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真夜中のノスタルジー

作者: 中小路かほ
掲載日:2026/03/31

 秋風に揺れ、お辞儀をするようにして穂を垂らす一面に広がるススキ。

 ゆっくりと流れる小川の脇に咲き乱れる、赤々としたヒガンバナ。

 草に紛れて足元から聴こえる虫の音。

 東京の街の雑踏を当たり前と感じる今、この田舎の風景はどこか別世界のようだ。

「おばあちゃん、久しぶり。くるの、こんなに遅くなっちゃってごめんね」

 西の山に日が沈みかける暗がりの墓地で、わたしは目の前にたたずむ墓石に語りかけた。

 ここには、父方の祖母が眠っている。

 とってもやさしくて、大好きだったおばあちゃん。

 わたしの家からおばあちゃんの家までは、子どもの足でも徒歩数分の距離だった。

 だから、幼稚園や学校帰りにはほぼ毎日のようにおばあちゃんに会いにいっていたっけな。

 幼いころのおばあちゃんとの楽しかった思い出を振り返っていたら、辺りはすっかり暗くなっていた。

 そんなおばあちゃんが実は5年前に亡くなっていたと知ったのは、つい数週間前のことだ。

 施設に入居したお母さんの荷物の整理をしていたら、押し入れの奥にあった缶の中に、その旨を伝えるお父さんからの手紙を見つけたのがきっかけ。

 消印は5年前の日付で、手紙にはおばあちゃんが亡くなったこと、通夜と葬式は済ませたあとで、わたしも連れて一度墓参りにきてはどうかと、お墓の場所の記載まであった。

 そんな大事な手紙をお母さんはずっと隠していた。

 その理由は、わたしを再びこの地へ行かせたくなかったからだろう。

 というのも、うちは田舎に住むごく平凡な家族だったけれど、わたしが高校3年生のときにお父さんの浮気が発覚。

 田舎だから噂が広まるのも早く、そんな人の目に耐えられなくなったお母さんは、その年の秋にわたしを連れて東京へと引っ越した。

 家族を裏切り、女の人といっしょになるため出ていったお父さんが生まれ育った地。

 わたしたち家族をゴシップネタに喜ぶ、そこの人々。

 当時はわたしも周りから好奇な目で見られ、学校でもみんながわたしの家の話をしているんじゃないかという被害妄想に陥ったこともあり、今もずっとそれを引きずったままでいる。

 だからなるべく人に会わないために、日が沈みかける人気のないこの時間帯にお墓参りにやってきた。

 狭いところだから、わたしみたいなよそ者がいたらすぐに気づかれるし、明るいうちには歩きたくない。

 それに、暗がりであれば、顔をまじまじ見られる心配もない。

 だから、透明人間のようにだれにも知られずにお墓参りだけをして帰る。

 そのはずだったのに――。


「ギャハハ!だから言ってんだろ〜!」

「ちょっと〜!酔いすぎだって〜」

 駅に向かうまでの帰り道で、向こう側から男女のグループが歩いてくるのが見えた。

 酔っ払っているのか、笑い声が異様に大きい。

 年も近そうだし、もし同じ学校の人たちだったら…いやだな。

 でも暗がりだし、絡まれない限りきっと大丈夫。

 そう自分に言い聞かせ、わたしは隅を歩き、顔を背け、足早に通り過ぎようとした。

 しかし、そのとき――。

 …ドンッ!

