No.02 ユーヤの初恋物語
自分で言うのも何だけど。俺って結構イケてる系、らしい。
実際、女に不自由した記憶がない。でも、告られた女の名前も記憶にない。
とにかく、日替わりだったから、いちいち覚えてられないんだ。
そういえば、一番長い付き合いの『要』が言っていた。
「キミ、ユカのファーストキスの相手なんだってさ。ユカの親父に会わないよう気をつけないと、 “俺の最後の恋人”とか言ってる親父らしいから気をつけるのよ」
ふん……名前も覚えてない、ってことは、もう昔の女ってことなんだよ。
「何だかんだ言って、俺は要が一番だもーん」
と、要の頭を両手で挟んで軽く触れる程度のキスをした。
要は
「こら、誰が名前で呼んでいいって言った」
と俺のおでこをトン、と小突いた。
そんな俺に、人生最大の転機が訪れた。
親の都合で引っ越した一年の入学を迎えた春、一人の女と出会ってしまった。
彼女の名は、ユーキ。漢字も俺と一文字しか違わないから、名前が印象深かったのだけは今でも覚えてる。
引越し、と言っても父親の実家に戻っただけだから、一族が結構住んでいて、同じ苗字が多いんだ。だから、皆互いに下の名で呼ぶ。
ユーキに「ユーヤ」って呼ばれるのがくすぐったくて、名前を呼ばせる為にユーキにちょっかいばかりだして怒らせていた。
ユーキは、普段は制服姿しか見たことがないけれど、私服姿が超色っぽい。
いつも背中の真ん中まである長い髪をポニーテールにしているのだけれど、私服の時は下ろしてる。デニムのミニスカートがお気に入りらしく、いつも凝ったデザインの洒落たヤツを、実に見事に着こなしているんだ。でも、ちょっとあの目のやり場に困るキャミソールは、他の奴らの目もあるし、止めて欲しいなぁ、と思ったり。
……まあ、俺が言える立場じゃないから黙っているけど。
たまにコンビニとかで会うと、「よ、ユーヤ」と声を掛けてくれるのが嬉しくて、用もないのに毎日コンビニでたむろした。
見た目の色っぽさと違い、ユーキは何と空手の有段者だと知ったのは、彼女と近所だというケンタからの情報だった。
「だからお前、迂闊に手なんか出したら殴られるぜ?」
と忠告を受けた。
何だか納得。あんなに可愛い子なのに彼氏がいないのは、ユーキより強い男がいないからなんだ。
俺は初めて母親に土下座で頼みごとをした。
「母さん、お願いします! 必ず成績を落とさないって約束するから、護身の為に、空手を習わせて下さい!」
母親には、あれこれと聞かれた。何で突然、しかも空手なんだ、とか、ただでさえ帰りが遅いのに、その上道場になんて体力が持つのか、とか。
でも、最後には了承してくれた。
「まあ、元々何かしら身体を使ったものをするに越したことはない、って思っていたからいいけどね」
翌週からなら、切り替え時だし他の新人と一緒に学べるからいいでしょう、と、母親が段取りをしてくれた。
もうすぐ二年になる春、一年がかりでやっとユーキと親しくなれるチャンスが訪れようとしていた。
空手を通してユーキと親しくなる、というところまでは俺の思惑通りだった。
「へー、ユーヤも空手始めたんだ」
と、彼女は俺を、その他大勢から格上げしてくれた。
同じ道場ではあまりにもあからさまで気恥ずかしくて、別の道場に通っているが、流派の違いが却ってお互いの学んだことを教えあえていい感じ。
ゴールデンウィークに入った頃には、お互いの家を行き来して、稽古と称したスキンシップに口元の緩む俺がいた。
「ふーん……。そーいうことね」
と、要が意地悪く笑って俺を見る。
「何だよ。そのやらしい笑いは」
「ユーキちゃんが好きなんだ~。それで空手を始める気になったのね。可愛い、可愛い」
