4.Transform/魔の手と救いの手
綿貫宅を出た遠流は、頭上で何か飛んでいくような気配を感じた。
「…………まさか」
はっとして空を見上げるが、そこには誰もいなかった。だが、どこからともなく白い羽根が舞い降り、遠流の足元に落ちた。
「……やっぱりてめえが絡んでるらしいな、ウェンズデイ……!」
羽根を見た途端、遠流の口調が先程までの穏やかなものから一変し、荒々しいチンピラじみたものになる。眉間に皺を寄せて羽根を踏みにじり、舌打ちしながら歩きだした。
「ケッ。まったく、次から次へと飽きねえ奴だ」
遠流は鬱陶しそうに前髪をかきあげる。そこにはまるで人が変わったような、ぎょろりとした目付きの悪い赤い眼があった。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「う、ん…………」
気がつくと私は、見知らぬ廃工場の壁にもたれかかっていた。
いつから気を失っていたのだろう……成上さんから逃げてから記憶があやふやだ。誰かに危害を加えていないといいのだが……
「………………?」
ふと、胸元に違和感を覚えた。痛みや痒みはないが、そこに何か異物があるような……嫌な予感がした私は、周りに人がいないのを確認し、シャツを脱いでみた。
「………………う、ぁ、あ…………」
なんだこれ……なんだこれなんだこれなんだこれ…………!
私の胸元――首筋の延長線上、鎖骨の真下に、それはあった。
サーズデイや象牙怪人が胸につけていたような、宝石に似た半透明の石。色はあの日飲まされた石と同じ、空色。
そんな馬鹿な――さっきまでこんなものは生えていなかったはず。気を失っていたときに生えてきたのだろうか。そして、これが生えてきたということは、私は――
「――――――んぅッ!?」
どくん、と石が心臓のように脈打った。どくん、どくん、どくん、と早鐘のように鳴り響き、私の身体を煮えたぎらせていく。
「…………あ、つ……い…………!」
まだ四月の上旬だというのに、熱湯の中に放り込まれたかのように身体が火照る。私はシャツを着直すことも出来ず地面に転がった。
蕩ける意識の中で思い出す――確かあの日も、似たような感覚を味わった覚えがある。
この記憶が本当なら、私はこれから……
…………私も、怪人に?
「…………や……いや…………嫌ぁ…………ッ!」
私は熱さと恐怖でのたうちまわった。零れ落ちた涙が肌に触れた途端蒸発する。もはやどうしたらいいのか、何をすればいいのかわからなかった。
「たす、けて……誰か…………!」
どうせ誰も来ないとわかっていても、そう叫ばずにはいられなかった。
「――私でよろしければ、いつでも力になりますが?」
――ふわり、と顔に白い羽根が落ちてきた。
それを払い除けて空を見上げると――そこには雪のごとく純白の、鳥に似た姿の怪人が浮かんでいた。
「……ウェンズデイ…………?」
「おや。名前、覚えていてくださったんですね」
うくく、と喉を鳴らすように笑いながらウェンズデイはそっと着地する。彼の周りを二匹のカラスが旋回するように飛び回り、やがて彼の肩に飛び乗った。
『うぇんずでいサマ、コノコダーレー?』
『コノコガ新シイ「ぺぶる」?』
カラスが……喋った!?
