2.Goat/彼の名前は
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綿貫空音。十六歳。今年で高校二年生になります。
父方の叔母と二人暮らしです。父は海外出張中で、母もそれについていきました。兄弟はいません。
特技は暗記と暗算です。運動音痴なのか、運動はあまり得意ではありません。趣味は読書と料理。食べ物の好き嫌いはありません。
友人はいますが、多い方ではないと思います。一番仲が良いのは笹川織女ちゃんです。コイバナとかスイーツの話とかします。え? 私に彼氏はいません。誰かと付き合ったことはありません。
……はい。悩みを相談できる人は、いません。叔母にも友人にも、心配はかけたくない、です……。
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やはり風邪をひいたのだろうか。熱こそないが、朝から頭痛と目眩がして辛い。春休みで良かった。高校生にもなると、授業を欠席するのは決して良いことではないことに気づいてくる。
「すまない。風邪薬は切らしてしまったみたいだ」
朝食後に薬を探していると、のり子さんが空っぽになった薬瓶を持って申し訳なさそうに言った。のり子さんは見た目シャキッとしたいかにもデキそうな美人だが、仕事(つまり執筆活動)以外の日常生活は極めてルーズだ。家事全般を苦手としているので私が代わりにやっているのだが、私が居候する前は一体どうやって生活していたのだろう。
この際病院に行って適切な薬を処方してもらおう。市販の薬よりはそちらの方が効くはずだ。
と、いうわけで。
「病院、行ってきますね」
「うん? 一人で大丈夫か? なんなら車で送るよ?」
「大丈夫ですよ」
乗り物酔いしやすい体質なのでできれば車には乗りたくない。幸い、頭痛と目眩も治まってきたし。
自転車も使わないことにしよう。漕いでる最中に目眩がぶり返したら大変なことになりそうだ。
保険証と最小限の荷物を持ち、私は徒歩で病院に向かった。
「………………うわ」
病院へ行く途中の道にあるバス停で、おかしな人を見つけた。
具体的に描写すると、バス停の時刻表を穴が開く程眺めてみたり、ベンチに座ったかと思えばベンチを叩いたり撫でたりしだしたり、挙げ句の果てには地面を這いずり回って何かを探しだしたりと、良識ある一般人なら「あ、この人には関わっちゃ駄目だ」と直感するような行動を取っていた。
当然、私も見なかったことにして通り過ぎようと思っていたのだが……。
「――あ」
黒いライダースーツに赤い髪。この街ではなかなか見かけないファッションだが、しかし私には見覚えがあった。
――庭に落ちてきた謎の青年。今目の前で不審者同然の行動をしている男の顔は、あのときの少し気弱そうな顔と同じ顔をしていた。
「あ、君は――」
そうこうしているうちに青年が私に気づいてしまったようだ。青年も昨日のことを覚えていたのか、私に近づいてくる。
「……えっと、なんていうかその……また、会ったね」
「……そうですね」
こんな出会い方するぐらいなら再会なんてしない方が良かったと思うが。
「え……えっと! バスには乗らないほうが良いと思うよ! 次のバス来るのだいぶ先みたいだし……」
私の冷たい(多分)視線に耐えかねたのだろうか、青年があまり脈絡のないことを話しだす。
「いえ、歩きですけど」
「あ、ああ、そうなんだ……」
……この人、話をするのが下手だなあ。
「あなたはそちらで何を? 落とし物でもされたんですか?」
「ま、まあそんなところ、かな」
何故いちいち挙動不審になる。それじゃ「全然違うことをしていました」と言っているようなものだ。
「じゃ、じゃあ、君はどこに行くの?」
「私ですか? 私は病院に行こうと――」
「――病院!?」
突如青年が凄い勢いで食いついてくる。
「どこか怪我してるの!? ま、まさかぼくのせいで――!?」
「いえ、風邪ですけど」
普通に歩いている時点で気づきそうなものだが。
「そうなんだ……お大事にね」
ほっとした表情になる青年。いや、風邪なのをほっとされても困る。
「ほら、最近この町でも怪人が出るようになったって聞くから……怪人に襲われたんじゃないかな、って」
ああなるほど。確かに怪人に襲われて怪我をした、という人はそれなりにいるらしい。だが……
「……あなた、怪人なんて信じてるんですか?」
以前にも言ったが、怪人の存在を信じている人は多くない。怪人のせいで起きた事件は大体何かの事故か人間による暴行・傷害事件として処理されている。荒唐無稽な怪人の存在より、そちらの方が現実的だからだ。
もちろん、こんなことは昨日怪人と遭遇したばかりの私が言えた話ではないのだが。
「え? うん、そうだよ?」
と、青年は堂々となんのてらいもなく言ってのけた。
「君も見ただろ? 怪人が人を襲ったり、建物を壊したりするところ……。実際にいて、それを何度も見てるんだから、信じない方がおかしいじゃないか」
この青年も怪人を目撃したことがあるのか。納得はした。しかし。
「……なんで、私が怪人を見たことを知っているんです?」
「あ」
私の素朴な疑問に、青年は「しまった」というような顔をした。
「い、いやその。昨日ほら、バスを降りたところで怪人に出くわしてたよね? ちょうどこのバス停で。ぼくもたまたまそのとき近くを通りすがってて、それで見てたんだよ……」