 千鳥足の男性がバランスを崩し、思いきり肩が当たった。

 弾かれたわたしはそばにあった自動販売機にぶつかり、割と派手な音を立ててしまった。

「ちょっとあんた、なにやってんのよ!人にぶつかってるよ!」

「ええ?…あっ、オレ、ぶつかっちった?それはどうもごめんなひゃ――」

「あんたは黙ってて!…すみません、大丈夫ですか」

 ぶつかってきた酔っ払いの男性を押しのけて、ほろ酔い状態の女性がわたしに駆け寄る。

「だ、大丈夫です。気にしないでください」

「でも…」

「本当に大丈夫ですから」

 まさか、本当に絡まれることになるなんて思ってもみなかった。

 酔っ払いの男女グループに囲まれ、顔バレするんじゃないかとヒヤヒヤで、今すぐにでもここから逃げ出したい。

「それじゃあ、わたしはこれで――」

 と言いかけたときだった。

「…もしかして、つぐみ?」

 そう言って、女性が自動販売機の明かりに照らされるわたしの顔をのぞき込んだ。

 名前を呼ばれ、心臓がドキッと跳ねる。

「やっぱりつぐみだ!えっ、めっちゃ久しぶりじゃない!?」

 まさかとは思ったが、このグループは高校3年生のときのクラスメイトたちだった。

 10年ぶりに顔を合わすけれど、みんななんとなく当時の面影が残っている。

「つぐみ、こっち帰ってきてたの!?」

「う、うん。お墓参りに…」

「そっかー!お彼岸だもんね」

 次から次へと元クラスメイトたちが集まってきて、わたしは自動販売機を背にして追い詰められる。

「そうだ、つぐみ。このあと空いてる?せっかくだから、いっしょに飲もうよ」

「…えっ」

「今日、ちょうど3年1組の同窓会しててね。4時から飲んでるんだけど、今から2軒目に行くところなの」

 どうりで、こんなにも元クラスメイトが集まっているというわけだ。

 同窓会の日と被ってしまうなんて、今日田舎にくることを予定してしまった自分に後悔した。

「つぐみもおいでよ〜。引っ越してから全然連絡取れなくなっちゃったし、なにしてたかいろいろと聞かせてよ」

「いや、わたしは…」

「それに、冬木(ふゆき)先生の退職祝いも兼ねてるんだ〜」

「冬木先生?」

 わたしの耳がピクリと反応する。

「おや?もしかして、春井(はるい)さんですか?」

 低くてやさしい声にわたしは振り返った。

 そこには、目尻に笑いジワがいくつもある、白髪交じりの小柄な男性が立っていた。

 久々の冬木先生に、わたしの目の奥が熱くなる。

 冬木先生は、高2、高3と担任を受け持ってくれた。

 冬木先生が相談に乗ってくれたおかげで早々に大学の推薦ももらえたし、家庭内がギクシャクしているときにわたしの異変にもいち早く気づいてくれた。

 退学する旨は引っ越したあとに電話で伝えたけれど、そのときに「どこに行っても春井さんらしくがんばってください」と励ましてくれた。

 まさに恩師と呼ぶべき人。

 最後までお世話になった冬木先生の退職祝い――。

 あのときもきちんと挨拶できなかったのに、今回もそれでいいのだろうか。

 そう自分に問いかける。

「電車の時間もあるし…。じゃあ、1杯だけ」

 わたしはぎこちなく微笑んだ。


 連れてこられたのは、町に2軒しかない居酒屋のうちのひとつ。

 元クラスメイトが店主を務めていた。

「つぐみ、なに飲む〜?」

「とりあえず、ビールで…」

 冬木先生に挨拶したら帰る。

 そう決めていたのに、わたしの悪いくせで、ついつい場の空気に流されて、帰るタイミングを見失っていた。

 参加者は20名ほどだったけど、大多数が今も地元に残っている。

 そして、そのほとんどがすでに結婚して子どもまでいた。

「あたし、小1と小2の子どもがいるんだけどさー」

「小学生の子ども!?」

 何歳の子どもがいるとか、だれだれがどんな会社で働いてるとか、10年ぶりに会うと驚く話ばかりだった。

「あたしたちの話よりもさ〜。つぐみは今なにしてるの?」

「…えっ、わたし?」

「そうそう。ていうか、つぐみってなんで引っ越しちゃったんだっけ?」

 当時の話になり、わたしの胸の中がぞわっと疼く。

「急だったよね?あたし、お母さんからなんて聞いてたっけな?えっと〜、たしか…」

 …やめて。思い出さないでっ。

 わたしがぎゅっと目をつむった、そのとき――。

「よう。だいぶ出来上がってるじゃん」

 そんな声が背後から聞こえたかと思ったら、わたしの隣にだれかがあぐらをかいて座った。

