7.Ball/笑顔の裏で
「あんたなんだな? 本当に、あんたが……」
「ええ。しかし、いいのですか? 私を知っているということは、『これ』がどのようなものなのか知っているのでしょう?」
彼はウェンズデイの問いかけにイライラしたように「当たり前だ」と答えた。
「知らなきゃわざわざ探さん……俺にはそれが必要なんだ」
「と、言うと?」
ウェンズデイは彼が苛立っているのを知りながら、尚更苛立たせるように問いかけた。掌に載せた小瓶を見せつけるかのように弄び、彼の欲望を煽っている。
「……俺には『目的』がある。それは、『力』がないと成し遂げられない。それも生半可なものじゃ無理だ。人間を超えた、それこそ『怪人』にでもならなければ成し遂げられない『目的』だ……!」
「なるほど……『目的』、ですか」
彼の言う『目的』に興味を惹かれたのか、ウェンズデイはその言葉を繰り返す。
「ああ、『目的』だ。聞きたいか?」
「いえ……そこまで深入りはしませんよ。貴方も長話はお嫌いでしょう?」
「ああ。言っちゃなんだが、俺も別に聞かせたいわけではなかった」
「……………………」
ウェンズデイはしばらく閉口し、やがて「…………うくく」と苦笑して瓶の蓋を開けた。
「では……本当によろしいのですね? 当方、返品もリコールもクーリングオフも断固として受け付けませんが」
「構わん。俺はそんな女々しいことはしない」
「では、契約成立ですね……」
ウェンズデイは小瓶の中を探り、やがて山吹色の飴玉のような球体を取り出す。
「これで貴方の欲しい『力』が手に入りますよ……おそらくは」
彼はごくりと唾を呑み込み、ウェンズデイから玉を受け取った。
「……不思議だな。見た目はただのアメなのに……」
「うくく……えてして、なんでもないようなものがとんでもない力を持っているものなのですよ」
「そうか。……そうだな」
彼は寸の間息を止め、玉を飲み下す。
そして変化していく彼の姿を見て、ウェンズデイは「うくく」と三日月のように笑った。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
あれから一週間が経った。
父以外の異性と一つ屋根の下で暮らすのは抵抗があったが、しかし実際やってみると案外そんなに生活が変わるものではなかった。
一つ屋根の下と言っても寝るときは別の部屋だし、炊事や洗濯も一人分増えたくらいじゃどうってことない。むしろ仕事が分担出来るようになったので前より楽になったくらいだ。
唯一困ったことと言えば……
「…………あの、空音ちゃん?」
「…………なんでしょうか」
「ご飯、美味しいね……」
「……ありがとうございます」
コミュニケーション。会話がまったく続かない。
今まで学校以外、それも自宅で異性と長時間一緒にいたことなんて一度もなかった。学校でも男子との交流をあまりしてこなかった私は、ようするに男子が一体どんな会話が好きなのかよくわからないのだ。
それは成上さんも同じようで、唐突に世間話のようなものを振ってきたり、私から話しかけてみても話を広げてくれなかったりで、まともな会話がほとんど出来なかった。
一番困ったのは今のような食事時だ。私はご飯は黙って食べる派なのだが、成上さんは喋りながら食べる派らしく、私が黙々と食べていると話しかけてくる。黙殺するわけにもいかないので受け答えはするが、多分彼が望んでいる食事中のお喋りはこんな形ではないだろう。
しかも、三日前からまたのり子さんに仕事が入ってしまったので、このところずっと二人きりで食事を摂っている。のり子さんは一度仕事を始めると中々部屋から出ようとしないので、食事も部屋で食べてしまうのだ。
気まずい。気まずいこと知らない人と相席になってしまったファミレスの如しだ。何か話をしようと思えば思う程何も話題が浮かばない。私は自分のコミュ力の低さを嘆いた。
「……そういえばさ、空音ちゃん」
「……はっ、はい!?」
内心で頭を抱えていると、またもや成上さんがサンマの塩焼きをつつきながら話しかけてくる。
「空音ちゃんっていくつなの?」
「あれ……まだ言ってませんでしたっけ」
あの日の夜に簡単な自己紹介はしたはずだが、年齢を言い忘れていたらしい。そういえば、成上さんも正確には何歳なんだろう?