私はそれを聞いて初めて、ここが昨日怪人たちが現れたバス停であることを思い出した。
「あなたも見てたんですか?」
象牙怪人がバスをぺしゃんこにしたあたりから、近辺にいた人はみんな逃げだしていたはずだが。私は持ち前の運動音痴が祟って逃げ遅れたけれど。
「う、うん。怖かったからすぐ逃げたんだけどね」
「……じゃあ、もう一人の……赤黒くて、頭に山羊みたいな角を生やした方は見なかったんですね?」
実のところ、私はあの山羊角の怪人が妙に気になっていた。
言動はまさにチンピラそのものだったが、象牙と戦って倒そうとしたり他の人に危害は加えなかったりと、実は悪い人(?)ではないんじゃないかと思うのだ。
象牙のように何かを壊したいのだったら、逃げ遅れた私をおどかすだけで済まし、そのまま去っていったのが少し不自然だし。
もっとも、山羊角は人々があらかた逃げだしてから現れたので、この青年から彼について何か話を聞けるとは思っていないのだが……
「………………誰が山羊みてーだとォ?」
「…………!?」
聞き覚えのある、低くドスの利いた声。そしてそれは、目の前の青年から発せられたような……!?
「……あの、今の……」
「――え!? い、いや、その……うん、全然見たことないよ!?」
おそるおそる訊いてみると、青年は慌てたように否定した。声のことにはまったく言及せず。
…………………………。
……やはりこの青年、怪しい。
悪い人ではないようだが……これ以上は関わらないほうが良さそうだ。
「……長話になってしまいましたね。そろそろ行かなくてはならないので、この辺で」
まあ、急いだところで診察までの待ち時間が少し早くなるぐらいしかないのだが、彼から離れるにはちょうどいい言い訳だ。
「あ! ちょっ、ちょっと待って!」
「……なんですか?」
が、青年に呼び止められた。
「君の名前を……訊きたいんだ」
「名前?」
何故このタイミングで? まさか今更ナンパしたいわけではないだろうし。
「いや、なんていうか、その……君とは何度も会ってるから、また会うんじゃないかな、って」
まだ二回しか会っていない。どちらも衝撃的で、いやでも印象に残る出会いだったが。
「……まあ、なんでもいいんですけれど。だったら、そちらから名乗るのが礼儀では?」
「あ……そっか、そうだね。ぼくの名前は成上遠流。好きな仮面ライダーはファイズです」
最後の一文は必要あったのだろうか。それはさておき、私も名乗る。
「綿貫空音といいます。強いて言えば龍騎が好きですね」
「空音ちゃんか……よろしくね。ぼくも龍騎は好きだよ。サバイブフォームがかっこよかったなあ」
別に訊いてない。龍騎サバイブがかっこいいのは認めるが。
「これで満足ですか? じゃあ、今度こそ」
「うん、ありがとう。気をつけてね――」
私が歩きだしたまさにそのとき。
『――ゴァアアアアアアアアアアッ!』
ズン――という重量のある何かが着地した音とともに、けだもののような唸り声が後方から響いてきた。
「あれは――!」
青年――成上さんの驚く声。慌てて私も振り返ると、見覚えのある赤茶色のシルエットが目に入った。
……冗談じゃない。なんであいつがここに!? まさか、また出会うことになるなんて――!
「――空音ちゃん、逃げてっ!」
成上さんはそう言うと、私を庇うように怪人の前に立ちはだかった。
「え、でも、成上さんは――」
「ぼくも様子を見て逃げるよ。空音ちゃんは先に逃げて!」
「…………はい!」
正直、成上さんを置いて先に逃げるのは心苦しかったが、つべこべ言い合ってるうちにどちらも襲われたら話にならない。ここは素直に厚意を受け取っておこう。
「成上さんも気をつけてください――!」
成上さんも無事に逃げられることを祈りながら、私は全力で駆け出した。
数百メートル程走ったところだろうか。不意に頭の中で鈍い痛みが暴れだした。
「……っ、ぁ……」
よりにもよってこんなときに――私は思わず立ち止まった。一歩でも足を進めなければならないのに、身体が言うことを聞かない。
「――――ぁぅっ!」
無理矢理足を動かしたら、足がもつれて転んでしまった。目眩がして立ち上がることもできない。
「早く、逃げないと……」
なのに、動けない。このままじゃ駄目だという焦燥感だけが空回りする。
そして――最悪の展開が訪れた。
――ズン、という重低音がすぐ前方から聴こえた。
「え…………?」
ま、まさか……!? 悪寒で身を震わせながら私は顔を上げる。その悪寒が風邪からきたものなのかどうかすらわからないまま。
『グゥォオ……ガアァ……』
肉食獣のように荒い呼吸。それら一つ一つが凶器になり得そうな、肩や肘に生えた鋭利な角。荒野のように渇きひび割れた赤茶色の肌。胸部に爛々と輝く若草色の宝玉。
「……うあ、あ……」
そんな、もう追いつかれた……!? 成上さんはどうなったんだ……!? 様々な疑問が脳内を駆け巡る。だが、今はそんなことを考えている暇はない。
今、重要なのは――目の前の脅威からいかにして逃れるかだ。
『グ、ゥウウウウウ…………!』
私のことは無視して、どこぞなりとも去ってくれないだろうか。そんな淡い期待を打ち砕くように、怪人は私の方へゆっくりと歩み寄ってくる。
「い、いや…………」
逃げなければ。逃げなければいけないのに、身体は凍りついたように動かない。
……どう、しよう…………このまま、じゃ…………!