その言い方がすごく馬鹿にした物言いで、俺はむっとして要に蹴りを入れてやった。
「ったいなもう! 武道をするなら、迂闊に技を出したらダメでしょ!」
と言われて、同じ言葉を発したユーキを思い出す。
“空手をするからには、去年みたいに誰にでも暴力をふるっちゃダメよ”
“本当の強さって、闘わない強さ、なんだよね。アタシはそーいうのを目指してるんだ”
ユーキは俺よりも大人だ。大好きだけど、負けたくない。
ただ傍にいて楽しい、嬉しい。それだけのヤツから、「守りたい、頼りにされたい」……そういう存在に変わっていった。
学校では、何故か俺たちは既にカップル成立しているらしい。
友達に「よー、ダンナさん」と冷やかされると「うっせー!」とつい恥ずかしくてがなり立ててしまう俺に対し、ユーキは「オクサン」と言われても「だーれのオクサンだっつーの」と笑って受け流す余裕があった。
早くユーキよりも大人になりたい、あいつのそういう余裕の態度を見る度に、気持ちと理想のギャップが激しい現実に焦りを感じる毎日だった。
自分で言うのも何だけど。
俺は学年の中では背も高い方で体格もよく、勉強の方もとりあえずクラスでは五本の指に入るうちになる。運動神経もダントツと言われ、選手に毎年選ばれたり、クラス対抗の時には、必ずと言っていい程頼りにされていた。
だから、ユーキの心を掴むことだけ考えてて、ライバルとか、そういう存在のことなんて考えたこともなかったんだ。
「今年から赴任して来たカノウです。新米教師ですが、どうぞよろしく」
「やん……ストライク~……」
隣の席のユーキが小声でそう言ったのを、俺はしっかりと聞いてしまった。
(マジかよ、おっさんじゃねえか……)
俺の頭の中で、切なげなメロディのユーロビートが流れた。
カノウは教師、つまり、最低でも俺より頭がいい訳で。ルックスもまあまあ、何よりもすんげえ背が高い。学生時代はバレーボールの選手でレギュラーを務め、全国大会の中継でテレビにも映ったことがあるらしい。
「センセー、何センチあるんですか~?」
と、女子の黄色い声が飛び交った。
「う~ん……今はどうだろ? でも、学生の時に最後に測った身長は192cmだったよ」
きゃーっ! たっかーいっ! カッコいいー! と一層けたたましく響く女子の悲鳴。
「あ~……カノウ、うぜぇ」
小声で言ったつもりなのに、ユーキに聞こえてしまったらしい。
「アンタの態度のがうぜえっての」
と、汚い口調で罵られ、余計に俺は落ち込んだ。
それから、ユーキが俺の家に稽古に来ることが激減した。自主学習に時間を当てることにした、と言っていた。
「だって、カノウ先生に注目して欲しいじゃん?」
と、飛び切りの笑顔で言うんだ、これが。
「お前、俺にそんな顔したことあんのかよ」
と不貞腐れた口調で文句を言うと
「何でアンタにそんな顔見せなきゃいけないのよ」
と身も蓋もないことを言われ、傷口に塩を擦り込まれた気分になる。
チクショウ、カノウのヤツ。俺が数年間の長い時間をかけて温めて来たモノを、数日であっさりとかすめ取りやがって。
むかついたので、友達とつるんでカノウを困らせる数々の悪行を働いた。
ある日、カノウに呼び出された。
「お母さんに了承をもらってあるんだ。ちょっとゆっくり話をしないか」
テメーと話すことなんかねえよ、と憎まれ口を利く俺の言葉を無視して、カノウは校庭に向かった。そこで、突然ボールを持ち出して、思い切り俺にぶつけて来た。
「ってぇな! いきなり何すんだよコラ!」
「腹が立つなら、思いっ切り投げ返して来てご覧よ。絶対取ってやるから」
そう言って腹が立つほど爽やかな笑顔を俺に向けた。
「……舐めやがって!」