「十六歳ですけど、早生まれなので今年で高二です」
「じゅうろ…………えっ!? 十六歳!?」
と、成上さんが驚いたように箸を取り落とした。
「十六……? え、十六なの……?」
「はい。…………成上さんはいくつだと思ってたんですか?」
「…………………………ごめん。中学生くらいかと思ってた……」
…………………………。
……………………うん。
「…………よく言われます。歳のわりに小さいね、って……」
「ご、ごめん………………」
身長は百五十ギリギリだし、身体の起伏は乏しいし。
なんで遺伝子はそんなに変わらないはずののり子さんはスタイルが良いのに、私はこんなちんちくりんなんだろう……。
バランスの良い食事は心掛けてるし、運動だってちゃんとしてるし、最低でも零時前には寝てるのに。
「…………じゃあ、成上さんはいくつなんですか?」
今悩んでいても仕方がないので、成上さんに話題を振る。
「ぼく? ぼくは十九。六月で二十歳になるよ」
わりと妥当だった。これで年下だったり三十路近かったりしたら反応に困るが。
「もう一、二歳くらい上かと思ってました」
「そうなんだ……背が高いからかな? でも、ぼくも高校までは結構小さかったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。中学まで全然伸びなかったのに、高校に入ったら急に伸びて。今じゃ兄さんより大きくなっちゃったよ」
身体測定の結果が出るたび、兄さんが複雑な顔してさー、と成上さんは苦笑する。身長の話はさておき、仲の良い兄弟だったんだろう。
「お兄さんはおいくつなんですか?」
「兄さんの歳? ぼくと二歳違いだから、今年で二十二だよ」
二十二……社会人でもおかしくない年齢だ。しっかりした人ならもう自活してるだろうし、もう『大人』として振る舞わなければならないだろう。
「……お兄さんが行方不明……って」
「…………うん。兄さんは優しいから……しなくていいことまでやっちゃって、変なことに巻き込まれたんだと思う。きっと、どこかでちゃんと生きてるって信じてるけど」
お兄さんの話題になると、成上さんはどこか辛そうになる。そりゃ、兄が行方不明で辛くないわけはないだろうけど……なんだかそれとは別に、信じられないこと、信じたくないことに必死で目を背けているような、そんな感じがする。
……なんだか話をする前より雰囲気が暗くなってしまった。コミュ力って必要なんだなあ。
「……え、えっと! 成上さん、ご飯が終わったら買い物に付き合ってくれませんか? お米とかお水とか、重たい物が買いたいので……」
「う、うん。大丈夫だよ」
こうして無理矢理話題を変えるのももう何度目だろう。成上さんとの同居がいつまで続くかわからないが、いいかげん明るく楽しい会話が出来るようになりたい。
「沢山買うんだね……」
「いつもはのり子さんに車を出してもらうんですが……無理させちゃったなら、すいません」
「平気だけど……こんなに買う必要あったの?」
「安い日に買い溜めておくのが買い物の秘訣なんです」
とはいえ、やっぱり買いすぎたかもしれない。
お米十キロとミネラルウォーター二本を片手に一袋ずつ持つ成上さんには申し訳ないことをしてしまった。
「今更言うのもなんですけど、重くないんですか?」
「ああ、うん。力だけはあるから……」
そう言って成上さんは左手に持っていた分を右手に移し、腕を肩のところまで上げてみせる。背こそ高いもののそんなにガタイが良いようには見えないのに、成上さんは結構力持ちだ。
…………これが噂の細マッチョか。
「のり子さんの観察眼パねえ……」
会って間もない男性の二の腕を揉みしだくところはリスペクトしたくないが。
「…………何かスポーツでもやってるのかな?」
家に帰る道すがら、通りがかった土手から大勢の歓声や怒声が聞こえてきた。見ると、河原の方で何人かの大人と子供がバレーボールくらいの大きさのボールを投げ合っているようだ。
「ドッヂボールでしょうか?」
「ゴールがないみたいだし、多分そうだろうね」
プレイしているのは小学校低学年くらいの子供たちと、数人の大学生くらいの男女だ。遠くからでも楽しそうに遊んでいるのがわかる。
