歩くみたいにひたすら持ち上げておろしてを繰り返しながら往復するだけで腕がクッソ痛くなると思うんだけどな。ちょっとっていうかかなりうらやましいかも。
マーデン一家に追い立てられるように豆トラを走らせ続け、畑一面に大根を植え終わった。収穫のときのことを考えて、この畑に限っても何日かに分けて植える予定だったんだけど、早速予定が狂ってしまった。まあ、予定なんてそんなもんだ。
明日からはまた畑おこして次は芋――先に芋植えなくちゃダメだったんじゃないのか。あーやべえどうすっか。どうしようもない。失敗したら失敗しただ。次は芋植えよう。
次の予定も投げやり気味に決め、家に入る前に温室の様子を見に行く。気のせいじゃなければ明らかに成長が早いんだよなあ。植えてから一週間くらいってあんなに大きくなってたっけか。いつも家庭菜園は足りない野菜もぎ取りに行くだけだったからわからん。土に変なもん混ざったりしてないか心配になる。心配してもどうしようもないから放置だけどさ。
堆肥を撒き、畑をおこし、芋を植え、大根の種を撒き、大根の間引きをして、大根がそこそこ育ったらマルチを剥がし、他にも倉庫にあった今年植えるはずだった種やらを片っ端から植えているとあっちゅー間に一月が経ってた。そして最初の大根が収穫できる大きさになってた。うん、おかしいね。俺達が植えたやつってだいたい六十日を目安に収穫する品種だったはずなんだけどな。温室の野菜も明らかにおかしい速度で育ってるしなんなのもおおおおおお。
つーか収穫できるってなった時点でやっと気づいたけど、植えてる野菜の一部を保管できる分しか場所がない。俺何してんだろう。いっぱい作ればその分食料が増えるとはいえ、そらーその分の保管場所も要りますわな。しかも大根の収穫って大コン要るし。正式名称なんだっけ。スチールコンテナだっけか。大きいコンテナだから我が家じゃオオコンとだけ呼ばれてたあの人たちがいないとうちにある大根ハーベスターじゃ収穫できねえ。大コンは大根工場からその都度貸し出されてたんだっけ。そういや大根運んでたあの工場って何してるのか知らないや。ちゃんと農家やってる人たちは視察とか行ってたけど、俺は結局家の手伝いしてただけだし知らなくてもしゃーないよね。やべえ大コンねえよ
とか同じことぐるぐる考えてたらマーシャルさんに手招きされてる。向こうからアクション起こすのは珍しい。どうしたんだろう。
大コンありました。なんでか倉庫の横に畳んだ状態で積み上げられてました。
なかったじゃん。俺が一月ずっと見落としてたとでも言うつもりか貴様ら。どっから来たの。はい思考停止思考停止。
一月ここで過ごしてて理解できないことはいっぱいありました。なぜかここにいる俺。どこからくるか分からない水道水。なぜ動くのか分からないデッサン人形。くすくす聞こえる笑い声。手のひら大から肘先くらいの大きさで半透明の羽をつけて飛び回ってる人たち。成長が異常に早い野菜。雑草が生えず石がない畑。燃料の臭いのしないトラクターの給油口。一向に減らないトラクター類の燃料メーター。何か分からない液体の詰まってるらしい給油タンク。一日経つと新品同様にキレイになってる機械類。見た目より中がはるかに広い倉庫。畑の表面が湿る程度に週一回、夜に降る雨。
そんなところへ大コンが突如現れたぐらいじゃね、なんてことはないです。嘘だよびびるよ。新しい何かに遭遇するたび俺の心臓と脳みそが過負荷でイタイイタイなるよ。あ゛ーもうまじあ゛ー。君と合体正体不明とか叫んでどうしようもないもやもやを吐き出す。テンションが高まってどうしようもないときは叫ぶか歌うかだ。音程なんぞ知らん。これで発散できるのって叫んでも問題ない田舎だからこそだよ。ここで人に会った記憶はないがなっ。いやほら、マーデン家の皆さんもいらっしゃいますし一人きりじゃないと言いたいけど、人っぽいのがいるのに会話が成り立たないって結構なストレスだと思う。完全に一人だったら気にしないんだけどさあ。ちっさい人たちも飛び回ってるしなんなのもおおおおおお。カサブタはがしてもやっぱり答えは出ませんよね。今はカサブタないけどさ。
大コンはあるから大根は収穫できると。どこに置くかな。全部切り干し大根とかやばいことになるよ。俺もう死ぬまで切り干し大根食べることになるかも。死ぬとかやめようシャレにならない。
それはそれとして、もしかしていっつもくすくすくすくす笑って俺の精神をガリガリ削ってるのってこの小さい人たちだったりするのか。いつもいい笑顔で飛び回ってますよねあなた方。そう考えたらそれが正しい気がしてきた。まともな会話とかはまったく聞こえないけどたぶん笑い声はこの人たちのだろ。俺の別人格じゃないなら一安心だ。
よし。収穫してからどうやって保管するか考えようそうしようそれがいい決定。