渾身の力でボールを投げ返してやった。
だが、体育会系で鍛えられているカノウにそれが通用するはずもなく、あっさりとボールはキャッチされてしまった。
「何を怒ってるん……だいっ!」
叫びながら、カノウがボールを俺に投げ返す。
「別に怒ってなんかい……ねー!」
俺も負けずに叫びながら投げ返す。
「じゃあ、僕が嫌いかい?」
「でーっきれー!」
「ありがとう。これからも、そうやって言葉に出して伝えてくれよ」
その言葉を言った時、カノウはボールを優しく投げた。
思わず俺は、キャッチしてしまった。
「受け取ってくれてありがとう」
そう言って、話はおわりー、じゃ、また明日ね、と、職員室へ戻っていった。
俺は、カノウのそのでかさに完敗した気持ちになった。
「ちくしょう、八つ当たりだってことくらい、俺だってわかってらあ……」
カノウの男気に惚れ込んでしまった俺の完敗だ……。
ユーキが俺に恋の相談をする。
そんな俺は切ない男心を放課後カノウに愚痴こぼす。
そんな毎日が続いたある日、いつものようにカノウと話をしに相談室に行くと、先客がいて思わずドアの影に隠れてしまった。
何故ならば。
ユーキがカノウの頬にキスしてたから。
ほんの一瞬の出来事だけれど、ストップモーションのように脳裏にこびりついて離れなかった。
真っ赤に染まるカノウの顔。
自分の想いを伝えられたことに満足げな笑みを浮かべるユーキの薄紅に染まった頬。
俺は、生まれて初めて『失恋』をした。
そして、俺は生まれて初めてそれで泣いた。
足どり重く、自宅に戻る。
「ただいま……」
「お帰り、どしたの、今日はカノウ先生と相談室の日じゃなかったっけ」
いつも通りに要が迎えてくれた。
「……やっぱ、俺、ユーキじゃなくって、要が一番」
そう言ってぽふ、と要に抱きついた。
「だーから、親を名前で呼ぶんじゃないっつってんの」
いつもはうるさく着替えろのかばんを片付けてからにしろだの言うのに、今日の要は優しかった。
ユーキとカノウのキスの現場の話をすると、母さんは困った顔をして笑った。
「ユーキちゃん、アタシもぞっこんだったんだけどねぇ。あんな子がユーヤのお嫁さんならいいのに、とか思ってたけど、そっかぁー、カノウ先生かぁ~。なかなか、見る目がある子だねぇ」
でも、アンタだってまだまだこれからなんだから、そう落ち込むこたぁないよ、と慰めてくれた。
「でもさ、俺が成長した分、カノウだってケーケン積んで大人になってくんだろ? じゃあ、永遠に追いつけないってことじゃん。ずっと一生カノウに敵わないじゃん」
母さんは大爆笑した。俺がこんなに落ち込んで泣いてるのに。
「一生とか永遠とか、まだ十歳で何人生に絶望してんのよ! 馬鹿だねこの子は」
そう言って、力強く抱きしめた。
アンタは、これからいい男になってくんだし、これから広い世界に出て行くんだから、これからなんぼでもユーキちゃん以上の女の子とも巡り会えるし、いい男になる努力していけば、またユーキちゃんが振り向いてくれるかも知れない。
カノウ先生より、すんごいたくさん可能性を持ってるんだから自信持ちな――。
あれから、相変わらずユーキはカノウが好きで、カノウに彼女がいると判ってからは、しばらく落ち込んでいた。
俺も相変わらずまだユーキが好きで、惚れた弱味で慰め励ましカノウの彼女からのカノウ奪還計画の聞き役になっている。
(出来る訳ねーだろっつーの)
でも、まあ、それはそれで、ユーキと楽しく過ごせるからいいかな、と思える程度には、失恋の傷も癒えて来た。
「そうやって大人になっていくのだよ、少年」
という母さんの言葉を信じて、気長に新しい恋を待とうと思う。
なんて、今は恋よりミニ四駆に夢中なんだけどね。