明晰(めいせき)編
一、離れても一緒に
寒空の下を歩く二人。霧師希の職場まで、あと残り半分という所だろうか。
春那への違和感に気付いた夏美菜が言った。
「あのさ、アキ」
「ん? なに?」
「アキって、霧師希さんの会社に行った事あるの?」
春那は体をピクリとさせて言った。
「ない! ない! ない! 行った事なんてないよ」
あまりの挙動不審さに、夏美菜は嘘を見抜いた。
「なるほど、行ったんだね。いつ行ったの?」
「どうして分かったの?」
「だって、私はスマホの地図アプリ見ながら歩いているのに、
アキは十字路とか迷いなく曲がったりしてるからさ。そりゃあバレるよ」
「ありゃりゃ…」
「どうして行ったの? なにかあった?」
「牧野さんっていう、大学に来た人いるじゃない?」
「えっと…、ああ、霧師希さんの会社の上司の人でしょう?」
「私あの人に、『すごい態度』をとっちゃったからさ、謝りに行ったんだよね」
夏美菜は苦笑いしながら言った。
「アハハ…。あれは確かに『すごい態度』だったね。いつ行ったの?」
「シキさんに告白された日から、三日後かな」
「ふーん。で、何を話したの?」
「えっと---」
●
十二月二十三日のお昼。牧野友行の工場は昼休みだった。
学校の教室ぐらいの大きさの工場で、一番奥にあるのが事務所である…と言っても、仕切りなどは無い。灰色の事務机が置いてあるだけだ。そこが牧野の定位置でもある。
その事務机の横に、机用の椅子に座っている牧野と、来客用のパイプ椅子に座っている春那がいた。二人は向かい合って座っている。牧野は作業着、春那は上下共に紺色のリクルートスーツを着ている。下はパンツルックだ。
春那は背中を丸めてうつむき、両手を重ねて自分の膝に置いている。
ゆっくりと牧野に顔を向けると、口を開いた。
「あのー、牧野さん。急に押し掛けてすみません」
「いえいえ、いいんです。お昼休みですし。
ただ、霧師希さんはいませんよ。今日は一日中、外回りですから」
「はい、それとなくシキさ…霧師希さんから聞きまして、今日にしたんです」
「やはり霧師希さんには内緒なんですね。今日は、どういったご用件ですか?
…と、うかがう前に!」
牧野は自分と春那を囲むようにして立っている、三人の男に向かって叫んだ。
「こら! 見世物じゃないんだから! 散った散った!」
三人はこの工場の従業員だ。全従業員、五人の内の三人。
下から三十四歳・四十二歳・六十歳。三人は口々に言った。
「いやだって、この工場にこんな美人が訪ねてくるなんて」
「可愛い~」
「しかも、霧師希さんの知り合い? どういう事ですか?」
牧野は申し訳なさそうに、春那に言った。
「すみませんねー、安輝野さん。男子校に女の子が来たみたいになっちゃって」
「いえ、アハハ…」
春那は照れながら、笑顔で三人に会釈した。すると歓声が沸いた。
「おおーっ、やっぱり可愛い!」
「笑顔がいい~」
「この子と霧師希が、どういう関係があるんだ?」
牧野は三人を制するように言った。
「じゃあ君達に聞こうか? この方は霧師希さんと、どういう関係だと思う?」
三人は迷う事なく、順番に答えた。
「娘ですよね? 隠し子?」
「姪っ子ですか?」
「いや、霧師希がハマっているキャバ嬢さん? ツケの取り立てに来たとか?」
三人に向かって、牧野が言った。
「全員不正解! 正解は『恋人』だ。分かった?」
言った直後、場は静まり返った。その後、最年少の一人が言った。
「社長、つまらないジョークですね。笑えませんよ」
三人は、春那が「アハハ! 恋人じゃあないでーす」と言うのを待っていた。
しかし、一向に言う気配がない。という事は---
「まっ、まさかっ…!」
牧野は言った。
「そうだよ。この方は、霧師希さんの恋人だ」
工場内に、悲鳴が響く。
「えーっ!」
収まりそうにないので、牧野が三人を追い払った。
「ええいっ、うるさい! これから大事な話があるんだから、散りなさい!」
渋々、三人は自分の場所に戻っていった。
「じゃあ、お話に入りましょうか? 安輝野さん。今日はどうされたのですか?」
「はい…、今日は先日のお詫びに参りました」
「お詫び…ですか?」
「はい、このあいだ、大学にいらしたじゃないですか?