 あのころとほとんど変わりないウルフカットの黒髪が横目に入って、当時の記憶が一気に呼び起こされた。

「あれ?大晴(たいせい)、どうしたの。あんたもこの3連休に帰ってたんだ」

「ああ。盆に帰らなかったら、オカンが墓参りにこいってうるさくて。で、昨日から帰省してた」

 そう言って、泊まりの荷物が入っているのか、肩からかけていたボストンバッグを床に置いた。

「それで今日帰る予定で、実家出た直後に電話かかってきて呼び出されたってわけ」

 大好きだった声に、思わず反応してしまう。

 彼の名前は、夏川(なつかわ)大晴。

 高校生のときに2年近く付き合っていた、わたしの元彼だ。

「大晴って2組だったよね?これ、1組の同窓会だよ?」

「そんな細かいこと言うなよ。同窓会っつーか、もはやいつもの飲みだろ。それに、俺だって2年のとき冬木先生にはお世話になったんだから」

 向かいに座る元クラスメイトと大晴が話しているけれど、一番近くの隣に座るわたしは一切声をかけられない。

『大晴だって同じじゃん!もうわたしに関わらないで!』

 10年前、ひどい言葉を投げつけて一方的に別れを告げてしまったから。

 きっかけは些細なことで、大晴が女の子とふたりで下校しているところを目撃してしまったのが原因。

 そのころ、ちょうどお父さんの浮気がわかって男性不信になっていて、そのせいで大好きだった大晴のことも疑ってしまった。

 大晴はただ、部活で帰りが遅くなった女子マネージャーを家まで送るという部の決まりを守っただけ。

 普段のわたしならなんとも思わないはずが、そのときは冷静になれず大晴を責めてしまい、話を聞こうともしなかった。

 そのあとすぐにわたしは引っ越し、大晴とは結局まともに話すこともできずに終わった。

 悪いのは完全にわたしだけれど、あの日大晴を傷つけたことを今でも後悔していて、別れてからのこの10年、大晴を忘れたことはなかった。

 それ以来まったく恋愛してこなかったわけじゃないけど、だれとも長続きはしなかった。

 そのたびにいつも気づかされる。

 わたしが好きな人は、大晴なんだって。

 でも今さらそんなことを言えるわけもなく、いざ10年ぶりに本人を目の前にしたら気まずさのほうが勝ってしまった。

 わたしはうつむきながら2杯目のハイボールをひと口飲んで、フライドポテトをかじった。

「元気してた?」

 ふとそんな声が聞こえて慌てて顔を上げると、焼き鳥を口に運ぶ大晴と目が合った。

「…え、あ……、うん。…久しぶり」

 声をかけられたから、とっさに返事をしてしまった。

「まさか、つぐみがいるとは思わなくて驚いた。帰省してたんだ」

「帰省っていうか…、おばあちゃんのお墓参りしに久々にきただけで…。帰るところで、たまたまみんなに会って…」

「あー、それで連れてこられたわけだ。誘われたら断れない、あのころから変わってないな」

 大晴の口から“あのころ”という言葉が出たら、嫌でも付き合っていたときの甘酸っぱい記憶も蘇ってしまう。

「電車の時間は?こっちは終電早いからな」

「…あ、うん。アプリで調べたら、9時10分の最終に乗れば間に合う」

「俺も明日は朝から大事なアポがあるから終電で帰るけど、俺のは9時15分だっけな」

「そうなんだ。逆方向なんだね」

「だな」

 別れて以来10年ぶりに大晴と話すけど、初めこそ気まずかったけど、思ったよりも普通に会話ができることに驚いた。

 大晴が気さくに話してくれるおかげだ。

「そういえばつぐみ、引っ越してからアドレス変えた?あれからメール全然送れなかったから」

 向かいに座る元クラスメイトが、ふとそんな話題を振ってきて言葉に詰まった。

 すべてを信じられなくなったわたしは、田舎を出るときにそれまでの人間関係も切った。

 あのころはまだSNSも発達していなかったのが幸いで、アドレスを変えたら、すぐに田舎の友達との連絡を絶つことができた。

 でも、そんなこと言えるわけがなく、当時の話を振ってほしくないわたしは反応に困った。

「なあなあ、子どもの写真見せてよ」

 だけどそんなとき、大晴が入ってきて話題を変えてくれた。

 わたしの気のせいかもしれないけど、あのときのわたしの状況を詳しく知っているのは大晴だけだったから、気を遣ってくれているのかなと思ってしまった。

「ねぇ、大晴」

 今なら、あのときのことを謝れるような気がした。

 だけど――。

「ん?なに?」

 そう言ってビールジョッキを持つ大晴の左手の薬指に、キラリと光るシルバーの指輪が目に入った。

