6.Dusk/明暗インターバル
『なんで……なんでだよッ……! なんであんたが、そんなこと…………!』
『……どうやら君は誤解しているようだ。私は君の言うところの「あんた」ではない。私は君の知っている人間であり、君のまったく知らない人間だ』
『何言ってるんだよ……あんたは***じゃないのか……? ぼくの*の、***だろ……!?』
『違うな。私は君の*ではない。***はもう死んだ。私が彼を殺したのだから』
『やめろ……こんなことはもう、やめてくれッ……! *さん…………*さんッ!』
『やめろ…………兄さんッ!!』
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「兄さんって誰だよ……」
変な夢を見たのは、全身が変に痛いのと何か関係があるのだろうか。
見知った天井。寝慣れたベッド。そこは間違いなく私の部屋だった。
「えっと…………」
なんで私は寝ているんだろう。ベッド脇にある置き時計を見ると、時刻は午後七時。日付が変わっていなければ、私が病院へ行こうとしてから半日以上経っていることになる。しかし、記憶がだいぶあやふやだ。頭痛と目眩が酷くて病院行こうとしたら、どうなったんだっけ……?
「……成上さんに会って、怪人に襲われて」
怪人からやっとのことで逃げられたと思ったら、今度は私の身体が……
「…………そうだ」
じわりと冷や汗とともに記憶が戻ってくる。
「私も……怪人になったんだ」
おそるおそる胸元に手をやる。そこに生えていた、空色の石。それが私を化け物に変えた。
しかし記憶に反してそこには何もなかった。つるんと平らな、むしろちょっとくらい膨らみがほしいくらいの、いつも通りの私の胸だった。
「……………………」
安心はしたがなんだか悲しくなった。
いや、そうじゃなくて。
「夢……だったの?」
思わずそう疑ってしまうくらい、そこにはなんの痕跡も残っていなかった。
荒唐無稽なことばかり起こっていたが、確かにあれは現実だった、と思う。背中とお腹がまるでしこたまぶん殴られたみたいにずきずき痛むし。第一、あれが夢なら、さっき見た兄さんがどうのという夢はなんなんだ。
「…………だけど」
あれが、あの出来事が本当にあったことなら。
私はどうして人間に戻れて、どうやって家まで帰ってきたんだろう?
それはさておき、晩御飯を作ることにした。
のり子さんの生活リズムのルーズさは尋常なものではない。うっかり放っておくと食事も睡眠も取ることなく延々と仕事してしまうこともある。昨日原稿が上がったばかりなので、インスタントやレトルトを作る余裕くらいはあると思うが、この家の台所を預かる者としてのり子さんにはちゃんとした食事を取ってもらいたい。
体調不良のせいで、昨夜から今朝まで簡単な料理しか作れなかったのもある。なんだか気分が良いし、昨日出来なかった原稿上がりのお祝いも兼ねて思いっきり豪華な御飯が作りたかった。
あれ、でも昨日から買い物してなかったような……まあいいや、料理なんて工夫とアイディア次第でどうにでもなる。
そんなわけで、少ない食材でいかに豪華な料理を作るか思案していると、リビングからのり子さんと男の人の話し声を聞いた。
(…………担当の人?)
のり子さんの仕事場はこの家なので、ときどきどこぞの出版社の編集さんやら担当さんやらが打ち合わせにやってくる。昨日一本書き終わったばかりだが、のり子さんはそれなりの売れっ子らしいのでこうして入れ替わりで仕事が入ることも珍しくない。
(仕事の話なら……邪魔になったら悪いよね)
私はのり子さんたちに気づかれないようにキッチンへ向かった。
「そうか、お兄さんが……大変なんだね、遠流君も」
「いえ、そんなこと…………」
…………………………うん?
今なんか、のり子さんの口から聞き覚えのある名前が聞こえたような……? そういえば男の人の方の声も聞いたことがあるような……?
気になった私は、こっそりリビングの様子を窺うことにした。
テーブルを挟んで向かい合う二人の男女。片方はもちろんのり子さんで、もう一人は……
「そんな、悪いですよ……」
「遠慮することはない。どうせ無駄に広い家だから」
赤い髪に黒いライダースーツ。どう見ても成上さんだった。
「なんだ成上さんか…………ってなんでえええええええええええええええ!?」
「あれ? 起きたのか空音ちゃん」
思わず叫んでしまい、のり子さんたちに気づかれてしまった。
「なんで!? なんで成上さんがここに!?」
「空音ちゃん、例の『怪人』に襲われたんだろう? 逃げてる最中にぶっ倒れたのを遠流君が見つけて運んできてくれたんだよ」
まったく状況が飲み込めない私にのり子さんが説明する。
「逃げてる最中に……倒れた?」
「うん。空音ちゃんが心配して探してたら、廃工場の前に倒れてて……」
廃工場……そういえば薄ぼんやりと、そんなところに行ったような記憶がある。
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「い、いや! そんなお礼言われるようなことしてないから……」
私が頭を下げると、成上さんは慌てたように首を振った。倒れてたのをわざわざ自宅まで運んでくれたのだから、礼を言って当然だと思うのだが。
それより……私が廃工場の前に倒れていた?