その時、大変無礼な態度をとりまして---」
「あっ、その事ですか?」
春那は立ち上がり、深々と頭を下げて言った。
「すみませんでした。反省しています」
牧野も立ち上がり、慌てて言った。
「いやいや、いいんですよ! こっちが無理に押し掛けて、言いたい事を言ったんですから。お気を悪くされて当然です。どうぞ頭を上げてください」
「本当にごめんなさい」
「とにかく、それはこちらに問題がある事なんで、どうぞお気になさらず。
とにかく座ってくださいよ」
「はい、じゃあ」
春那はゆっくりと座った。牧野も座って言った。
「安輝野さん。先日のあなたの態度は、確かに厳しかったです。
でも、私は嬉しかったんですよ」
「えっ? 嬉しい…ですか?」
「ずっと怒っていらしたでしょう? 怒るのは真剣だからですよ。どうでもイイ事なら、怒りなんて沸きません。そんなあなたを見て、『この子はまだ、霧師希さんに対して気持ちがあるんだ』という事が伝わってきて、嬉しかったんですよ」
「はあ、本当にすみません」
改めて春那の服装を見た牧野は言った。
「謝罪にいらしたから、スーツを着ておられるのですか?」
「はい、それもあります。
あと、企業を訪ねるので、スーツの方が良いかなと思いました」
「なるほど、礼儀正しいですね。
しかし、こうしていらっしゃったという事は、仲直りなさったんですね?」
「はい」
「しかも、恋人同士になれた?」
春那は照れながら、一言返事をした。
「…はい」
「そうですか、良かったですね」
「霧師希さんから、何も聞いてません?」
「はい、もう口を出さないと決めてましたし、彼も何も言ってきませんでしたから。
でも、悪い方向にはいっていないという確信は持っていましたよ。
霧師希さんはここ最近、機嫌が良かったですから」
「そうなんですね」
「安輝野さん。こうして私に謝罪されたのは、大学の件だけの為ではないでしょう?」
「いえ、それだけです」
「本当に?」
「えっと…」
「霧師希さんの事が心配だったのでしょう?」
「…」
「霧師希さんの勤める会社の社長に、悪態をついてしまった。
彼の会社での立場が悪くなるのでは? …と、心配になったのでは?」
「…」
「やっぱり。そんな事はありませんよ。今回の件は私に非がある事です。それに霧師希さんは大事な戦力であり、仕事仲間です。彼に辞められたら、困るのは私の方です。
安心してください」
「はい、ありがとうございます」
「こうして、ゆっくりお話しするのは初めてですね。
幼い頃から入院生活をされていたのは知っていますが、今は大丈夫なのですか?」
「はい。定期的に通院はしていますが、元気にしています」
「そうですか。霧師希さんとこの会社で十三年間働いていますが、よく言っていますよ。『あの子は元気にしてるだろうか』って。私も自然と気になるようになってました」
「へぇ、そんな事を? 職場では、どんな感じの人なんですか?」
「そうですね、一言で言うなら、『よく働く人』です」
「やっぱり。イメージ通りです」
「安輝野さん、それは少し違うかもしれません。
あなたが想像している三倍くらい、働いている時期があったんですよ」
「そうなんですか?」
「今から十三年前、霧師希さんが入社した当時なんですけど。最初の五年くらいが、とにかく経営がうまくいきませんでした。仕事が大変で新しく人を雇っても、すぐに辞められていました。でも霧師希さんは、どんなに厳しい状況になっても辞めませんでした。
むしろ、自分から難しい仕事を選んでくれていたぐらいなんですよ」
「はい」
「出勤時間も朝の八時から二十二時まで、みっちりでした。月に二日も休まないんです。会社としてはありがたいんですけど、体を壊しますからね。無理やり休ませるようにしたんです。この会社が軌道に乗ったのは、霧師希さんのおかげです」
「真面目な人だとは思っていましたけど、それは想像できなかったです」
「あの三人に、『霧師希さんは、若い頃は自堕落な生活をしていたんだぞっ』て言っても信じないでしょうね。私も含め、そんなハードワークが五年続いたんですが、やっと経営が落ち着きましてね。そうしたら、彼は言ったんです。『定時制高校に通わせてほしい』と」
「その頃なんですね、霧師希さんから聞いていました」