頭抱えたり叫んだり歌い始めたり頭抱えたりしてても逃げないでそばにいてくれたマーシャルさんに、明日の朝三時くらいから大根の収穫をすると伝える。
大根の収穫って朝早いのよねえ。大根ハーベスターが無い頃なんてヒドイと二時に起きて休憩しながら昼過ぎまでとかあったな。大根ハーベスター様様ッスわ。それでも畑一枚分を明日だけで収穫しちゃう予定なんで朝早くなるのはどうしようもない。出荷するわけじゃないし、虫食いとか割れとかスとか気にしなくていいし、葉っぱ見る感じ病気は大丈夫そうだ。俺の知らない病気はどうしようもないから考えなーい。あああ。そういや薬撒いてないわ。除草剤も防虫剤もなんかあの病気のヤツも。
テキトーに畑のあちこちで大根を何本か抜いて大丈夫かを見る。葉っぱよーし。虫食いなーし。割れを気にするほど水分も多すぎない。切って中を見ればスもない。抜いてきたやつ全部が完璧。俺の知らない異常はあってもわからないから放置。これならたぶん大丈夫ダイジョウブ。
様子を見るのに切ったこれどうすっかな。一人で何本も食えねえよ。一本でも数日かかるよ。半本だけ持って帰って煮物でも作ろう。食料は大事だけど食えないほど持って帰って腐らせるのも意味ないどころか手間が増えるだけ。ってことで、畑にナイナイした。農家的には当然の処置ですね。商品にならないやつは畑に放置です。そのままハロウかけて肥料みたいなね。
明けて翌日。違うな。日付的には次の日だけど太陽昇ってないもん。夜明けすらまだですわ。
大根ハーベスターに乗って作業するのは頑張って三人。運転するのは俺で、大コンの積み下ろしはトラクターで俺がやる。マーデン家の七人には大コンを組み立ててもらう。今日の予定はいつに無く完璧だな。正に完全な壁だ。くだらないジョーク言ってないでさっさと仕事にかかろう。今行きますからそんな無言で圧力かけないでください皆さん。
ひたすらハーベスターを走らせて黙々と、いや、駆動音めっちゃうるさいんだけど俺がしゃべらないから会話は全くないしマーデン家の皆さんって動くの無音なんですよ。服着てないから衣擦れなんてないし、狭いところで数人が動いてるのにぶつかる事もない。群体なのかしら。群体って言葉は知っていても具体的な種類を挙げられないから群体ってなんなのかは分からない。
しかしマーシャルさん達マジパない。俺なら運転手を大根で殴り飛ばす速度でハーベスター走らせてるのに手が追いつかなくて仕事が詰まってストップとか一回も無い。具体的には俺が三人後ろに乗るのと比べると三倍くらいの速さで走ってる。マーデン家の誰かが運転できるようになったら俺要らないんじゃね。ありえなくも無い想像をしてちょっと凹むし不安も増すなぁ。
凹んでるときに耳元でクスクス笑うのやめてくれませんかね。
大根を抜いては大コンを満杯にして倉庫のあいてるところに積み上げる。どうやって保管するかは決まってないし日晒しも質が落ちちゃうしでとりあえず倉庫にぶっこむくらいしかなかったからしかたない。俺が住んでた辺りじゃ、抜いた大根をつめた大コンをトラックに乗せたら工場に持っていって代わりに大コン積んで畑に戻ってたから、そもそも家で大量に保管するという事がなかった。計画立てて畑を作らないとダメですね。
それにしても、まるで倉庫の中に入らなかったし用事があっても中をちゃんと見たりしなかったから無視していられたけど、外から見た広さと中に入って感じる広さがまるで違うって言うのはこれ気にしないといけませんか。予冷庫がある方はこんな変な現象起きてないっていうのになんなんだろう。あっちは予冷庫の中の物がひとつも腐ってないとかきっと気のせいだし。俺がこっち来る直前がGW初日で、それからこっちで一月ちょいくらいか。この時期になると白菜とかキャベツとか予冷庫の中で溶け始めてたはずとか考えるのはきっと精神衛生上よろしくない。便利だからイイジャン。昨日、ためしに抜いた大根も予冷庫に突っ込んどけば良かったかな。よくわからないのは全部考えないようにしてるから役に立つときでも思い出せないのはちょっともったいない。それでも日々の安寧が最優先したいから改めない。
大根を抜き続けて今現在は昼過ぎ。時計を見ると二時。朝飯のおにぎり用意するの忘れた上にマーデン一家が休憩要らないみたいな雰囲気で仕事するもんだから、やめるにやめられず畑一枚分の大根を抜き終わるまで休めなかった。広さが百かける百くらいで十反か。十反ってことは父母俺の三人だと十日分くらいの仕事かな。仕事始める時間と終わる時間が大体同じだからペースは十倍だね。ありえないわ。仕事の早さもありえないけど、使った大コンが百五十基だって大コン組み立て班のラモーナさんから教えてもらった。発見したとき大コンは十基だった気がする。気のせいだな。腹減ったしきっと気のせいだ。倉庫に大根が百五十基あるっていうのも数え間違いだろう。数え直したりはしない。なぜなら倉庫にそんな量の大コンが入るはずは無いのだから。もともとあった倉庫でも中身空っぽにして積み上げるの頑張れば入るかもしれないけど、まだ倉庫スッカスカだからね。だからきっとありえない。というか時空が歪んでいる。ハーベスターの走る速さがいつもの三倍くらいなのに同じ時間で仕事量が十倍ってなにこれどうなってんの。
