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西国の神  作者: あすかK
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序、神の抜殻


「神がこの世界をお創りになられた。四つの王に国土を与え、四つの国が作られた。神は我々人間に、命を与えられた。また、選ばれし者には『力』を与えた。選ばれし者は神と人間とを仲介し、『力』をこの世界の守護のために、そして神のために使わなくてはならない。我々は母である神に祈りを捧げ、忠誠を誓い、いつでも心清らかでなくてはならない。——さあ、神に讃美の歌を!」



 燃え盛る炎の渦の中、人の悲鳴が響き渡る。男は皆殺しにされ、女子供は捕えられてもてあそばれた。そこは残虐非道な酒池肉林。突如現れた征服者の嗜好を満たすだけの空間と化す。

 少年は、炎の渦を避け、人々の目を盗み、村の外へと逃げ出した。街の外へと逃げ出せる裏道は、自分と村の子供が数人しか知らない細い空間だ。そもそもそれは、道ではなかった。屋敷と屋敷の間に誤ってできた死角であり、大人では通り抜けることもできないような狭い空間でしかない。故に、街を襲った野盗どもは、この空間には気付かなかった。少年は幼い妹の手を引きながら、その空間を通り抜けた。

「お兄ちゃん……お父さんと、お母さん、は……」

「しっ……静かにしろ」

 幼い兄は、自分よりもさらに幼い妹の口を自分の手で塞ぎ、息を潜めてうずくまる。細い空間の傍を、下卑た笑いを浮かべながら数人の余所者が通り過ぎていった。突如彼らの街が炎の渦に焼かれたのは、あの余所者どもの所為だ。汚らしい格好をした盗賊共で、集団で街に押し寄せてきたと思えば住人を殺し財を奪い女子供を連れて行った。一瞬にして、昨日までの幸福な日常は、奴らに奪われてしまった。

 兄の腕の中で、妹はがたがたと震えていた。兄とて、妹と同じく震えて泣き出してしまいたい気持ちでいっぱいだ。だが、彼女が兄にとっては最後の希望であった。

 ——フィオナを連れて逃げなさい!

 そう叫んで、彼らの父は幼い兄妹を裏口から追い出した。父母はその後どうなったかわからない。いや、この炎の海の中、生きているはずもないことは幼い頭にも理解はできたが、わからないふりをした。余計な事は考えず、妹の手を引いて逃げるだけだ。兄には妹フィオナを護る義務がある。なんとしてでも妹を護らなくてはならないと、何度も自分に言い聞かせた。

 息を潜めていると、やがて、その通りからは物音一つしなくなった。人の気配はない。

 今だ、と決意し、兄は妹の手を握って外へと飛び出した。予想した通り外には誰もいなかった。兄は燃え盛る炎の方は振り返らずに、一心不乱に街の裏の丘を上った。この丘の上には街を見守る修道院があった。あそこまで逃げられればなんとかなると、そう信じていた。

「フィオナ、頑張れ……! 丘の上まで、行けば、修道士様が……修道士様がきっと、お助けくださる!」

 幼い兄は、この街を出たことなどない。遠出と言えば、丘の上の修道院に祈りを捧げに行くくらいのものだった。その丘の上の修道院は、普段生活をしている街とはまるで別世界のようで、神と人とを繋ぐ唯一の神聖な場所だった。

 あの聖なる場所なら、野盗に襲われることもなく、慈悲深い修道士が自分たちに救いの手を差し伸べてくれるであろうと、幼い兄はそれだけを頼りに丘を駆け上ったのだ。

 ——故に、修道院の扉を開いた瞬間に、絶望した。

 巨大な神像と祭壇。両親に連れられ、度々祈りを捧げに来たことのある場所だ。しかし、その見慣れた光景の中には、いつもの神聖さがない。代わりに、あの汚らしい男共がたむろしていた。嘘だろう、と思う。奴らはこのような神聖な場所まで穢れを浸食させる気なのか。