「もちろんOKでした。でも、高校に通うからって、仕事を緩める人じゃあないんで、
通学は大変だったみたいです。何度も仕事を我々に任すように言ったのですが」
「もう過ぎた事なんですけど、なんか心配で怖くなります」
「私、聞いたんですね。『何故そんなに、仕事も勉強も頑張るのですか』って。
そうしたら、なんて答えたと思います?」
「…なんでしょう?」
「ボソッと一言だけ言ったんです。『僕も一緒に頑張っていたいんです』って。
それ以上は、何も言いませんでした」
「どういう意味でしょうか?」
「これは私の推測ですが…。安輝野さん、あなたはこの十五年間、ずっと努力なさっていたのでしょう? 闘病・勉強・サッカーを、寝食を惜しんで頑張ってこられた。
それを確信していたから、自分も何かをせずにはいられなかったのではないでしょうか?」
「だから『一緒に頑張る』…か」
「あくまで私の推測です。でも、本当かどうかは、あなたなら分かりますよね?」
「…はい、分かります」
「そうですか。それなら、それが正解でしょうね」
「私、今の霧師希さんの事は、何にも知らなくて。
他に何か御存知の事があったら、教えてもらえませんか?」
「他にですか? うーん」
「お願いします」
「まあ、他ならぬ安輝野さん自身だ。いいでしょう。あと一つだけお話しします。
絶対に他言無用でお願いしますよ」
「は、はい」
「前から気になっていたのですが、霧師希さんのお金の行方です」
「お金?」
「はい。独身・住居は格安アパート・車は持っていない・唯一の趣味は料理。という事は、自炊派で外食しない。ほとんど会社にいるから、派手にお金を使う機会がない。
あと、霧師希さんのお給料は、他の社員より多めにしてあるんです。
会社への貢献度がスゴイですから当然です。つまり、お金は貯まる一方のはずです」
「確かに、そうですよね。」
「そんな生活を十三年間してる訳ですから、かなりの金額になっていると思いますよ。
えーっと、二~三年前だったかな? 思い切って聞いたんですよね。
『そんなに貯めて、何に使うんですか?』って」
「はい」
「なんて答えたと思います? 安輝野さんの為のお金だそうですよ」
「私の為ですか? えっと、その…あの…結婚…資金でしょうか?」
「違います」
春那は、右肩をガクッと下げた。
「でも、半分は正解です。あなたの為に使いたいお金だそうですから」
「私の為…? 学費でしょうか?」
「彼は、ボソッと言ったんです。『お金で命が助かる事ってあるんですよね』…と。
あなたがもし病気が再発して、高額な治療費が必要になったりした時の為に、備えているんじゃあないでしょうか? 今でも続けているようですよ」
牧野にそう言われ、春那は肩を落としてうつむいた。両手は膝の上に置かれている。
「私は、そんな事をしてほしかったんじゃないんです。
ただ待っていてくれたら、それでよかったのに」
「そうですか…」
春那はうつむいたままだ。膝の上に置かれた手のひらを、拳にしてギュッと握った。
「まったく…、一にも二にも私の為って。ちょっとぐらい自分の心配でもしろって。
『少しは彼氏ヅラでもしやがれ』って言ってやりたいです」
「…私は霧師希さんのような経験が無いから、彼の気持ちは分かりません。ただ、思うんです。大切な人が頑張っているなら、自分も何かをせずにはいられいないでしょうね。
しかも相手へ愛情があるなら、なおさらです。
それは十五年間努力を続けてきた、あなたが一番ご存知でしょう?」
春那は顔を上げた。
「はい」
「あの人はまだ、安輝野さんへの保護者気質が抜けないんです。
言ってやらないと分かりませんよ」
「そうですよね、何と言ってやりましょうか?」
「さっきおっしゃったじゃないですか。『少しは彼氏ヅラでもしやがれ』です。
これでいきましょう」
「アハハ! そうですね」
「安輝野さん。あなたと霧師希さんの事は、皆さんが反対したと思います。年齢の事でね。私も、その一人です」
「…はい」
「でもね、私は仕事を通して霧師希さんと付き合いがあるし、こうして安輝野さんとも
お話しする事ができました。それで思いました。もう年齢の差なんて、些細な事だってね」
「些細な事?」