少し足を伸ばせば、私の顔を蹴飛ばせてしまえるような位置まで来て、象牙の足は止まった。そしてどこから取り出したのか、痛そうな突起がびっしりと生えた得物、釘バットを――
『――グロァアオオオオオオオアアア――――――!!』
――私目掛けて、振り下ろした。
「――さっさと逃げろよこのノロマ――!」
振り下ろされた得物は、しかし私に当たることはなかった。
理由は簡単、釘バットが私に当たろうとしたその瞬間、突如象牙が前方へ吹っ飛んでいったからだ――とそこまで考え、目の前にいる人物を見て、それが完全には正しくないことに気づいた。
「あ、あなたは――」
人間のそれとはまったく違う質感の赤黒い肌、緩くカーブする二本の角を頭部に持つ彼が――どうやら私を飛び越える形で象牙に飛び蹴りを喰らわせたようだった。
「――山羊角、さん?」
「あァ!? 誰が山羊だとォ!?」
と、山羊角が振り向いて怒鳴る。胸部には象牙と似たような形状の、真紅の宝石が稲光のように輝いていた。
「ざけんなてめえ――そのちっせえ身長もっと縮められてーのか!? 今度『山羊』つったらカービィみてーな頭身にしてやんぞッ!」
どうやら彼は『山羊』と呼ばれるのが心底不愉快らしい。さすがに頭部に手足がくっついてるような体型にはなりたくないので、「わ、わかりました」ととりあえず頷いた。
「また――逢いましたね」
「ケッ」
出来れば逢いたくなかったがな、と彼は小さく呟いた。
「逃げてたんだろ、お前。何地面に寝転がってんだよ。サンドバッグに就職でもしたかったのか?」
「それは……その」
誰が好き好んでそんなブラック企業に就職するものか。
「体調が悪くて、足がもつれて……」
「ケッ。鈍くせー奴だな」
鼻で笑われた。なんだよ山羊のくせに。
「まだ動けねえのか?」
「いえ……もう、大丈夫です」
まだ頭痛はするが、立ち上がれる程度には気分が回復していた。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
「あ?」
私の言葉に、彼は不審そうな声を出した。
「別にお前を助けた覚えはねーよ。オレはあの雑魚をブッ飛ばしただけだ」
と――彼はあくまで否定した。
「そう、ですか……」
「ああ。わかったらお前はさっさと帰れ。グズグズしてるとまた襲われるぜ」
彼の視線の先には――先程まで倒れ伏していた怪人が、起き上がってこちらを睨み付けていた。
『グルゥウ……グロォオオォオ……!』
「――サーズデイだ」
「……えっ?」
「オレの名前だよ――オレを呼びたいときはそう呼べ。二度と『山羊』なんて口走るな」
彼――サーズデイはそう言うと、象牙の方へ向き直った。
「――今度はすっ転ぶんじゃねえぞ?」
「…………はい!」
頷いて、私は走って元来た道を引き返す。
後のことはサーズデイに任せよう。そして、成上さんの安否を確認しなければ。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「……行ったか」
空音が走り去るのを横目で見ながら、サーズデイと名乗った怪人は右腕を胸の前で振る。
すると、胸部の石が光を放ち、何かの柄のような棒がずずずっと石から生え、サーズデイはそれを一息で引き抜いた。
それは巨大なハンマーだった――頭部が和太鼓ほどもあるそれを軽々と振り回し、サーズデイは象牙に一歩近づいた。
「今度は逃がさねえぜ――てめえにはここできっちり潰れてもらう。訊きてーことも山程あるしな」
『――――グルァアアアッ!』
象牙――白服の男に『フェブ・サード』と呼ばれた怪人も唸りながら釘バットを構え、サーズデイに襲いかかる。
サーズデイVS.フェブ・サード。二回目の戦闘が始まった。
The Trailer→
「あの、その前に少しお時間を頂けませんか?」
「こっちはイライラしてんだよ――」
「……空音、ちゃん……?」
「――――はなしてッ!」
「……まさか、空音ちゃんに何かあったのか!?」
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3.Raven/記憶と約束