「…あ。ううん、なんでもない…」

 その瞬間、わたしは口ごもってしまった。

 わたし…、なんでショック受けてるんだろう。

 28歳なんて、結婚しててもまったく不思議じゃない年齢なのに。


 時刻は20時30分。居酒屋にきて2時間近くが経過した。

 冬木先生がそろそろ帰るということで、見送りするためにいったんみんなで席を立った。

「つぐみ、ここから駅まで歩いて20分ほどだし、俺たちもそろそろ出るか」

「あ…。う、うん」

 いっしょに駅まで行ってくれるんだ。

 当然のように声をかけてきた大晴に少し驚いた。

 冬木先生は、事前に手配していたタクシーに乗って帰っていった。

 この辺りは本当になにもないから、予約しておかないとまずタクシーは拾えない。

「それじゃあ、俺たちも終電あるから帰るわ」

 大晴がわたしの代わりにみんなに告げてくれた。

「えー、もう帰るのかよー」

「大晴は実家があるんだから、もう1泊していけばいいじゃん」

「しねぇよ。明日の朝一で大事なアポがあるからな」

「マジかー。休日出勤お疲れさま」

「でも大晴って、営業部のエースらしいよ〜!」

 そうなんだ。

 みんなは、年に何度か帰省したタイミングで大晴と飲んでるみたいだけど、わたしはこの10年の間の大晴のことはなにも知らない。

「つーか、終電なら急いだほうがよくね?」

「なんで?普通に歩けば間に合うだろ」

「いやいや。今からだと、走っていかないと間に合わないんじゃない?」

 元クラスメイトたちの話に、わたしと大晴は首をかしげる。

「だって、アプリでは――」

「それ、たぶん情報更新されてないんじゃないかな。今月から終電の時間が変更になったんだよ」

「「…えっ」」

 わたしと大晴の声が重なった。

 どうやらこの9月から、上り下り両方の最終時間がそれぞれ10分ずつ早くなったのだそう。

 だから、わたしが乗るはずの21時10分の終電は21時ちょうど発。

 大晴の21時15分の終電は、21時5分発に変更になっていた。

 冬木先生をお見送りしている間に、時刻はすでに20時45分。

 今からでは、タクシーを呼んでも遅い。

 飲酒しているため、車で送ってくれる人もいない。

 わたしと大晴は慌てて駅へと走った。

「つぐみ、急げ!」

「ちょ…、ちょっと待ってよ」

 普段の運動不足がたたって、わたしは息絶え絶えで足元もおぼつかない。

 足を止めて膝に手をついて肩で息をするわたしの手を大晴が握った。

「がんばれ。駅まであと少しだから」

 そう言って、大晴はわたしの肩からハンドバッグを預かり、わたしの手を引いた。

 だけど、薬指の結婚指輪が脳裏によぎり、大晴の手を振り払った。

「…だめっ」

 べつに…恋人同士でもないのに。

 そんなわたしの態度に大晴は怪訝な表情を浮かべたけれど、すぐさま手を握り直した。

「意味わかんね。早く行くぞ」

 10年たっても変わらない、わたしの手を包み込む大晴の大きな手。

 懐かしい感覚に、思わず胸がキュッと締めつけられたわたしは、再度その手を振り払うことはできなかった。


 最寄りの無人駅が見えたと同時に、ホームに停車する1両編成の電車も目に入る。

 このまま電車に飛び込めたらいいものの、わたしが乗車するホームは階段を上がって跨線橋(こせんきょう)を渡り、また階段を下りた先にある。

 あと少しだったのに、階段を上ったところで無情にも電車は発車してしまった。

 スマホの時計を見ると、21時ちょうどだった。

 …間に合わなかった。

 今はなにも考えられなくて、体力の限界でひとまずその場に座り込む。

 わたしと違って息もそんなに切れていない大晴は、わたしのそばでタバコに火をつけた。

 そうして、跨線橋から顔を出してタバコの煙を吐く。

 大晴って、タバコ吸うんだ。

 横目でチラリとうかがっていた。

 そうこうしているうちに、遠くのほうから走行音が聞こえ、大晴が乗る終電がホームに到着した。

「大晴、行きなよ。電車きてるよ」

「ああ」

 しかし、大晴はその場から動かずにタバコを吸い続ける。

「もしかして、終電逃したわたしに気遣ってる?べつに、わたしのことは気にしないで」

 わたしは、まあ…なんとかなる。

 こんな田舎には時間を潰せるような24時間営業のファミレスやファストフード店もないけど、凍えて死ぬような気候でもないから、駅の待ち合いで朝まで過ごせばいいだけだし。