「はい。なにも課題がない人間関係って、無いと思うんです。恋人・家族・友達・会社の上司や部下…。お互いに、何か不安や困っている事がありますよ。霧師希さんとあなたの場合は、それが年齢差だった。でもね、逆に考えたら、年齢差以外の課題って、無いんじゃないですか?」
「はい、私は無いと思っています」
「それって、素晴らしいですよ。なかなかありませんよ、そんな関係は。
そう考えたら年齢差にこだわるなんて、もったいないですね。私は反省しています。
私はお二人の事を、大賛成しますよ」
春那はニコリと笑顔で答えた。
「ありがとうございます!」
二、合わさる気持ち
十二月二十五日に時は戻る。春那と夏美菜は、霧師希の勤め先に到着していた。
「かんぱーい!」
若い女性二人のかけ声の後に、気遅れた感のする霧師希の声がした。上下共に、紺色の作業着を着ている。
「かっ、かんぱい!」
牧野の工場の片隅に三人はいた。
作業用の机にあった仕事の品を片づけ、新聞紙をテーブルクロスのように敷き、
持参した食べ物・ケーキ・飲み物を広げてある。
夏美菜は工場が初めてらしく、珍しそうに辺りを見渡していた。
それぞれが椅子に座ろうとした時、霧師希は春那・夏美菜の服装を見て言った。
「サンタクロースの服、二人とも可愛いね」
「気分でるでしょう? このまま来たんですよ、上にコート羽織って」
夏美菜はそう言って、スカート部分を両手で少し広げた。赤いサンタ帽もかぶっている。
対照的に、春那は恥ずかしそうだ。両手で自分を抱きしめるような格好をしている。
サンタの帽子は、夏美菜に無理矢理かぶせられた。
「春那も似合っているよ、可愛いね」
「いや、私はナミに無理矢理に着せられて…」
霧師希が可愛いと言っても、春那の照れた様子は変わらない。
夏美菜はスカート部分の袖が膝下まであるのだが、春那は背が高いので膝上までしかない。春那は顔を赤くしてつぶやいた。
「ミニスカートみたいになってるし…」
そんな春那を気にもせず、夏美菜は言った。
「工場って思ったより綺麗ですね。もっと油とか付いたりするのかなって思ってました」
霧師希が答えた。
「場所によっては、そういう部分もあるよ。今僕らが座っているのは、製造する商品の設計をする場所なんだ。だから、あまり汚れるような物はないんだよ」
その為か霧師希の作業着も、今日はさほど汚れてはいない。
三人とも座ったのだが、春那が夏美菜をにらみつけていた。
「あのさ、ナミ。工場の事はどうでもいいんだよ」
「なに? なにか怒ってる?」
「この座り方はなんなのって言ってんの!」
霧師希と夏美菜が並んで座り、向かい側に春那が座っている。それはいいのだが、
霧師希の横ピッタリに、夏美菜がくっつく様に座っているのだ。
「えーっ、いいじゃん。私はもう、こういう機会しか霧師希さんに甘えられないし」
そう言うと、夏美菜は霧師希に軽くもたれた。
春那は唸り声と共に、シャンパンを飲み干した後の紙コップをグシャリと握りつぶした。
「う、う、う、ぐぅ!」
「わっ、分かった、分かりました! 冗談だって! そっち行くから!」
夏美菜は慌てて自分の座っていた椅子を持って、春那の横に移動した。
春那は次に霧師希をにらんだ。
「シキさん! どうしてまんざらでもない顔してんの!」
「してないって!」
「まったく!」
春那は新しい紙コップを取り出し、自分でシャンパンを注いで飲んだ。
こうして突如、霧師希の仕事場は楽しいクリスマスパーティーとなっていた。
一段落した所で、夏美菜が霧師希に聞いた。
「霧師希さんに、聞いておきたかった事があるんです」
霧師希は夏美菜の表情を見て、これは真剣な話だと察した。
「なにかな?」
「あえて、アキの前で聞くんですけどね。アキが、『Fリーグを目指したい』って言ったらどうしますか? 男子チームの可能性もあるかもしれません」
春那は慌ててさえぎった。
「ちょっとナミ、何言ってんの? しかも男子チーム? そんなの無理だって」
夏美菜は春那の言葉を無視するようにして、霧師希に続けた。
「アキは本当に成長していっています。あと三年経ったら、プロで通用する選手になっているかもしれません。でも、プロは各地にあるから、地方に引っ越す事もありえます。
その時、霧師希さんはどうしますか?」
黙ってしまった春那に、夏美菜は言った。
