3.Raven/記憶と約束
――まただ。また頭痛がする。私は思わず足を止めた。
そういえば、今日外出したのは病院に行くためだったっけ。成上さんに会ったり怪人に遭ったりで、すっかり忘れていたけれど……。
しかし、今更病院に行く気にもなれない。成上さんが心配だし、なんだかこの頭痛は病気ではないような気がする。
「……でも、やっぱり行っておいたほうがいいよな……」
とりあえず、成上さんを見つけて、それから病院に向かおう。成上さん、怪我してないといいけど……
「………………あれ?」
というわけでバス停まで戻ってきたが、そこに成上さんの姿はなかった。
バス停が微妙に曲がってたり、アスファルトにヒビが入っていたりはしたが、血痕や肉片など人間が襲われたような痕跡はなかったので、成上さんに万一のことは起きていないのだろうが……。
「……無事に、逃げられたのかな」
そうであると、信じよう。昨日、塀をあっさりよじ登った辺り、身体能力は高そうだし……きっと、走って撒いたのだろう。
その結果、また私が襲われたのかと思うと、なんだか複雑な気持ちになるが。
……とにかく、これで安心して病院に行くことができる。今日はだいぶ疲れた。さっさと行ってさっさと帰って、部屋でカルピスでも飲んで休もう。
「あの、その前に少しお時間を頂けませんか?」
息を吐いて顔を上げた私の前に、白い男がいた。
「何、長引く話ではありませんよ。ちょっと貴女の今後について、話し合おうじゃありませんか」
右目を眼帯で覆ったその白づくめの男は、私の顔を見て「うくく」と笑った。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「言っとくがな、てめえに見せ場は与えねーぞ」
ハンマーを肩に担ぎながら、サーズデイは不機嫌そうに言い放った。
「こっちはイライラしてんだよ――てめえみてーな雑魚に何時間も何日もかけさせられてな。挙げ句に無関係な奴まで巻き込んじまった。どう責任取ってくれんだあ? あァ?」
『グルゥ…………!』
サーズデイの話をどこまで理解しているのか、フェブ・サードは唸りなから釘バットを振り回す。
「ケッ、わかんねーのか。まあいい」
サーズデイはフェブ・サードにハンマーの頭を向け、言う。
「今度こそ! てめえにゃここで潰れてもらうッ!」
『グラァッ!』
サーズデイが言い終わるより先に、フェブ・サードが釘バットを振りかざし襲いかかってきた。サーズデイはそれをひらりとかわし、ハンマーでフェブ・サードの胸部を打つ。
「んなもん喰らうかよォ!」
『ガァ…………!』
のけ反るフェブ・サードの肩を掴み、サーズデイはさらに腹部へ膝蹴りを喰らわせた。
『グ――――ガァアアアアアアアアアッ!』
フェブ・サードは呻いて後ずさると、サーズデイめがけて口から無数の小さな弾を吹き出した。
しかし。
「二度も効くかァ!」
ハンマーを振り回し、サーズデイはいともたやすくそれらを打ち払った。ばらばらと地に落ちる弾を踏み潰し、サーズデイはフェブ・サードに歩み寄る。
「どうした――それでおしまいか?」
『グゥ…………』
「てめえの弱さはよくわかった。必殺技を使うまでもねえ。特殊攻撃その一で充分だ」
サーズデイは喋りながら、腰を低くしハンマーを両手で構える。と、サーズデイの胸部の宝石が赤い光を放つ。その光は両腕を経由し、ハンマーの頭へ収束していく。
「はァッ――――――」
『ガ………………!?』
フェブ・サードは本能的に何かを察したのか、慌てて逃げだそうとした。しかしフェブ・サードが動くよりも速く、サーズデイのハンマーが振るわれる。
「――――――――らァッ!!」
『グァ……ガァアアアアアアアアアアアアアアッ!』
振るわれたハンマーは、フェブ・サードの胸部の石に激突した。当たった部分から全体へびしびしと亀裂が入り、石はガラスのごとく砕け散る。それと同時にフェブ・サードは絶叫し、吹っ飛ぶように後方へ倒れた。
『…………ガ、ァ………………』
地面に横たわったフェブ・サードが微かに呻く。と、彼の身体が突如発光しはじめる。
