第2話:胸の傷が痛んでも
中学生になると、学校という閉鎖空間には残酷なほどの「階層」が生まれる。
運動神経が良く、喧嘩が強く、容姿の整った者が頂点に立ち、丸山隆のような小太りでどんくさい人間は、必然的に一番底辺へと追いやられた。
二年生の秋。放課後の薄暗い体育館裏で、丸山は息を潜めていた。
壁の向こう側から、鈍い音とくぐもった声が聞こえてくる。クラスの不良グループが、大人しい性格の小林を囲んでカツアゲをしているのだ。小林は泣きそうな顔で「もうお金なんてないよ」と訴えていたが、不良のリーダー格は容赦なく小林の胸ぐらを掴み、壁に押し当てた。
丸山の足は、ガクガクと震えていた。
喧嘩なんてしたことがない。腕力もないし、走って逃げる自信すらない。飛び出していったところで、自分がボコボコにされるのは火を見るより明らかだった。
怖い。痛いのは嫌だ。見なかったことにして逃げてしまおう。
そう思って踵を返そうとした時、小林の「やめて、痛い……!」という悲痛な声が耳に届いた。
――あんな声を聞いたまま、背中を向けるのか?
丸山は、ギュッと目を閉じた。
なんのために生まれてきたのか。答えられないなんて、嫌だ。ただ怯えて、誰かが見捨てられるのを見過ごすような、そんな空っぽの人間にはなりたくない。
「あ、あの……!」
裏声のような情けない声を出して、丸山は不良たちの前に飛び出した。
「な、なんだよお前。デブのくせに引っ込んでろ」
「そ、そこの彼、先生が呼んでたから……!」
嘘をつくのも下手くそだった。不良たちはせせら笑い、標的を小林から丸山へと変えた。
「お前、小林の代わりに金払うの?」
「な、ないです……」
「じゃあ、体で払えよ」
ドンッ、と鳩尾を蹴り上げられ、丸山はカエルが潰れたような無様な声を上げて泥の上に転がった。すかさず、背中や腹に無数の蹴りが飛んでくる。
痛い。息ができない。胸の奥が焼けるように痛む。丸山はダンゴムシのように体を丸め、必死に頭と顔だけを庇った。
その隙に、解放された小林が「ご、ごめん……!」と蚊の鳴くような声を残し、一目散に逃げていく足音が聞こえた。
助けを呼びに行ってくれるわけじゃない。ただ、自分だけが助かるために逃げたのだ。丸山は彼を恨まなかった。それでいい、と思った。
ボコボコに踏みつけられながら、丸山は砂を噛むような口の中で、必死に言葉を反芻していた。
――愛と勇気。愛と勇気。愛と勇気だけが、僕の友達だ。
丸山には、一緒に遊びに行くような友達はいなかった。お弁当もいつも一人で食べていた。
だから、丸山は心の中に「愛」と「勇気」という架空の友達を住まわせていた。彼らだけは、丸山がどんなに無様でカッコ悪くても、決して馬鹿にしない。見捨てない。「よくやったね」と、心の中で微笑んでくれる。
やがてチャイムが鳴り、「チッ、時間の無駄だったな」と吐き捨てて不良たちは立ち去っていった。
静まり返った体育館裏。
丸山は全身の痛みに呻きながら、ゆっくりと身体を起こした。制服は泥だらけになり、擦りむいた頬からは血が滲んでいる。
誰も助けてくれなかった。小林から感謝されることもないだろう。明日になれば、また「あいつ、不良にボコられてやんの」と笑い者にされるだけだ。
理不尽で、痛くて、ただ損をしただけの惨めな夕暮れ。
それでも、丸山は泥だらけの顔を歪め、へへへ、と小さく笑った。
胸の傷が痛んでも。
僕は今日、誰かの身代わりになれた。その事実だけが、丸山の心を熱く燃やしていた。