「あの……そのとき何か、変なことがあったりしませんでしたか?」
「!? ……う、ううん、なんともなかったよ……」
成上さんは何も知らないのだろうか。あの記憶が正しいのなら、成上さんが私を見つけた頃には、私は元に戻っていたことになるが……
……なんだかもやもやする。まだ何か忘れているような気がする。壁を挟んで出口がすぐそこにあるのに、一向にそこに着かない迷路のような……ピースがいくつか欠けたジグソーパズルを作っているような……意地悪なクイズのひっかけにまんまとひっかかってしまったような、答えに辿り着けない不安感。
……誰かが、誰かが助けてくれたような気がする。異形の姿になってしまった私に、手を差し伸べてくれた誰か。その誰かを思い出せたら、答えに辿り着けるような……
「まあ、そういう話は後ですればいいさ。今はもっと大事な話がある」
と、のり子さんが考え込んでいた私に言う。
「遠流君にうちに住んでもらおうと思う」
「…………………………え?」
今、この人はなんて言った?
「うん? 聞こえなかったかな? 遠流君をだな――」
「いえ、聞こえました。聞こえたから戸惑ってるんです」
成上さんの方を見ると、居心地悪そうにもじもじしている。やはりこれは、のり子さんからの一方的な提案らしい。
「いや、あの、どういうことですか?」
「聞いてくれよ空音ちゃん。遠流君ときたら今時珍しいくらいの好青年なんだよ」
「そんなことは聞いてないです」
「行方不明になったお兄さんを探して全国を旅して回ってるんだよ? 泣かせるじゃないか」
聞けよ。
「お兄さんを探してるなら尚更引き留めるべきじゃないんじゃないですか?」
「あ、それは……」
「なんでも、この街でそのお兄さんの手掛かりを見つけたんで、しばらくここに留まるつもりだそうだ。だから『ここに住まないか?』と提案した次第だ」
口を開きかけた成上さんをのり子さんが遮る。いつにもまして暴走してるなあ。〆切明けは大体ハイだけど、何がのり子さんを駆り立てているのだろうか。
「お兄さんが行方不明……なんですか」
「う、うん、まあ……」
私の問いに、成上さんは複雑そうな顔をした。嘘はついていないが、間違ったことを言ってしまった、みたいな。
「そういうのは警察に任せた方が……」
「駄目だね。警察は信用できない。奴ら探偵がいないとろくに犯人も逮捕できないじゃないか」
「いつの時代の推理小説ですか……」
めちゃくちゃなことを言ってるだろ。ミステリ作家なんだぜ? この人。
「とにかく、私はあんな無能共に頼らず裸一貫で兄を探すことにした遠流君に男気を感じたんだ! これはもう、居候させるしかないだろう!?」
まるで意味がわからない。
「……まあ、家主はのり子さんですし、反対する気はありませんけれど……肝心の成上さんはどう思ってるんですか?」
「どう思ってるんだい遠流君?」
「…………えっと、ぼくは……」
頭をポリポリと掻いて、成上さんは躊躇いがちに言った。
「お気持ちはありがたいんですが……やっぱり迷惑がかかると思いますし……」
「問題はないよ。その分、君をこき使えば済む話だ」
「「……………………えっ?」」
私と成上さんの声がハモる。
「いや、うちって女所帯だろ? 力仕事が出来る人間がいなくて困ってたんだ。私が働いている間、空音ちゃんばかりに家事を任せるのは可哀想だし」
「…………つまり、ぼくを居候させたいというのは」
「衣食住は提供する。うちで働け」
実にシンプルな回答だった。
「……それならそうと最初から言ってくれれば……」
「いや、感動したのは本当だよ? お兄さんを探すのもある程度手伝おうとも思っている。だが、それ以上に」
と、のり子さんはいきなり成上さんの二の腕を鷲掴みにした。
「うわ!?」
「この筋肉! 君、結構鍛えてるんじゃないか? この素敵なマッスルを是非とも提供して頂きたい」
のり子さんが成上さんの二の腕を揉みしだく。ライダースーツに包まれていてわかりづらいが、確かに結構固そうだった。
「え、あの…………」
「なんだ、衣食住+αでもまだ足りないと言うのか? しょうがない、ここは綿貫家秘伝『ウルトラスーパーデラックス土下座』で頼むしか」
「は、働きます! ここで働かせてください!」
のり子さんが床に五体投地したのを見て、成上さんは慌てて頷いた。さすがに歳上の女性の土下座を見るのはきつかったらしい。ていうかなんてものが秘伝されてるんだ、綿貫家。
「いや、わかってくれて嬉しいよ。少しでも早くお兄さんが見つかるように頑張ろうじゃないか」
「は、はい…………」