フェブ・サードの身体が砂のように崩れ落ち、砂の中から人間の姿が浮かび上がっていく。フェブ・サードの身体がすべて崩れ落ちたとき、そこに倒れていたのは怪人などではなく野球のユニフォームを着た少年だった。
「…………ケッ」
サーズデイは舌打ちし、少年に近づく。砂の中から少年を抱き上げると、近くにあった街路樹にもたれかけさせた。
「いかにも『カッとなってやりました』ってな顔だな。精々反省しやがれってんだ」
砂が風に巻き上げられ、四方八方に散っていく。サーズデイはそれを見届けると、自らの胸部に手を伸ばした。
「あとは……あいつが心配だな。二度あることはっつーが、まさかまた襲われてたりしねーだろうな……」
がちん、と胸部から石を取り外すと、サーズデイの姿もまた砂状に崩れ落ちていく。それを気にも留めず、サーズデイは空音が去った方向に歩いていった。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
………………すべて思い出した。
三月十四日。ホワイトデーの、水曜日。
あの日もちょうど、バスに乗っていた。あの日もちょうど、怪人に襲われた。……サーズデイと名乗る、あの山羊角は現れてくれなかったけれど。
代わりに現れたのが、あの白色の男。寒気がするような笑顔で近づいてきて、私に何か飲ませた。
空色で透き通った、宝石に似た何か。ちょうど、怪人たちが胸にくっつけているそれによく似た何か。それを飲んだ、飲み込んでしまった私は……
……私は一体どうなるのだろう。今はどうにか理性を保っているけれど、いずれあの象牙のように、なりふり構わず暴れたり誰彼構わず襲いかかるようになってしまうのか?
お父さんたちは今海外にいるからいいとして…………のり子さん、リナちゃん。……それと、成上さん。
どうしたらいいのかはまったくわからないけれど、とにかく、誰かに危害を及ぼしたくない。……どこかに行かなくては。誰にも迷惑がかからない、誰にも危険が及ばないところへ…………!
ぐらぐらと煮えたつ身体を抱え、私は立ち上がる。行かなくては。とにかく、どこかへ。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「――――空音ちゃん!」
空音を探し走っていた遠流は、空音の姿を見つけ安堵の声をあげた。
「よかった……無事だったんだね」
「……………………」
「……空音、ちゃん……?」
空音の傍に駆け寄った遠流は、空音の様子がおかしいことに気がついた。
空音は地面にへたりこみ、荒い息を吐いていた。顔色は悪く、それでいて肌は茹でられたように赤い。具合が悪いのが一目でわかるような状況だった。
「空音ちゃん……まさか、具合が……?」
「……ぁ…………成上、さん…………?」
遠流の声に顔を上げる空音。一瞬安堵の表情をするが、すぐに焦燥したような顔になる。
「だめ……成上さん……来ちゃだめ……!」
「空音ちゃん!?」
空音はふらつきながら立ち上がり、遠流から逃げるように走り出す。遠流は慌てて追いかけ、空音の腕を掴んだ。
「待ってよ空音ちゃん! どうしたの……具合悪いんじゃ……」
「ぅ…………ぁ…………」
言いながら遠流は、掴んだ空音の腕があまりにも熱すぎることに愕然とした。風邪にしたって熱すぎる、とにかく一刻も早く病院に連れていかなければ――
「――――はなしてッ!」
「うあ!?」
空音は遠流の手を振り払う。不意を突かれたとはいえ、自分の手が簡単に振り払われたこと、その力が少女のものとは思えないほど強かったことに遠流は驚愕した。
「あ…………」
空音自身、自分がそんな力を出したことが信じられないようだった。しかしすぐに我に返り、再び走り出す。
「空音ちゃん!」
遠流も再び追いかける。が、
『行カセナイヨ~』
『行ッチャ駄目ダモ~ン』
「なっ!?」
突如空から二羽のカラスが舞い降り、遠流の行く手を阻んだ。
「く……邪魔だ! 退けッ!」
『退カナイヨ~』
『退カナイモ~ン』