「いいよね。ああいうのって」
「そうですね……」
足を止め、しばらくドッヂボールを観戦する。と言っても、試合というよりはレクリエーションのような光景だったが。
「うわっ、畔君ボール来たよ!?」
「問題ない! ここはすかさずボールをキャッチする――と見せかけて外野に弾く!」
「畔君それアウトだよー!?」
「…………あれ?」
小学生の子が投げたボールに大学生の人がわざと当たってボールを外まで弾いた――のはいいのだが、ボールの勢いが強く、外野どころかこちらまで飛んでくるではないか。
(これって……やばいんじゃ)
飛んできたボールは私の左隣上方に激突した――つまり、成上さんの顔に直撃した。
「う――うわ」
人の顔にボールがめり込んでいるのを見るのは初めてだ。当たったときの音も尋常ではない。バシッ、とかボフッ、とかじゃなく、メキョォ、って感じだった。
「……………………」
成上さんの顔面からボールが落ち、河原の方へ転がっていく。成上さんの顔の方は、当たり前だがボールが当たる前とはまったく違う表情になっていた。
ブチ切れ特盛。真っ赤な打撲傷を添えて。
「………………て、めえ」
先程までの、良く言えば柔和、悪く言えばお人好しそうな顔つきを一変させた、不良漫画に出てくるチンピラのような顔になった成上さんが口を開く。
「ふざけてんのかてめえッ! どこに目と手つけてやがる、このノーコン野郎ッ!」
荒々しい口調でボールを弾いた男の人をなじる。チンピラのような、ではなくチンピラそのものな言動だ。
(………………あれ?)
私はこの光景にどこか既視感を覚えた。
いや、以前にもこんな光景を見たことがある、というわけではなく(誰かがボールを顔にぶつけられてマジ切れするところなんてそうそう見るものか)、今の成上さんのチンピラのような口調、言動をどこかで見たような気がしたのだ。
ひょっとして、成上さんって……
…………ヤンキーだったのだろうか?
今現在の頼りない感じからは想像もつかないけれど、そういえば成上さんはときどきこんな風に言動が凄く荒っぽくなることがある。他にも地毛には見えない真っ赤な髪とか、何故か普段着にしているライダースーツとか、やけに力持ちなところとか、今まで不思議に思ってたことがその回答によってすっきり解決するような気がする。
案外、お兄さんが行方不明になったのもヤンキーだった成上さんに愛想を尽かしたからだったりして。
「……すまんそこの人! 怪我はしていないか!?」
私が不謹慎かつ的外れな方向に考えを進めていると、件の男性がこちらに駆け寄ってきた。
「あァ? 見てわかんねーのかこのマヌケッ!」
「うむ! 多少赤くなってはいるが傷にはなっていないようだな! ひとまず安心だ!」
男の人は成上さんの切れっぷりにもまったく動揺せず、暢気に顔の具合を確認して豪快に笑っている。なかなか肝が据わった人のようだ。
男の人はいかにも「体育会系」な人だった。ジャージにTシャツという出で立ちだが夏でもないのに焼けた肌を隠せていない。スポーツ刈りで眉は太く、ちらりと見える歯は真っ白。百人の人が「スポーツマン」と聞いて思い浮かべた人物を足し合わせて平均化したらこんな風になるだろう。
「いや、本当にすまなかった。言い訳は聞きたくないだろうが、本当にわざとではなかったのだ。気分を害してしまったなら謝る。この通りだ」
「……お、おう…………」
男の人は腰を直角に曲げて謝る。その様子に毒気を抜かれたのか、成上さんもいくらか落ち着いたようだった。
「……畔くーん! 大丈夫ー?」
と、今度は男の人と一緒に居た女性が近づいてきた。似たような服装だが、髪を伸ばして編んでいる辺りこの人(畔さん、というらしい)よりはスポーツマンではないらしい。
「ああ、大丈夫だ。長道、みんなにそろそろ終わりにすると伝えてくれないか? もう日も高くなってきたことだしな」
「ん、わかった」
長道と呼ばれた女の人は頷くと河原に戻っていく。動きの素早さを見るに、やはり彼女も体育会系なのだろう。
長道さんがメンバーに言伝てを話しているのを確認すると、畔さんは「さて、」と言ってこちらに向き直った。