「アキもプロの事を、全然考えた事が無いって訳じゃないよね?」
「うん…、まあ」
夏美菜はもう一度、霧師希に言った。
「霧師希さん…どうでしょうか?」
霧師希は夏美菜の目を見て即答した。
「もちろん応援するよ。地方に引っ越しするならついていくよ。仕事は見つかると思う。自分で言うのもなんだけど、かなり複雑な製鉄の技術を持っているから大丈夫だ。
あと、料理関係もいけると思うし」
夏美菜の表情が和らいだ。
「そうなんですね! 良かった~。特に栄養管理が心配だったので、そう言ってもらえると安心です」
「うん。『フットサルプレイヤーの安輝野春那』の恋人になった時点で、そういう覚悟はできているよ。夢を追える環境を、全力で作ってあげたいと思ってる」
そう言われて、春那は声を上げた。
「シキさん、ありがとう!」
夏美菜も続いて言った。
「霧師希さん、それが一番聞きたかったんです。私も嬉しい」
「ナミさんも、春那をサポートしてあげてね」
「もちろんです」
二人の会話を聞いて、春那はニタニタしていた。
「フフッ、みんな私の心配しちゃって」
そんな春那に、夏美菜からキツイ言葉が飛んだ。
「アキ、しっかりしてよ! アキが頑張るのが前提の話なんだからさ」
「あっ、そうでした」
霧師希は笑っていたが、笑い終えると夏美菜に言った。
「ナミさん、あなたに頼みたい事があるんだ」
「なんでしょう?」
「これからも、春那とたくさんの時間を一緒に過ごしてあげて。彼女との時間を大切にしてあげてほしいんだ」
そう言われ、夏美菜は少し言葉が詰まった。
「えっと…、うーん。やっぱり恋人ができたので、今まで通りは難しいかも?」
「どういう事?」
「つまり、アキの時間を十とするなら、霧師希さんと過ごす時間が七、私が三ってトコじゃないですか? 目一杯譲ってもらって、『六対四』とか」
夏美菜がそう言うと、霧師希は首を振った。
「いや、違うよ。えーっと、『四対六』ぐらいじゃない?」
「霧師希さんが少ないですよ!」
これには春那も不満を漏らした。
「シキさん、それ地味に傷つくんだけど。私と会わなくても平気って事?」
「違う違う」
霧師希は右手を振って否定した。
「若者同士で過ごした方が良い時期って、あると思うんだ。二人は一学年違うから、
一緒に大学にいられるのは、あと二年間と少しだろ? それを大事にしてほしいかな。
あと、僕が行けない所とか、苦手な事。その辺りをお願いしたいんだ」
夏美菜は不思議そうに聞いた。
「それって、どんな所ですか?」
「テーマパークとかだね。ポップコーン買うのに一時間も並んだり、絶叫マシン乗ったりとか無理だから。想像するだけでも怖いよ」
そう言われて夏美菜と春那は笑った。
そして夏美菜が言った。
「分かりました、任せてくださいね」
春那は二人を不満気に見ながら言った。
「本人を無視して、私の事がどんどん決まっていく…」
夏美菜はお婆さんのような声色で言った。
「世話のかかる子だよ~」
「わたしは孫か?」
話している間に、夏美菜はテーブルを見て言った。
「お酒無くなったなー。来るまでにコンビニあったから、買ってくるね」
夏美菜はコートを着始めた。春那は慌てて止めた。
「いいってば!」
霧師希も同様だ。
「それなら僕が行くよ」
しかし夏美菜は手早くコートを着て、サンタ帽をテーブルに置くと出て行ってしまった。
「すぐ帰ってくるよー」
「あら、行っちゃった…」
春那も霧師希も、夏美菜の素早さに唖然とした。
春那は霧師希と二人だけになると、改めて霧師希の顔を見た。
『彼に言わなければいけない事がある』
そう思っていた春那は、霧師希の横にある椅子に座った。
二人が向かい合うと、春那は真顔で言った。
「シキさん、ちょっと」
「なに?」
春那は右手の人差し指と親指で、霧師希の左の頬をつまんだ。
そしてゆっくりと右方向へ引っ張った。
「いたたたたっ! いたいたいっ! いたいって!」
春那が指を話すと、霧師希は左手で左の頬をこすった。
「痛いなぁ、何するんだ! 図書室での仕返しか?」
「私、怒ってるんだよ! しかも二つ!」
「何を? しかも二つって」
「まず一つ目。聞いたよ、私を『ハル』って呼ばない理由」
「あっ…」
霧師希の表情がこわばった。
「最初からハルって呼べば良かったんだよ!