「明日、朝一から大事なアポなんでしょ?早く行って」

 わたしがそう言うと、大晴は大きく煙を吐いた。

 わたしには、それがまるでため息をついたように見えた。

 そうして、大晴はボストンバッグをまた肩にかけると、階段を下りていった。

 灯っていたろうそくの火が消えたような。

 大晴が去った跨線橋は、とたんに寂しさを増した。

 ――なんて、わたしもなにしみじみしているのだろう。

 もう大晴には大事な人がいるというに、わたしだけが高校生のままの気持ちで止まっている。

 21時5分発の最終列車が発車する。

 跨線橋から、大晴が乗った電車が小さくなるまで見届けた。

 さて、わたしは朝までどうしたものか。

 意気消沈して、とぼとぼと階段を下りていた。

 重いため息をついて顔を上げた直後、わたしの口から声が漏れた。

「…なんでっ」

 なぜなら、そこにいるはずのない人間がいたからだ。

 駅舎の壁にもたれかかり、階段から下りてくるわたしを待っていたかのように顔を向けていたのは――、なんと大晴だった。

「なにしてるの、大晴…!」

「それがさ、乗る直前で財布がないことに気づいて」

「財布って…。居酒屋出るときにはあったじゃない」

「ああ。バッグの中にあったんだけど、見つけたときにはドアが閉まってたんだよな」

 唯一の帰るすべをなくしたというのに、大晴はなぜか清々しいくらいに笑っていた。

「なんでよりによって…。アポだってあるのに」

「それは最悪、始発で帰れば間に合うし。まあ、大丈夫」

 お気楽だけど、大晴には実家がある。

 終電を逃したからといって、そこまで絶望的な状況じゃないのかもしれない。

 それにわたしと違って、大晴はもう一度居酒屋に戻ることだってできるし。

 わたしは、ここの待ち合いで仮眠を取って始発が動くのを待つ。

 そう思っていたら――。

「久しぶりの田舎だろ?せっかくだから、朝まで観光しようぜ」

 突拍子もなく、大晴がそんなことを言い出した。

「観光って…。なにもないじゃん」

「いいから」

 こんな田舎、観光する場所なんてないのは知っている。

 だけど、消えたろうそくの火が再び灯ったような感覚に、『朝まで暇だから』と自分に言い訳をしてわたしは大晴の誘いに乗っていた。

「ほら、上見てみろよ」

 駅から出てすぐ、大晴に上を見るように促される。

 そこには、満天の星が広がっていた。

「うわー…、すごい」

 あまりの美しさに感嘆の声が漏れた。

 東京の空ではここまで星は見えない。

 お墓参りのあとはうつむいて歩いていたし、駅に走るまではそれどころじゃなかったけど、立ち止まって見上げたらこんなにも夜空が美しかったのかと。

 こうして空を眺めるのも久々だし、ずっと見ていられるくらい飽きがこなかった。

 そうして、星空を眺めながら田んぼ道を歩く。

 このまっすぐ続く田んぼ道、よく覚えている。

 大晴と付き合っていたころ、毎日いっしょに帰った道だ。

 次に、町で一番大きな公園に行った。

 といっても、滑り台、ブランコ、ジャングルジム、砂場があるだけのごく普通の公園だ。

 夏は、学校帰りにこの近くの駄菓子屋でアイスを買って、ジャングルジムのてっぺんでふたりで食べてたっけ。

 童心に帰って、久しぶりにジャングルジムの一番上を目指した。

 だけど、パンプスでうまく登れず、最後は大晴が上から引っ張り上げてくれた。

 ――また大晴がわたしの手を握る。

 いいのかな…という罪悪感を抱く一方で、大晴にとってはわたしの存在なんてたいしたことないのかもしれないという複雑な感情が入り混じる。

 そのあとも適当に田舎町をめぐり、最後はわたしたちの母校である高校へと向かった。

 3年前に廃校になったそうで、見せかけの校門があるけれど、実は鍵が壊れていて簡単に中に入ることができた。

「勝手に入って大丈夫なの」

「さぁな。でも俺ら、卒業生だし」

 “卒業生”か…。

 わたしは違うんだけどね。

 と思いつつも校舎を前にすると、暗がりでも懐かしさを感じた。

「おっ、ここの鍵も壊れてる。中にも入れそう」

「やめてっ。…さすがに夜の校舎はやだ」

 大晴が建物の扉をガタガタと揺するものだから、わたしはその手を押さえつけた。

「なんだよ、怖がりなところも相変わらずか」

「べ、べつに肝試ししにきたわけじゃないし」

「わかったよ。じゃあ、外見て回ろうぜ」

 大晴は中に入りたかったみたいだけど、怖がるわたしの頭をぽんぽんとなでた。

 付き合っていたときみたいな対応に、思わず頬を赤くしてしまう。

