8.Justice/譲れぬ信念
「…………畔君」
「む、どうした?」
ハンドボール部の自主トレでランニングしている最中、長道は畔に話しかけた。
「畔君……なんか変わったよね」
「変わった? 俺が?」
「うん」
長道は走るペースを上げ、畔と並んで走りながら頷いた。
「最近の畔君……なんだか怖いよ」
「怖い……?」
「なんて言ったらいいのかわかんないけど……最近畔君を見てると、畔君なのに畔君じゃない人を見てるような気がする」
「………………」
「畔君は、畔君だよね? ……畔君の皮を被った違う人なんかじゃ、ないんだよね?」
「……何を言ってるんだ、お前は」
畔は笑う。しかしその声が震えていることに、当人は気づいていなかった。
「俺は俺だ。他の誰でもない、畔青春だ。俺が変わることなど、太陽がなくなるよりありえん」
「…………そう、だよね。ごめん、変なこと言って……」
長道はさらにペースを上げ、畔を追い抜かす。長道の後ろ姿を見て、畔は内心で思う。
(……謝るのは俺の方だ、長道)
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「疲れた……」
成上は公園のベンチに座り、体を伸ばした。
顔面にボールをぶつけられた翌日のことである。
空音や祝詞には散歩だと言って外出したが、息抜きというよりは息継ぎで、居候したばかりでまだまだ息苦しい生活から少しの間だけでも解放されたくてこうして羽を伸ばしているのだった。
「『帰る家』があるのはすっげー嬉しいけど……他人の前じゃどうしても、気ぃ張ったり見栄張ったりしちゃうからなあ……」
空音たちの前で話すより少し砕けた口調で成上は独り言を呟く。元々そんなに乱暴な口調は使わない成上だったが、他人の前では必要以上に大人しい口調になってしまう。彼のとある事情からついてしまった癖だった。
「いつまで一緒にいるのかわかんないし……どっかで折り合いはつけなきゃだよな……『あれ』もいつまで隠し通せるかわかったもんじゃないしな……」
ベンチに寝転がりながら成上は昨日の失敗を思い出す。ボールをぶつけられキレた成上は、秘密にしようと決めていた彼の事情をごく数分ではあるが表に出してしまったのだ。
「……バレそうになったらこっそりでも出ていくべきだよな。普通の人間を、あんなことに巻き込みたくないし……」
成上はポケットからガラス玉のような赤い石を取り出し、太陽にかざす。それを見つめる成上の瞳も、わずかに赤みを帯びていた。
「世界征服を企む悪の組織と、それに立ち向かう裏切り者の改造人間……つまんない冗談だよな。仮面ライダーじゃあるまいし」
自らを取り巻く状況のあまりの馬鹿馬鹿しさに成上は思わず苦笑する。小学生の頃はよく件の特撮番組を好んで視聴したものだが、よもや自分がそんなことになるとは思ってもみなかった。
「そもそもぼくは、『正義』なんて名乗れた身分じゃないしなあ……」
「なんだか面白そうなことを呟いてるな、成上」
「!?」
いきなりぬっと眼前に顔が出て成上は仰天する。慌てて石をポケットにしまい、ベンチから飛び起きた。
「畔さん……!?」
「呼び捨てで構わん。どうせそんなに歳は変わらんだろう」
畔は笑って成上の横に腰掛ける。昨日と似たような服装だったが、今日はどうやら一人らしい。
それにしてもフランクだ。昨日知り合ったばかりの人間にこうも気安く話しかける人間を成上は知らなかった。
「畔……くん。今日は一体……またボランティア?」
「気分転換に散歩していただけだ。色々、思うことがあってな。お前は?」
「ぼくも似たようなものかな……」
畔の「思うこと」と成上の「思うこと」は全然違う代物だろうが、まあそういうことにしておく。
「『正義』がどうのとか言っていたが……あれか? 自衛隊の存在意義や憲法九条の本質について考えていたのか?」
「そ、そんな大それたことは考えてないよ……」
スケールが別の意味で大きい問題だった。