疲れきった顔の成上さんの肩をぽんぽん叩くのり子さん。それはつまり、お兄さんが見つかるまでは逃がさないという意味だろうか……
「…………わ、私お夕飯作りますね!」
なんだかいたたまれなくなった私はキッチンに逃げることにした。成上さんが「この人なんとかしてくれ……」みたいな顔をしていたのは、見なかったことにした。
…………それにしても。
(『お兄さん』…………か)
さっき見た夢を連想してしまう。あの夢の声と成上さんの声は、よく似ているような気がした。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「ふうん……サーズデイがついにここまで嗅ぎ付けてきたってわけか」
窓が割れ、床や壁にヒビが入った廃墟同然のビルの中に、三人の男女がいた。
「ええ。一応有り合わせの『ペブル』を何体かけしかけておきましたが、返り討ちにされたでしょうね」
「『でしょうね』ってお前……なんでそんなに無責任なんだよ。お前がしっかりしてくれなきゃ困るんだけど? ウェンズデイ」
「一応、責任者は貴女のはずでは? チューズデイ」
チューズデイと呼ばれたやや長い髪を無造作にくくった女は「はん、」と笑う。
「馬っ鹿、あたしがそういうの不得意だから全部お前に丸投げしてんだろ? それなのになんだこの体たらく」
「……………………」
「無責任なのはどっちなんスかねー……」
開き直るチューズデイと閉口したウェンズデイを見て、茶髪をカチューシャで纏めいかにもチャラそうなゆるゆるファッションの少年が苦笑いする。
「まーでも、サーズデイセンパイをどうにかすンのは別に最優先事項じゃないんしょ? てきとーにあしらっときゃいいじゃないっスか」
「障害は早急に取り除いたほうが良いんですよ、フライデイ」
「障害ねー……やけにセンパイのこと高く買うんスね?」
フライデイは喋りながら壁にもたれかかる。窓から入る外の明かりが反射して、彼の猫目がきらりと光った。
「あ、お前は知らないのか。サーズデイは強いぜ? 単純なパワーじゃあたしたちが束になっても敵わない」
「でも、それ以外なら勝てるんしょ?」
「まーな」
チューズデイはにやりと笑いながら右手をかざす。それは義手のようで、鉛色の武骨な拳銃を思わせるフォルムで鈍く光沢を放っていた。
「あいつは強い。だが、あたしの方が強い」
慢心や驕りなどではない、確固たる確信をもってチューズデイは言った。
「キャーッ、チューさんかっこいいーッ!」
フライデイがおどけて囃し立てる。それに気分を害した様子もなく、チューズデイは「照れるな……」などと言って笑っている。
「……ところで、ドクターはまだ来ないんですか?」
ウェンズデイが話題を変える。
「そういえば遅いな。もう三十分は待ってるってのに」
「失礼だなー、もう来てるよお」
「そうっスねー……ってうおおおおッ!?」
フライデイは頷きかけ、目の前の窓に件の人物が座っているのに驚いて腰を抜かした。
「いッ、いッ、いつの間にッ!?」
「さっきー」
「来ていたなら言えばいいでしょう。何故驚かせるような真似を?」
「なーんとなーくー」
ウェンズデイの問いかけに、ドクターはへらっと笑って答える。銀色の髪をおさげにし、眼鏡をかけ白衣を着たいかにも「研究者」といった風貌をしている。ただ一つミスマッチなのは、その姿はまだ高校生にもなっていないような少女であるということだ。
「ごめんねー? つっきーとの話と諸々の処理が長くなって遅れちゃったあ。つっきーの心配性には困ったもんだよー」
「マンデイが何か言ってたのか?」
「んふふー、つっきーにも色々あるんだよー」
ドクターは無邪気に微笑む。とてもその呼び名が示す地位についているとは思えない。
「とーにーかーくー、ボクちゃんが来たからにはもう安心だよー。メンテも治療も改造も再改造もレッツカモンだよー」
「頼もしい限りですね」
ウェンズデイは無表情のまま口角を吊り上げた。
「頼りにしてるっスよ、ドクちゃん!」
「まっかせなさーい!」
「はは……逆に不安になるな……」
誰が思うだろうか。和気藹々と戯れるこの若者たちが、いずれこの街を、そして世界をも脅かすことになるとは。
世界を黄昏に追い落とす彼らの名を、未だ誰も知らない。
The Trailer→
「……俺には『目的』がある」
「空音ちゃんっていくつなの?」
「きっと、どこかでちゃんと生きてるって信じてるけど」
「あァ? 見てわかんねーのかこのマヌケッ!」
「もしかして彼なら案外、サーズデイの弱点を突けるかもしれない」
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7.Ball/笑顔の裏で