それで、さっさと好きになってくれたら良かったんだよ!
そうすれば、大ゲンカしなくて済んだんだよ!
私は昔から、ずっとシキさんの事が好きだったんだから!」
「…そうなの?」
「そうだよっ! 反省しなさいっ!」
「すいません」
フーッと、春那は息を吐いた。
「じゃあ二つ目。こっちがさらに問題」
春那はそう言うと、右手の拳で机を『ドンッ!』と軽く叩いた。
驚いた霧師希は体をビクッとさせた。
次に春那は立ち上がった。下に降ろしている両手の拳が、体の横で震えていた。
「私は怒ったぞ---」
「春那?」
春那は工場全体に響き渡る大声で怒鳴った。
「私は怒ったぞー! 霧師希足人ぉー!」
本気で怒っている春那を見て、霧師希は唖然としていた。
「どうして過労死寸前まで働いたりするのよ!
私の医療費の貯金って何よ!
あなた、本当に何やってるのよ!
父親にでもなったつもり?
足ながおじさんにでもなったつもり?
もっと自分を大事にしてよ!
あなたはもう、私の恋人なんだよ! 少しは自覚を持ちなさい!
彼氏ズラでもしやがれ!」
春那に怒鳴られ、霧師希は目を伏せた。
「そうか、知っちゃったか。ごめんな、心配かけて」
春那の表情は、穏やかな顔に戻っていた。
「そうだよ。せっかく再会できたのに、シキさんが倒れたんじゃあ、本当に意味ないんだからね」
春那はそう言うと、ストンと椅子に座った。
霧師希は、申し訳なさそうに言った。
「悪かったよ、春那。もう無茶はしなから」
霧師希は深々と頭を下げた。
「いーや、許さんっ!」
「どうすれば、許してくれる?」
「そうだねー。とりあえず、五対五にしたら、許そうかな」
「なんの話? それ」
「シキさんと私の会う時間だよ。さっき『四対六』って言ったでしょう?
『五対五』にしてよ。私、シキさんにも沢山会いたいんだから。そしたら許してあげる」
霧師希は嬉しくて笑顔になった。
「分かった。じゃあ『五対五』にするよ」
「へへーっ、ありがとう。あとさ---」
「なに?」
「これからは、『ハル』って呼んでよね」
「うん分かったよ、ハル」
「やっぱりシキさんは、その呼び方がしっくりくるよ」
こうして話しているうちに、二人は夏美菜の事に気が付いた。
霧師希は心配そうに言った。
「ナミさん、遅くない? 大丈夫かな」
「もしかしたら気を使って、私達を二人っきりにしようとしてるんじゃあ…?」
「それじゃあ、一人で外をウロウロしているの? 危ないよ」
「うん、電話するよ。戻ってもらうね」
春那がスマートフォンで電話すると、すぐにつながった。
「今どこにいるの? ---やっぱり! すぐに戻ってきて---ねぇってば!」
春那が夏美菜とスマホで言い合っていると、霧師希は春那に右手を差し出した。
「シキさんに替わるね」
「もしもし、霧師希だけど。帰ってきて! --いいから--タクシーごと--あっ、ちょっと!」
春那にスマートフォンを返した。
「ナミ、なんだって?」
「タクシーに乗って、家に帰る途中だったよ。
『戻っておいで』って言ったら切られちゃった」
「気を使わなくてもいいのにね」
「そうだよ。それに、家に帰っても一人なんだろ? 寂しい思いさせたくないよね」
「へへーっ」
「なに?」
「シキさんの、私の友達を大事にしてくれるトコロが好きだよ」
「僕も、ハルが友達を大事にしようとするトコロが好きだ」
二人で視線合わせて笑った。
「ハル、ナミさんは本当にいい人だね。大事にしなよ」
「うん!」
「終章 クリスマスの誓い」へ続きます。