 一瞬、足がすくむ。穢らわしい男たちと目が合った。絶望の淵の中で、逃げなくてはと本能が叫ぶ。

「どこへ行く気だ、可愛い子ちゃんたち」

 慌てて逃げ出そうと足を動かしてみるも、間に合わなかった。幼い兄には大人に勝るほどの体力も瞬発力もない。それに、丘を走って上りきった今、妹フィオナの体力は限界であった。もうこれ以上、彼女に走る余力は残されていない。

 たちまち捕えられて、フィオナは兄から引き剥がされた。どれだけもがいても、大人の腕から逃れられるわけもない。野盗共は泣き叫ぶ子供たちの前で、あまりにも無慈悲な相談事を始めていた。

「どうする? 殺す?」

「男の方はさっさと殺しても構わんが……娘の方は待て。なかなか可愛らしいぞ」

「可愛いかぁ? まだ十にも満たねえガキだ」

「馬鹿だなお前は。だからいいんじゃねえか。そこらの成長しちまった娘と違って、初々しいぞ。絶対に初物だ」

「てめえの趣味なんぞ俺の知ったこっちゃねえ。男の方は殺しとくからそっちは好きにしな」

「いや、待て……男はそこに縛っておいておけ」

「……いいけど、何する気だよ」

「決まってんだろ。見せつけんだよ。自分の妹が知らねえ男に性奴隷にされる様をよぅ……楽しいぜぇ?」

「悪趣味だな。好きにしろ」

「うるせぇ。女より金が好きなお前も俺にとっちゃ十分悪趣味だよ」

 あまりにも下等なその会話の意味は、ほとんど幼い彼らにはわからなかった。わかるのは、己らの身に絶望的な危機が迫っているということのみだ。

 修道院を支える神聖な柱に縛り付けられた兄は微動だに出来ず、ただただ目の前で幼い妹が泣き叫びながら陵辱されていく様を見ていることしかできなかった。どれだけ泣いても喚いても、それは奴らの嗜虐心を煽るばかりで、意味をなさない。兄は自分の無力さに、号泣した。

 その残虐な行為の途中、兄は神像の裏側から、見慣れた修道士がひょこりと顔を見せたことに気付いた。修道士はこちらを見て、顔色を真っ青に染めるが、しかし助けてなどくれない。

「修道士様っ! 修道士様っ! どうか、お助けを……! フィオナを、フィオナを助けてください……!」

 兄の悲鳴に似た叫びはしかし、修道士を動かすことは出来なかった。修道士は神像の裏側に隠れたまま、二度とは姿を現さなかった。この生き地獄の中に残されたのは、神像と、襤褸雑巾のようになった幼い妹と、縛られたまま身動きのできない少年のみである。

 神像は慈悲深い顔でこちらを見下ろすのみで、何もしてはくれなかった。無慈悲な行為には天罰が下るのではなかったのか。それとも神はこの行為を許されたとでもいうのだろうか。何故、この罪なき若い命を助けてくれないのか。神は——どこにいるのだ?


 それから長い間行為は続けられ、奇跡的に助けが来たのは、その翌朝のことであった。

 幼い娘を陵辱して満足した野盗共は修道院の中でいびきをかいていたところを、政府管轄の軍に捕えられ、連行されていった。どうやら他の野盗共は皆街を荒らすだけ荒らして逃げて行ったらしいが、この修道院の中にいた奴らだけはのんびりとしていて逃げ遅れたらしい。

 街の男はほぼ殺され、女子供は連れ去られたが、唯一この修道院の中で縛り付けられていた少年だけは、縄で縛られた時に出来たかすり傷のみで助かった。しかし妹のフィオナは可哀想に、陵辱された姿のまま命を失った。


 兄は、妹を、護ることができなかった。

 妹の命の失われて行く様を、泣き叫びながら見守り続けたのみだ。


 助けに来た政府軍は少年を保護し、荒らされた修道院の中を軽く清掃した。可哀想な妹の遺体は、荒らされた残骸とともに処分された。まるで物のように扱われる遺体を見ていることもできず、少年は呆然としていた。神像は相も変わらず慈悲深い顔のまま、にこりともしない。