 中庭に行くと、わたしたちがいたときからあった大きな木は今も健在で、生徒がいなくなった校舎を寂しげに見下ろしているようだった。

 その木の下にあるベンチは、よくお昼休みに大晴とお弁当を食べていた思い出の場所。

 なにもない体育館裏は、とくに草が生い茂っていた。

 当時は草抜きもされていて、フェンスの隅のほうに空いた穴からすぐそばの小川にも下りることができ、真夏の昼休みにはちょっとした水遊びもできた。

 そういえば、休み時間に突然大晴にここへ連れてこられて「好きだ」と告白されたっけ。

 最後はグラウンド。

 田舎だから無駄に広く、毎日放課後になると運動部の声が響いていた。

「うわー、懐かしっ」

 バスケ部の部長だった大晴は、当時とまったく同じところにあったバスケットゴールに駆け寄った。

 悪ガキたちが出入りしてここで遊んでいるのだろうか、その脇には廃校には似つかわしくない新しめのバスケットボールが転がっていた。

「ちょっと拝借」

 大晴はボールを手に取ると、その場で軽くドリブルをした。

 そして、スリーポイントシュートラインまで移動すると、正面にゴールを見据えた。

 ふぅと息を吐いた大晴が構えていたボールを投げた。

 わたしは思わず、そのボールの軌道を目で追った。

 しかし、ゴールリングに弾かれたボールはむなしく地面に落ちていった。

「やっぱりダメか。高校のときは余裕だったんだけどなー」

「そんなにうまくはいかないでしょ。10代と違って、わたしたちもうアラサーだよ」

「だよなー。最近、筋肉痛も次の日にこないし、まじで年取ったわ」

 大晴はぼやきながら、そのあとも何度かスリーポイントシュートをした。

 だけど、すべてゴールには入らなかった。

「つまんねー。なあ、つぐみ。1on1(ワンオンワン)しようぜ」

「えー…、なんでよ」

 と言いつつ、大晴からパスされたボールをとっさに受け取っていた。

「いいじゃん、どうせ朝まで暇なんだし。運動不足解消になるかもよ」

 逆に久々に運動したら、肉離れを起こすかもしれない。

 なんてことも頭によぎったけど、久々のバスケットボールの感触に密かに気持ちが高揚した。

 なぜなら、わたしも女子バスケ部で部長を務めていたから。

 高3の引退試合を最後に、一度もボールは触っていなかった。

 だけど不思議と、ボールが手に貼りつくような感覚と、当時の動きが自然と蘇った。

 ただ、足元がパンプスだろうとそうでなかろうと、大晴に言ったように10代と同じような動きはなかなかできなかった。

 それに、相手は身長180センチを超える長身の大晴。

 169センチと女子の中では高いほうではあるけど、女のわたしが勝てるはずもない。

 大晴を抜こうとするも、速さも手足のリーチも違いすぎて、すぐにボールを取られてしまう。

「ちょっと〜…。もう少し手加減できないの?」

「手加減?そういうのされるの、すっげー嫌なタイプじゃなかったっけ?」

「…それはそうだけど」

 それを言われたら、なにも言い返せない。

 でも、このまま負けっぱなしも悔しい。

「じゃあさ。一度でもつぐみがゴール決めれたら、なんでも言うこと聞いてやるよ」

「なんだか懐かしい。あのころも、1on1で勝負するってなったらそんな賭けしてたよね」

 当時のわたしは、手を繋いでほしいとかキスしてほしいとか、普段自分じゃ言えないようなことをお願いしやすくするために大晴と勝負した。

 でも結局、一度も勝てた試しはなかった。

 今も勝てるとは思っていない。

 10年ぶりのバスケだし、大晴は高校のときよりも少し身長が高くなってるし、わたしは足元がパンプスだし。

 それに大晴に聞いてほしいお願いもないけど、ずっと負けっぱなしのままはなんかいやだ。

 高校のときと比べて体が重く、動きは鈍い。

 それでも、疲れを忘れるくらい大晴と真剣に向き合った。

 そして、空が白み始めたころ――。

「…やった」

 息も絶え絶えの中、なんとか声を絞り出した。

 ついに、わたしがシュートしたボールがゴールネットを揺らしたのだ。

 数にしたら1勝99敗くらい――いや、それ以上やっていたかもしれないけど、初めて大晴からゴールを奪った。

 味わったことのない高揚感と疲労感で、このまま仰向けになって寝転んでしまいたいくらい。

 しかし、疲れてしゃがみ込んでいたわたしをすぐに大晴が引っ張り上げた。

「おめでとう。でも、ゆっくりもしてられねぇよ。そろそろ始発だから」

 終電を逃して以降、早く早くと待ち望んでいた始発のはずなのに。

 10年越しの達成感と、大晴と過ごす懐かしい時間に、もう少しだけこの場に残っていたいと思ってしまっていた。