「ぼくはただ……ほら、仮面ライダーとかスーパー戦隊とかあるけど、もしあれが現実にあったら本当に『正義』を名乗れるのかな、って」
適当にでっち上げてみたが、思いの外深そうな話題になってしまった。
「スーパー戦隊か……懐かしいな。ゴーゴーファイブとギンガマンが好きだった覚えがある」
「ぼくはアバレンジャーかな。爆竜たちがすごくかっこよくて、初めて合体ロボを買ってもらった戦隊だった」
「EDテーマが面白かったな、あれは」
成上は確信した。畔くんは良い人だ。特撮が好きな人に悪い人はいない。
「で……もしそれが実在したら、という話だったか?」
「うん。子供向けフィクションだからヒーローは『正義』ってなってるけど……彼らが本当にいたら、たとえ悪の組織と戦ってても『正義』なんて名乗れないんじゃないかって思うんだ」
「……どういう意味だ?」
畔が意外に食いついてくるのに内心驚きつつ、成上は話を続ける。
「えっと……すごく個人的な意見になるけど、『正義』を名乗る人間は戦っちゃいけないと思う」
「何故だ? 善を悪から守るのが正義の役目じゃないのか?」
「守るのは仕方ないよ。そういうときは正当防衛で、むしろ率先して戦うべきだ。でも、能動的に戦いに行くのは駄目だよ」
「俺は悪は殲滅するべきだと思うが」
「ぼくはそう思わない。戦うってことは、相手を傷つけるってことだ。他人を傷つけるような人間を、ぼくは『正義』だとは思えない。『正義』を名乗りたいのなら、相手を傷つけないで戦わなくちゃいけないんだ」
「………………綺麗事だな」
「そうだね。ぼくは潔癖症なんだ」
「……………………」
と、畔が押し黙る。どうやら成上の発言について考え込んでいるようだ。ほとんど勢いに任せて話していたので、成上は畔の仕草に少し慌てた。
「……あ、あくまでぼくの個人的な意見だよ? 実際、本当に『悪』がいたら『正義』がどうのこうの言ってないでさっさとやっつけるべきだと思うし……」
「……いや、面白い話だった。盲点を突かれたな。少し考えさせられた」
考えることが増えてしまった、と畔は笑うが、その笑みには先程までの元気はなかった。機嫌を損ねてしまったかと成上は不安になる。
「そんな、ただの暇人の戯言だよ……」
「いやああああああああああああッ!!」
と成上が言いかけたとき、背後からコンクリートが砕けたような轟音と女性の悲鳴が聞こえてきた。
「ッ!?」
「く、まさか!?」
振り返ると、少し離れたところに鼠色の怪人がチェーンを振り回して女性に襲いかかっているのが見えた。
「もう新手か……あのハゲタカ野郎、随分と仕事が早ェじゃねえか」
「あれは……まさか長道か!?」
畔の言葉に成上は女性の方に目を向ける。顔ははっきりとはわからないが、編んだ髪やジャージは昨日見たそれとよく似ていた。
「おいおい、マジかよ……」
「くっ……! 成上、お前は先に逃げろ!」
「あっ、おい!?」
成上の返事も聞かず、畔は怪人に向かって一目散に駆け出した。
「長道! 早く逃げろ!」
「あ……畔君!?」
『…………ア、ゼ…………?』
怪人は足を止め、畔を見る。
「何をやってるんだ立入! お前はそんなことをする人間ではないはずだ!」
『……ウルサイ…………!』
怪人はチェーンを振り回し、畔を打とうとする。
「畔君、危ない!」
「くッ……!」
畔は飛び退いてチェーンを避けたが、チェーンの先が頬にかすってしまった。細い傷口から血が一筋垂れる。
「立入……!」
『ウルサイ、ウルサイウルサイウルサイウルサイ……! ミナゴロシダ、ドイツモコイツモブッコロシテヤル……!』
「あいつ……畔の知り合いなのか? 随分ブッ飛んだお友達だな……」
成上はベンチから建物の陰に移動し、怪人の様子を窺っていた。赤く染まった瞳で冷静に怪人を観察する。
「……チェーンを武器にした中距離タイプか。面倒臭えな。喋れるだけのオツムはあるみてえだが、完全に頭に血が昇ってやがる……適当に挑発して、どうにか至近距離に持ち込めばいけるか?」