遠流がカラスたちに気をとられている隙に、空音はいずこへと消えていった。
「ああ、空音ちゃんはまだ帰ってないよ」
「そう、ですか……」
カラスたちをどうにか振り払うと、遠流は一縷の望みをかけて空音の家に向かった。だがしかし、やはりそこに空音の姿はなかった。
「……まさか、空音ちゃんに何かあったのか!?」
「あ、いえ、その……何かあったっていうか、何か起こるかもしれないっていうか、何か起こってしまったかもしれないっていうか……」
「……やっぱり一人で行かせるべきじゃなかったな。無理矢理にでもついていけばよかった……!」
遠流の歯切れの悪い言葉をいぶかしみながら、綿貫祝詞は心配そうに爪を噛む。
「……遠流君、だったか? 空音ちゃんの居場所に心当たりは?」
「い、いえ……」
「そうか……とにかく空音ちゃんが心配だ。探しにいかなければ……」
「……ま、待ってください!」
玄関に降りようとする祝詞を遠流は慌てて止める。
「……どうした?」
「そ、その……空音ちゃんはぼくが探します!」
「何?」
祝詞の目が大きく開かれる。
「どういうことだ……」
「なんていうか、その……居場所にこそ心当たりはないんですが、空音ちゃんがどうなったかっていう心当たりはあるんです。ていうか、そうなったのにはぼくの責任でもあるみたいで……。
「と、とにかく! ぼくに空音ちゃんを探させてください! 必ず、無事に連れ帰りますから……」
「……………………」
祝詞は目を細め、しばらくの間沈黙した。そして、ゆっくりと口を開いた。
「…………夕方、だ」
「え?」
「夕方までに空音ちゃんを連れてこい。日が沈むまでに空音ちゃんが帰ってこなかったら、君を警察につきだす」
「け、警察!?」
「住居不法侵入でだ。あと、庭が若干凹んだので器物損壊になるかな?」
「か、必ず夕方までに連れてきます!」
「よろしい」
遠流の答えを聞き、祝詞は初めて顔を綻ばせた。
「必ずだぞ。犯罪者予備軍君」
「…………あの、その呼び方地味に心が抉られるのでやめてください……」
「冗談だよ」
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
『ネーうぇんずでい様ー、アノ子ニ一体何シタノー?』
『ネーネー何シタノー?』
課せられた役目を終え、戻ってきたカラスたちは自身らの主人に訊ねた。
「いえ、大したことはしていませんよ。ただ、思い出させてあげただけです」
『思イ出サセター?』
「ええ」
ウェンズデイは両肩に留まったカラスたちを撫で、笑う。
「忘れさせたこと、思い出したくないことを、ね」
『ナニソレー?』
『ヨクワカンナーイ』
「……………………」
一瞬こけそうになるウェンズデイだったが、やれやれ、と苦笑し立ち直る。
「……さあ、そろそろあの子を迎えに行ってあげましょう。もう頃合いのはずです。あの子も待ちかねているでしょう」
『ハーイ』
『ワカッター』
カラスたちが肩から飛び上がると、ウェンズデイは懐から黒い宝石を取り出し、胸元にかざす。
「――――変身」
石が発光し、その光がウェンズデイの身体を包み込む。次の瞬間、そこに立っていたのは全身に羽根のような飾りをつけ、猛禽のような頭部を持つ白い怪人だった。
「はッ!」
ウェンズデイは肩につけたマントのような羽根を翻し飛び上がる。
『ワワ、待ッテ~』
『置イテカナイデ~』
飛んでいくウェンズデイをカラスたちは慌てて追いかける。一陣の風が吹き、辺りに散らばった白と黒の羽根を舞い上げた。
The Trailer→
「――私でよろしければ、いつでも力になりますが?」
「ケッ――なんだなんだ、ずいぶん楽しそうじゃねーか」
「わざわざ説明せずとも、大方想像はつくでしょう?」
「――――私だって嫌です、こんな姿!」
「よし、よく言った。もう休んでていいぞ――後はオレがなんとかする」
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4.Transform/魔の手と救いの手