「本当にすまなかったな。俺は畔青春。田んぼの田の右隣に半分の半で畔、青春と書いて『あおはる』だ。姫九里大学の二年で、ハンドボール部に所属している。今日はボランティアで近所の小学生と遊んでいたのだ」
まるでそれが当然のことのようにすらすらと自己紹介する畔さん。相当コミュ力が高そうだ。
「あ……ぼくは成上遠流って言います。そんなに気にしないでください。大して痛くなかったし……大袈裟に怒っちゃってすみません」
すっかり元の調子に戻った成上さんがつられて名乗る。とりあえず私も「綿貫空音です」と名乗っておいた。
「成上遠流か、旅が好きそうな良い名だな! 綿貫空音もなんだかふわふわしていて可愛い名前だと思うぞ!」
「はあ……ありがとうございます」
成上さんが曖昧に頷くと、畔さんは「うむ!」と一人で納得し、くるっと踵を返した。
「俺は片付けをせねばならんので、この辺で勘弁してくれ。じゃあ、また会おう!」
「え、あの」
畔さんは返事も聞かずに河原へ向かう。コミュ力は高そうだが結構マイペースな人らしい。
「…………なんか、凄い人だったね」
畔さんの後ろ姿を見て成上さんがぽつりと呟く。私は「そうですね、」と同意して、そういえば買い物帰りだったことを思い出した。
「早く帰りましょう。生物が傷んじゃいます」
「あ、そうだね」
私に言われて初めて気がついたらしい。ずっと手に持っていたはずなのに、器用な人だ。
「畔青春……か」
また会おう、と言っていたが、また会うことはおそらくないだろう、とこのときは思っていた。
思っていたのだ。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「……思えば、彼の『目的』をちゃんと確認しておくべきでした」
ソファに寝転がり、珍しく疲れた様子でウェンズデイは言う。
そこは以前『彼ら』の集まりがあった廃ビルの一室だった。ただし、部屋は以前より整えられており、ソファや簡易ベッド、割れた窓ガラスをカバーする黒地のカーテン等が設えられている。
「その『オクト・エイス』っての、そんなに扱いづらい奴だったのか?」
簡易ベッドに腰掛け、ぼりぼりとスティックポテトをかじりながらチューズデイが訊く。お世辞にも行儀が良いとは言えない振る舞いだったが、彼女を咎める者はいなかった。
「……『毒を以て毒を制す』。まさか実践する人間がいるとは思いませんでした。おまけに、見かけによらず合理的に動いている」
「ふうん。面白そうな奴じゃん」
スティックポテトを五本まとめて噛み砕き、チューズデイはにやりと笑う。
「そういうの、お前好みなんじゃないの?」
「……ええ、まあ、否定はしませんが」
ウェンズデイも笑うが、どちらかというと苦笑じみた笑いだった。
「もしかして彼なら案外、サーズデイの弱点を突けるかもしれない」
「弱点? ……ああ、あれか。でもあの程度、あいつにとっちゃ弱点にもならなくねーか?」
チューズデイが疑問そうに言うのを聞いて、ウェンズデイはようやく本心から「うくく」と笑った。
「いえ、それではありません。性能ではないもっと別の、心理的なものですよ。もっとも、彼自身すらそのことに気づいていませんが」
「? ……お前さあ、そういう思わせぶりで回りくどい言い方はやめろよ。聞いてて凄くイライラするぞ」
「そのためにやってるんですよ」
「よし、お前頬つき出せ。しっぺしてやる」
「冗談です」
チューズデイがよりによって鋼鉄の右手を構えたのを見るや、ウェンズデイは慌てて否定した。
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「最近の畔君……なんだか怖いよ」
「世界征服を企む悪の組織と、それに立ち向かう裏切り者の改造人間……つまんない冗談だよな」
「そうだね。ぼくは潔癖症なんだ」
「お前……なんでその力を手に入れた?」
「しょーがねーよなー、あたしがいなきゃ全然駄目なんだからなー」
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8.Justice/譲れぬ信念