だが、と成上は畔たちを見る。畔は怪人と対峙し、そこから逃げる様子はない。長道はというと、腰が抜けてしまったのか地面にへたりこんだままだ。
「あいつらが邪魔だな……生身でバケモンに敵うわけねえのに。女連れてさっさと逃げろよ」
まさか説得でなんとかできると思ってんのか? と呟き、成上は先程自分が発言したことを思い出した。
「……いや、まさかな。人が襲われてんのに、悠長にそんなこと出来るバカはいねえだろ……」
「思い出せ立入! お前は力に溺れる人間なんかじゃない!」
「………………マジかよ」
攻撃をかわしながら必死で説得を試みる畔に成上は呆然とした。
「何か? これでもし畔があれに殺られでもしたら、それはオレの責任だってのか!? クソが!」
建物の陰から飛び出そうとした成上だったが、寸前に畔の様子がおかしいことに気づき、踏みとどまる。
「……立入。俺はお前に暴力を振るいたくなかった。だが……」
『アゼ…………!?』
「……お前が止まらないと言うなら、俺はどんな手を使ってでもお前を止める!」
「あ、畔君……!?」
Tシャツの上からでもはっきりとわかる、胸部に光る山吹色の石。その石の意味を知る成上は目を見張り、思わず呟いた。
「…………畔、お前…………ッ!?」
「――――――変身!」
畔の身体が発光し、人ならぬ異形の姿に変形していく。
『………………!?』
「う、嘘……」
次の瞬間、そこに立っていたのは体色が山吹色のタコのような姿の怪人だった。両腕両足の他に胴体から四本の触腕を生やし、ベルトのように身体に巻きつけている。
「……畔君……なの?」
『………………長道』
畔だった怪人は唖然としている長道に振り返らずに語りかける。
『ここは俺がなんとかする。お前は早く逃げろ』
「え、でも…………」
『――――早く行けッ!』
畔に怒鳴り付けられた長道はびくりと肩を震わせ、まだままならぬ身体を引き摺って走り去る。畔は触腕を身体からしゅるりとほどくと、二本ずつそれらを絡ませあって腕のようなシルエットを作った。
『……本気で行くぞ、立入』
『アゼェ…………!』
「………………なんてこった。本当に面倒臭えことになりやがった…………」
戦い始めた両者をよそに、成上は密かに頭を抱えていた。
『――――クソガッ!』
『おい、待て立入!』
戦いはあっけなく終わった。
どうやら畔の方が怪人としての強さは上だったらしく、分が悪くなった鼠色の怪人は隙を見て戦闘を離脱した。
『くッ…………』
追おうとする畔だったが、彼もまた無傷というわけではなかった。敵怪人のチェーンによる執拗な攻撃で蓄積したダメージが一瞬気を抜いたことで表れ、畔は膝をつくこととなった。
『……変身……解除だ……』
畔が弱々しく呟くと、先程と同じように畔の身体が発光する。まるでビデオの逆再生を見ているかのように、怪人の肉体は人間のそれへと戻っていった。
「……………………」
成上は複雑な表情のまま、うずくまる畔に歩み寄った。
「…………畔」
「成上……見ていたのか」
今畔がどんな表情をしているのか、そっぽを向いた成上にはわからなかった。畔の顔を見ないまま、成上は話し続ける。
「お前……なんでその力を手に入れた?」
「!」
どうやって、とは訊かない。入手ルートは大体予想できる。
「あいつ……立入だったか? を倒すためか。それとも元に戻してえのか……まあこの際どうでもいい。オレには関係ねえ」
「……俺は…………」
「悪いこたあ言わねえ。『それ』、さっさと手放せ」
「………………!?」
畔が驚いて成上を見た。成上は怒りやら悲しみやらをまとめて無理矢理押し潰したような仏頂面をしていた。
「立入も、最初はあんな奴じゃなかったんだろ。このまま『それ』を使い続けてみろ、お前もあいつみてえに暴れることしか出来ねえ能無しになるぜ」
「成上、お前……何を知ってるんだ?」
「オレが何を知ってるかなんてどうでもいいだろ。お前の話をしてんだよ」
「成上…………」