 ちょうど太陽が東の山から顔を出したころ、朝の顔に変わった駅に着いた。

 …本当に、これで最後なんだ。

 なんだか心にぽっかり穴が空いたような…。

 でも、そんなことを思っているのはわたしだけだから――。

「朝まで付き合ってくれて、ありがとう。じゃあね」

 わたしはニッと笑ってみせると、すぐに大晴に背を向けた。

 再び沸き起こりそうになった気持ちをぐっと押さえ込んだ。

 大晴には奥さんだっているし、万が一もう一度好きになったとしても実らない恋とわかっているから。

 決心して、振り返ることなく跨線橋を渡った。

 しかし、ホームに下りて顔を上げると、当然向かいには逆方向の電車を待つ大晴がいた。

 意気揚々と挨拶をキメて別れたというのに、なんだか気まずくて思わず苦笑い。

 時刻表を確認すると、電車がくるのはまだ10分ほど先だった。

 線路2本またいでは、会話するにはさすがに距離がある。

 なにもすることもないし、とりあえずベンチに座ってスマホをいじっていた。

 すると、突然着信画面に切り替わって驚いた。

 こんな早朝から迷惑電話かと放置しようと思ったけど、なんとなく見覚えのある番号にわたしはそっと通話ボタンをタップしていた。

「…もしもし?」

〈あっ、よかったー。番号変わってなくて〉

 電話の声に、はっとして顔を上げた。

 そこには、スマホを片手にこちらに向かって手を振っている大晴がいた。

〈あれから何度かかけたことあったけどさ、お前、俺のこと着拒してただろ〉

「それは…、えっと……ごめん。あのときちょっとどうかしてて、引っ越すときに全部と繋がり切ろうとしてたから」

 メールが主流だった当時、唯一お互いの電話番号を知っていたのは大晴だけだった。

 そんな大晴とは、別れたときにメールも電話も拒否した上で連絡先も消した。

 あんな振り方をしたわたしに電話なんてしてくるはずもないと思ったけど、もしかかってきたらわたしは大晴の声を聞きたくて出てしまうかもしれないから。

 だから、別れてからも電話をしてくれていたと知って、今驚いている。

 あれから何度か機種変もしたから、それで大晴の着拒設定が解除されていて、こうして繋がったのだろう。

 ということは、大晴はずっとわたしの連絡先を登録したままだったということ――?

〈始発くるまで、ちょっと話そうぜ〉

 ついさっき別れたばかりだというのに、電話をするほどの距離でもないというのに。

 わたしたちは、向かいのホームで顔を見つめ合いながら電話した。

〈どうだった?今日〉

「あー…、うん。久々に学生時代の思い出あるところ行って、あのころはいろいろあったけど、楽しい思い出もいっぱいあったんだなって思えた」

 お父さんの浮気のせいで、周りから勝手に家庭内を想像されてると自意識過剰になって、あの家の娘さんはかわいそうな子だと思われるのもいやで、おばあちゃんでさえも二度と会えないかもしれないと思いつつ、すべてを断ち切った場所。

 だけど、今日大晴とめぐって、嫌な思い出ばかりじゃなかった。

 むしろ、楽しい思い出がたくさんあったことに今になって気づかされた。

 決してあの日に戻れるわけではないけれど――。

「あのさ…。あのときは…、その……。ひどいこと言って、…ごめん」

 あのときみたいに、またなにも伝えずに大晴と離ればなれになるのだけは…いやだ。

 正面にいるのに、目を見て謝れなかった。

 なにを言われるのかがこわくて下を向いてしまった。

〈なんだよ、そんなこと気にしてたのかよ〉

 しかし、電話越しから聞こえた声にはっとして顔を上げた。

 大晴はやさしく微笑んでいた。

〈つぐみが家庭でいろいろあって大変なときだってわかってたからさ。それなのに、俺…全然力になれなかった〉

「そんなことないよ…!大晴がいなかったら、わたしはもっと早くに潰れてたと思うから…」

 ――なんだか懐かしい。

 こうして、朝まで電話したときもあったっけ。

 忘れていたはずの記憶が、大晴と会って、思い出の場所をめぐって、こうして声を聞いて話したら、次から次へとあふれ出していく。

 封じ込めようとしていた想いとともに。

〈そういえば、つぐみがゴール決めたらなんでも言うこと聞くってやつ、まだ聞いてなかったな。なにがいい?〉

 …考えてなかった。

 いや。ふっと頭にはよぎったけど、それは絶対に口にするべきではないと思っていた。

 なぜなら――。

「もう一度…、大晴とやり直したい」

 そんなこと、お願いできるはずもないのだから。

 しかし、ふと自分の中で自分の声が響いて驚いて我に返った。

 わたし、…もしかして。

 今、声に出してた…?