大根の煮物うまい。悩むのに疲れたらとりあえず食うのだ。自画自賛だけど大根の味がすばらしい。家で作ってたのよりも大根がうまい。かなりおざなりな作り方なんだから土地がいいのかしら。それともマーデン家がなんかしてくれてるのか、羽生えたちっさい人たちがおまじないでもかけてくれてるのか。
今気づいたけど、さっきラモーナさんが手で一、五、零ってやってたから、五十音順に対応した手信号作ったら意思疎通できるんじゃね。いや、そもそも平仮名を覚えてもらえば何の問題もない。うわー。俺一ヶ月もなにやってたんだろ。畑おこしてました。何もしてないわけじゃないから許して。許す。
くだらない事はさっさと切り上げてとりあえずマーシャルさんに平仮名を覚えてもらったところ、すぐにメッセージを書いてくれた。
『きのうがせいげんされています。ばーじょんあっぷしてください』
機能が制限されています。バージョンアップしてください。
平仮名を漢字に変換するのに手間はかからなかった。そっかー。バージョンアップね。考えなくちゃいけない事がいくつか増えた気がするけどまとめてワンセットだし一つにまとめて保留でいいよね。
毎度おなじみのように頭を抱えていると、マーシャルさんが俺の肩を叩いて手招きしてる。最近俺が悩んだりしてると向こうからアクションを起こすようになってくれたなあ。大コンの時と今回で二回目か。これからこういうのも増えていくんだろうか。
マーシャルさんに連れられてリビングに来ました。そして渡されるテレビのリモコン。
テレビ点けろってことですね。悩むことなくスイッチオン。
分かってた事だけど日本におけるフツーのテレビ番組が映し出されるわけも無いのだ。目に入るのは画面上部に大きく書かれている『まず最初に』の一言。そこから下には一大サーガが綴られていた。田所ナニガシという人物が太陽系第三惑星地球の日本からナントカ言う世界に落っこちてウンタラ。世界中を旅して人々を助けナンタラ。悪の権化たるホニャララがドータラでウンダカダー。
読んでるうちに口寂しくなって牛ホルモンを味噌風に味付けたものを用意したり、ちょっと眠くなって昼寝したり、夕食の時間になってサバ缶大根おろしパスタ食べたりしながら真摯に読みきった。
で、結局なんだったかといえば、そのタドコロンさんが世界を救ったご褒美で親友の俺をここに招待してあとは好きに生きろと。
田所って誰だ。そもそもなんでここで生きろと。確かに現代日本は性に合わないなーとか思いながら生きてましたけど。人と関わらないで生きていける無人島とか住みたいなんて思ってましたけど。人生下り坂に入る前、むしろここから人生の絶頂期ってあたりで死にたいとか話して――この話してた相手が田所なのか。名前も顔も覚えてない。話してた相手って草谷とかって名前じゃなかったっけ。
まあ、何で俺がここに居るのかは理解できないけど知る事はできた。ぶっちゃけ誰かわかんないけどタドコロンさんには感謝したい。頭痛くなるぐらい悩んだり、人目を気にせず全裸で走り回ったり、ここ一月くらいはかなり楽しかった。作った作物もなんかテレビの向こうの人が買い取ってくれるみたいだし、俺がほしい物を通販的な感じに都合してくれるとヘルプに書いてあった。というかしてくれた。大量に作っちゃった大根を売り払って大根の種を買ってみました。やったね、これでまた大根が植えられるよ。発狂しそうだ。なんで大根の種買っちゃったんだろう。マーデン家の拡張パックもこの通販で買えるようです。あとで本人達に相談してみよう。
そんなわけで、リモコンでピコピコいじりながらCとEの間のアルファベットを頭につけたメニューみたいな画面を行ったり来たりして、基本的にはヘルプの項目を熟読しつつここ一月の俺の疑問やこれから先直面するであろうと予測していた問題を解決した。
収穫した作物は時空が歪んでる倉庫にぶち込めば買い取ってもらえるとか、肥料はあってもなくても良いとか、除草剤をはじめとした農薬は必要ないとか、羽生えたちっさい人たちはガチの妖精さんだったとか。どうでもいいことから生死に関わる重大事までまるっとスリットドンドコ解決していただいた。
結論としてはぶっちゃけここに住むという事で俺としてはなんの問題もない。家族には連絡してくれるというか、問題ないようにノーミソこねこねしてくれるらしいし。正しくは記憶に干渉ウンタラ。体に害がないならイイヨネ。
さ、肩の荷もガッツリ降ろせたし、明日からもお仕事お仕事っと。おやすみなさーい。