「ええ……新しい、というには少し時間が経ちすぎましたが。いや、本当に長かった……」
ウェンズデイは私に歩み寄ると、私の腕を掴み、吊り上げるように私を立たせた。
「ッ………………」
足に力が入らず、ほとんどウェンズデイにぶら下がっているような状況だが、ウェンズデイは軽々と私を支えている。
「普通、『あれ』を飲んだら精々三日で馴染むのですが――まさか、二週間もかかるとは。これだけ時間をかけたのだから、誰だって期待してしまいますよ――」
ウェンズデイが私の顔を覗き込む――黒曜石のような左目と、不自然に閉ざされた右目。遠目には化け物同然に見えるが、近場でよく観察してみると、その顔は思いの外人間の名残を見せていた。
「さあ――さらけ出しなさい。真の自らを、覆い隠してきた本当の自分を――」
ウェンズデイの言葉が耳の中で反響する。その瞬間、身体の熱がふっと消えたような気がした。 ああ……私は、もう…………
意識がどんどん薄くなっていくのを感じながら、私は瞼を閉ざした。
「――――ぐッ!?」
「きゃっ!?」
不意に掴まれていた腕を離され、私は地面に落下した。その衝撃で消えかけていた意識が戻り、閉じていた目を開く。
ウェンズデイを見ると、腕を押さえて眉をしかめて(今の彼に眉はないが、そんな表情だった)遠くを睨んでいた。ウェンズデイの見ている方には、小石のようなものを弄ぶ人影があった。
「……よう、ウェンズデイ」
人影がゆっくりと近づいてくる。その怒気を孕んだドスの利いた声を、私は以前聞いたことがあった。
「ケッ――なんだなんだ、ずいぶん楽しそうじゃねーか。ガキ虐めてそんなに楽しいかあ? あァ?」
「うくく――サーズデイ」
ウェンズデイは腕を押さえるのを止め、目の前の男――サーズデイに向き直る。
そうか……サーズデイも人間だったんだ。ウェンズデイや今現在の私を考えれば別にそうであっても不思議はないのだが、今まで思ってもみなかった……
私はサーズデイの顔を見ようと思ったが、しかし目が霞んでよく見えない。かろうじて黒っぽい服を着ていること、そして『黒髪』であることはわかったが……どんな顔だちをしているかはわからなかった。
「まったく貴方ときたら……いつもこれからというところでやってくる。たまには読んでもらえませんか? 空気ってものを」
「生憎こちとらゆとりなんでなァ? ルビ振ってねえもんは読めねーんだよ」
「成程。では、今度貴方に会う時はそうすることに致しましょう」
名前は似ているわりに、二人の仲はあまりよろしくないようだった。
「空気なんざどうでもいい。てめえ、そこのちっこいのをどうする気だ?」
サーズデイが私を見た。うつ伏せの体勢なので、胸から生えた石には気づいていないようだ。
「さて、どうする気だったんでしょうねえ……?」
「っ…………」
再び腕を掴まれ、私は無理矢理立たされる。
「………………ケッ」
立ったことで私の胸元が見えたのだろう、サーズデイは忌々しそうに舌打ちした。
「何が『これから』だ――もう終わってんじゃねーかよ」
「いえいえ、まだ最後の仕上げが終わっていません」
そう言うと、ウェンズデイは私の向きを反転させ、私の顔を見た。
「………………!?」
閉ざされていた右目が、ゆっくりと開いていく。左目が黒いのに対し、その右目の色は……
その、右目の色は。
「…………ぁ、あ…………ああああああ…………ッ!」
「空音ッ!?」
サーズデイが私の名前を呼ぶ。しかし、私はそれに答えることができなかった。
……収まっていた熱がぶり返してくる。さっきとは比べ物にならないほど、熱く、強く、激しく……!
「ぁ…………あああ…………!」
「ウェンズデイてめえ! 何しやがったッ!?」
「わざわざ説明せずとも、大方想像はつくでしょう?」
うくく――とウェンズデイは笑いながら、私を突き飛ばす。私は尻餅をつくことすら出来ず、仰向けに倒れた。
今度こそ、私の意識は闇の中に消えた。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「空音!」
「うくく――それでは、私はこの辺で」
ウェンズデイは踵を返し、どこかへ歩き去ろうとする。
「ケッ――逃がすかッ!」
サーズデイは持っていた小石をウェンズデイに投げつける。しかしそれはウェンズデイに届く前に二つの影に阻まれた。
『痛ー! 痛イ、石痛イ!』
『人ニ石ブツケチャイケナインダゾー!?』
「この……バカ鳥ども……!」
どうやらあの喋るカラスたちが身を挺してウェンズデイを庇ったらしい。
「何をしているのですか、不義、無二。行きますよ」
そして庇われたわりにまったく感謝していないウェンズデイだった。
『ワーン待ッテー!』
『行カナイデー!』
「……だっから、逃がすかっつってんだろうがッ!」
ウェンズデイに向かって駆け出したサーズデイだったが、途中で『何か』に足を取られ、止まらざるをえなくなった。
「なッ…………!?」
「うくく……後は任せましたよ、『エイプル・ファースト』」
『任セター!』
『頑張レー!』