実のところ、畔は成上の話している内容より彼の雰囲気の変貌に驚いていた。なんとなく二面性があることはわかっていたが……この男は本当に成上なのか? どうしてもあの潔癖症の優しげな青年と、目の前のこの男が同一人物だとは思えない。
「……どうせ、『こいつ、本当に成上か?』とか思ってんだろ」
『成上』が畔の内心を見透かしたように言う。
「変わっちまうんだよ――『それ』は肉体を変えるだけじゃねえ、『精神』まで変える力を持ってんだ。一旦体内に取り込んじまえば――初めのうちこそ肉体しか変わらねえが、だんだん肉体に『それ』が馴染んでいくうちに精神まで変形していく」
「立入がああなったのも……?」
「七割方は『それ』の仕業だろうな。後の三割は……まあいい。とにかく早いとこ手放せ。ミイラ取りがミイラになってどうする」
――――畔君は、畔君だよね? ……畔君の皮を被った違う人なんかじゃ、ないんだよね?――――
畔の脳裏に長道の言葉が浮かび、その次に怪人に変身した畔を見た、長道の怯えた表情が浮かんだ。畔が自らの間違いを悟るのには、それだけで充分だった。
「……………………俺は」
「まあまあ待て待て、そんな簡単に決め込むなって」
「「!?」」
畔が言葉を発しかけたそのとき、頭上から声が降ってきた。
「まったく参ったもんだよな。自分でやったことは自分で始末つけなさい、って小学校で習わなかったのかな? あいつ。しょーがねーよなー、あたしがいなきゃ全然駄目なんだからなー」
「…………お前…………!?」
嬉しそうに参った困ったとのたまう声の主――長い髪を首元で括る、青いブルゾンとジーンズを着たその女性は、さもそこが地面だとでも言うかのように『ビルの壁面』に直立していた。
「そんなわけだからさ、ついてきてもらうぜ――オクト・エイス!」
「なッ――――伏せろ畔ッ!」
女性が右手を成上たちに向けて伸ばしたかと思うと――そこから無数の弾丸が雨のように降り注いだ。
「クソがッ!」
成上はとっさに畔の前に立ち塞がり身体で弾丸を受け止める。弾丸は成上の身体を貫くことなく、ぱらぱらと地面に転がった。
「はん。ちょっと見ないうちにだいぶ丈夫になったんだな、サーズデイ」
「ケッ。てめえも元気が有り余ってるみてえだな、チューズデイ――!」
チューズデイがにやりと笑い――サーズデイもまた口角を吊り上げる。
「おっと危ない危ない。今日はお前にゃ用がないんだったな。用があるのは――」
だん、とチューズデイが壁を蹴って飛び降りる。
「――――お前だァッ!」
「なッ!?」
チューズデイは畔に飛びつき、畔をホールドしたまま駆け出した。
「は、離せ! 俺を一体どうする気だ!?」
「さあ? あたしは知らないよ。あいつに――ウェンズデイに訊きな」
「逃がすかァ!」
チューズデイを追おうとするサーズデイだったが、何かに足を取られて転んでしまった。
「何ッ!?」
「あ、忘れてた。サーズデイ、それ『種』だからな。絡まれないように気をつけろよ?」
見ると――先程チューズデイが撃ち出した弾丸から蔦のようなものが生え、サーズデイの足に絡みついていた。
「なんてもん人体に向けて撃ってんだよ!?」
「あっはっはー、お前なら全部避けれるって信じてたからな。じゃ、また今度な!」
サーズデイが絡みついた蔦に気を取られているうちに、チューズデイは既に彼方へと去っていってしまった。
「クソがああああああああああああああああッ!!」
サーズデイの怒声を聞くものは誰もいなかった。
The Trailer→
「『EVドロップ』、『ペブル』……『トワイライト』には手を出すな」
「どういうことだ……俺に今更、なんの用がある?」
「不愉快なんですよ――私はどうも、『他人の為』に行動する人間を見ると苛々する人種のようで」
「流石っつーか……あんたもなかなか凄いよな、ウェンズデイ」
「ブッ飛ばしてくれよ……法定速度なんてクソ食らえだ」
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9.Friend/錯綜、あるいは疾走