 残骸を清掃し終えた政府軍はやがて呆然としている少年を迎えにやってきた。少年は何一つ言葉にすることができなかった。そんな彼を抱きかかえた軍人の一人が、神像を見上げて呟く。

「——しかし、この神像の前でヤるとは、罰当たりだな」

「まぁ、信仰心さえなけりゃ、こんなもの、ただの石も同然だからなぁ」

 少年は、その時になってようやく、真理を悟った。

 修道院にさえ行けば、神が自分達を護ってくれると思っていた。しかし、実際にはどうだろう。神など存在しない。そこにあるのは神像と名付けられた石と、だだっ広い空間のみだ。そこに仕える修道士という名の男共は皆腰抜けで、慈悲心など持ち合わせていない。奴らは己の身が可愛くて、子供さえ見殺しにする。

 神など存在しないのだと、少年はこの時になってようやく気付かされた。他人は誰も助けてなどくれない。神は存在すらしない。自分を護ることが出来るのは、自分だけだ。他の何にも、縋ってはならない。縋ることが、そもそもの間違いだったのだ、と。



 政府軍によって保護された少年は、生まれ故郷からは遠く離れた街の修道院に、孤児として預けられることとなった。炎に焼かれた街を再建するには時間がかかり、身寄りを全てなくした少年には他に行く宛などなかった。

 少年は神も修道院も大嫌いだった。しかし一人で生きる術を持たない少年には、そこに頼る以外に道は残されていなかった。仕方なく、彼はその場所に従った。

 少年はそこでひたすら、勉学に励んだ。取り入れられる知識は何であっても貪欲に学んだ。読み書きや計算等の基本は当然のこと、国の成り立ちや歴史、政治学、天文学、哲学、経済学、大嫌いな宗教学も、何から何まで学んだ。元より物覚えはよく利発な方ではあったため、勉学に励めば励むほど、彼は秀英に成長した。そこまで勉学に励んだ理由は、一人で生きる道を確保するためだった。どのような道を辿るにしろ、無知ではやっていけない。世の中を知ることこそが重要だった。

 そのうちに少年は国の中でも随一の秀才となり、「神童」と呼ばれるようになった。たった十二の齢で学者すら舌を巻くほどの知識量と能力を持ち、周囲の大人に絶賛された。少年は賞賛の声などちっとも嬉しくはなかった。これは自分の身を守るために備えただけの知識だ。褒められるようなものでもない。

 その頃から、政府の人間よりお呼びがかかるようになった。その才能を埋もれさせるのはもったいない。国学の勉強をしないかと、誘われるようになった。

 少年は国政になど全く興味はなかったが、この頃から、勉学に励み知識を蓄えるだけでは完璧な自衛の術とはならないのだということにも気付き始めていた。勉学によって手に入れた知識と、もう一つ必要なのは、権力だ。権力がなければ、結局何一つ護ることなどできない。

 そこで少年は、十五の年の時に国家試験を受け、官僚の身分を手に入れた。それからはひたすら、頂点を目指すのみである。他の何にも縋らずとも、自分一人だけで大切な物を守れるだけの力を手に入れるために、少年はがむしゃらに、頂点を目指した。



 それから二十年の歳月が過ぎ、彼は国の頂点に限りなく近いところに君臨した。その国の頂点は皇室であり王である。王は世襲で決まるため、王家に生まれなかった彼は頂点の座を手に入れることはできなかった。しかし、今や彼の指示一つで国は右へも左へも傾いた。彼は、絶対的な権力を手に入れた。彼の手に入れた座は、官僚の頂点の一つ、国務参謀と呼ばれる。

 神を嫌い、神を否定し、しかし何の皮肉か神童と呼ばれるようになった少年は、やがて西国エウリアにこの人ありと言われる権力者となった。

 彼の名を、ワイズ・レヴィンという。

 その名は国中へ轟き、そして彼の死後も歴史として語り継がれることとなるのだ——。

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