倒れていたはずの空音が、まるでトラバサミのように両腕でサーズデイの足を掴んでいた。
仰向けからうつ伏せになって――サーズデイの足にしがみついていた。
「クソッ――!」
「それではごきげんよう――また逢う日が来るとは、思いたくありませんが」
「ま――待てッ!」
サーズデイが空音に気を取られている隙に、ウェンズデイはカラスたちと共に飛び去っていってしまった。走って追いかけようにも、空音が邪魔で追いつくことはできないだろう。
「畜生が……!」
サーズデイは歯軋りしながら、上空と空音を交互に見た。
「……おい、空音――」
「…………………………」
空音は返事をせず、サーズデイから手を離しよろよろと立ち上がった。視線が定まらず、糸に引っ張られるように立つその姿はまるでゾンビのようだった。
「…………ぇん…………ぃん…………」
空音がぼそぼそと何か呟く――すると、彼女の胸元から生えた空色の石がぎらりと光った。
次の瞬間、空音の身体全体が光に包まれた。光が消えると、空音の身体は一回り大きい空色のシルエットのような姿になっており、さらにその姿は次第に人間から離れたものになっていった。
狼の皮を被った人――一言で言うならそんな姿だった。無論、ぴんと立った三角の耳や腰に巻きつけた房状の尾、胸部や腹部、関節を覆う毛皮は間違いなく直に生えているものなのだが。
空音――否、エイプル・ファーストはフォークに似た形状の矛を手にしており、変身が完了するとそれを両手で持ち、ぐっと腰を落としてフォークの切っ先をサーズデイに向けた。
「……やり合おうってのか、オレと」
「………………」
エイプル・ファーストは答えず、じりじりとサーズデイに近づいていく。
「…………ケッ」
サーズデイは舌打ちしながら後ずさりし、腰のポケットを探る。
「空音、聞こえてるか」
「………………」
聞こえているのかいないのか――エイプル・ファーストは無言のまま、サーズデイとの距離を詰める。
「もしてめえの意識がまだあんなら、足掻け。よくわかんねえもんに身体渡してたまるかって踏ん張れ。さもなきゃてめえ、そいつに身体取られたまま戻れなくなるぞ」
「………………」
「バケモンは怖いんだろ。バケモンは嫌なんだろ。それなのにいつまでそんな姿でいるつもりだ?」
サーズデイは言いながらポケットから目当てのものを探り当て、右手に握り込んだ。
「…………ゃ…………です……」
「あァ?」
「――――私だって嫌です、こんな姿!」
と――突如エイプル・ファーストはフォークを取り落とし、泣き出しそうな声で叫んだ。
「嫌です、嫌です怖いです気持ち悪いです! なんなんですかこれ――なんで私こんな姿になっちゃったんですか!? 身体が勝手に動くし、意識まで――今だって貴方を殺したくて仕方ないんです! そんなことしたくないのに……助けてくれた人にそんなことしたくないのに! 嫌に決まってるじゃないですか……!」
涙こそ流さなかったが、その声は嗚咽混じりだった。
「どうしたらいいんですか、こんなの――!」
「……オレがどうにかしてやるっつったら、どうする」
「………………え?」
サーズデイは――笑っていた。ぎざぎざの犬歯を剥き出しにした、肉食獣の威嚇のような笑みを、浮かべていた。
「どうせもう乗っちまった船だ。沈むまで付き合ってやんよ」
そして彼は、服の襟元のチャックを開き胸元を露出させる――そこには赤い光を放つ、宝石に似た石が生えていた。
「さあ! てめえの望みを言ってみろッ!」
「……わ、私は――」
空音は言いかけて、突然頭を押さえて苦しみだした。一時的に戻っていた意識が再び乗っ取られそうになっているらしい。
「――――私は……もうこんなの嫌です! 助けて……助けてください……!」
「よし、よく言った。もう休んでていいぞ――後はオレがなんとかする」
サーズデイが言い終わるよりも先に、空音の意識は闇に落ち――彼女は再びエイプル・ファーストとなった。
『あああああああああああああああああああッ!!』
「ケッ――気が早え奴だなッ!」
フォークを構えて突進してきたエイプル・ファーストを前蹴りで突き飛ばし、サーズデイは握っていた赤い石と自身の胸の石を砕けんばかりにぶつけ、叫ぶ。
「――変身ッ!」
二つの石から火花が飛び散り――やがてそれが電流のようにサーズデイの身体を駆け巡る。そして一瞬、サーズデイの身体に雷が落ちたかのようにまばゆく光ったかと思うと――サーズデイの姿は山羊のような角、獅子のようなたてがみ、筋肉に覆われた赤い身体を持つ怪人態に変わっていた。
「さあ来いメス犬――叩き潰すぞッ!」
『ぅああああああああッ!』
こうして、誰も予期しなかった組み合わせで第三試合は始まった。
The Trailer→
「ケッ……ついさっきまでヘロヘロだったくせによ……!」
「その程度、どうにでもなるッ!」
(何を――考えている?)
「ケッ――これでもう逃げられねーな?」
『ありがとう…………』
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5.Duel/力と勝利