〈…え〉

 戸惑うような大晴の声もスマホの向こう側から聞こえる。

 とたんに、わたしは額に冷や汗がにじみ出たのがわかった。

 最悪だ…。

 本人に直接伝えるつもりなんてなかったのに。

 しかも、よりにもよって既婚者にそんなことを言うだなんて。

〈1番線に列車が参ります〉

 そのとき、大晴のほうのホームに始発電車が入ってきた。

 気まずそうに視線をそらした大晴の顔を見たのを最後に、電車がわたしの視界を遮る。

〈ごめんごめん、今のは冗談!本当に忘れて!だから――〉

『だから、もしよかったらこれからも友達のままでいてほしい』

 大晴の乗車間際にそう伝えようと思ったけど、そのときにはすでに通話が切れていた。

 耳元には、ツーツーという虚しい機械音が聞こえるだけ。

〈1番線、列車が発車します〉

 大晴を乗せた電車が走っていく。

 わたしはうつむいて、スマホを持っていた手を力なく下ろした。

 それから1分もしないうちに、わたしのほうのホームにも電車がやってきた。

 あんなことを言ってしまっては、今度はわたしが拒否される側だろう。

 楽しかった今日の思い出が、最悪の別れで終わってしまった。

 やっぱり再会しなければよかった。

 口走ってしまったことに新たな後悔が生まれる。

 苦い思い出のホームから電車に乗り込んだ。

〈列車が発車します。閉まるドアにご注意くださ――〉

 すると突然、後ろからだれかに腕をつかまれた。

 気づいたときには乗車ドアが閉まって、わたしが乗るはずだった電車はゆっくりと走行していった。

 わたしはというと、驚いて声も出せないでいた。

 なぜなら、わたしの手を引いたのが大晴だったからだ。

 跨線橋を慌てて渡ってきたのか、額からは汗を流し、肩で息をしていた。

「…なんで、ここに。どうして始発まで逃してるの」

「どうしてって、間際にあんなこと言われて、何事もなかったかのように電車乗って帰れるわけねぇだろ」

「だ、だから、さっきのは冗談だって言ったじゃ――」

「俺は、冗談とは思いたくない」

 大晴が真剣なまなざしで、まっすぐにわたしをその瞳の中に捉える。

「今日会えるとは思ってなかったから、本当はめちゃくちゃ動揺してた」

「動揺?…大晴が?なんで…」

「そんなの、ずっと好きだったからに決まってるだろ。つぐみがいなくなったあの日から、俺はつぐみのこと忘れたことなかった」

 大晴も、わたしと同じ気持ちだったってこと…?

 思わず、トクンと胸が鳴る。

 …でも、やめて。

 これ以上は、想いがあふれ出してしまいそうになるから。

「ダメだよ。…なに言ってるの?大晴、結婚してるじゃん」

 思わず、あんなことを口に出してしまったわたしが悪い。

 だけど、大晴の家庭を壊してまで自分の気持ちを押し通したいとは微塵も思っていない。

 だから、わたしたちはこれ以上関わるべきでは――。

「俺、結婚してないけど?」

 ふと頭の上から降ってきた言葉に、わたしはぽかんとして顔を上げた。

「…へ?」

「だから、俺、結婚なんてしてないけど」

「な、なに言ってるの…!だって、左手の薬指に指輪してるじゃん」

「あ~、これ?覚えてない?」

 そう言って、大晴はわたしに左手を差し出した。

 薬指につけられたシルバーの指輪――。

 だけどよく見ると、凹凸がある不格好な形をしていた。

「もしかして、これ…」

「思い出した?」

 大晴はニッと口角を上げる。

 てっきり結婚指輪だと思っていたそれは、高2の美術でわたしが手作りしたものだった。

 こんな田舎でペアリングが買えるところもないしね。

 ということで、授業でお互いに渡す指輪を作ったことがあった。

「なんで…こんなの今もつけてるの」

「なんでって、大切な人からもらった大切なものだから」

 その瞬間、涙があふれ出した。

 こんなにも愛しい人を一方的に振って傷つけてしまった10年前の後悔、それでもこの10年想い続けてくれたいたことを知ってのうれしさ。

 いろんな感情がわたしの中で沸き起こる。

 そんなわたしを大晴はそっと抱き寄せた。

「俺たちもう一度やり直そう。今度こそ、なにがあってもつぐみの手だけは離さないから」

 その力強い言葉に、わたしは大晴の腕の中で涙ぐみながら何度もうなずいた。


「そういえば、次の電車40分後だけど、アポ大丈夫?」

「ま…まあ、秒でシャワーだけ浴びて、朝メシ食わずにすぐ家出たらなんとか」

「ふふっ、けっこうギリギリじゃん。そもそも終電逃したからこんなことになっちゃったんだけどね」

 わたしは大晴の横でクスクスと笑った。

「べつにいいんだよ。俺は、わざと終電逃してよかったと思ってるから」

「…わざと?」

 あのときは財布が見つからなかったからと言っていたけど、本当は――。

「言っておくけど、大事なアポ遅刻してもわたしは責任取れないからね」

 わたしと大晴は、顔を見合わせて笑った。


 ――一度は、すべてを捨てた田舎。

 それまでのわたしの思い出が終わった場所。

 だけど、ここからまた新たに始まろうとしていた。大晴といっしょに、再び。

 終電を逃してよかった。

 わたしは心の中でつぶやいた。



Fin.

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