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第9話:静かなる帰陣

戦が終わったあとの道は、意外なほど静かだった。


 織田軍の列は勝ち鬨を上げるでもなく、淡々と尾張へ戻っていた。

 ぬかるんだ道。濡れた草木の匂い。

 馬の足音と、槍の軋む音だけが、帰還のリズムを刻んでいる。


 神谷悠真はその列の中ほどで、濡れた衣のまま歩いていた。


(……あれ?)


 どこか違和感があった。

 現代で思い描いていた“戦の後”とは、まるで違う。


(勝ったら皆で盛り上がって、バンザイして、宴とか……そういうんじゃないんだ)


 教科書でも、映画でも、戦の“終わり”はもっと派手だったはずだ。

 だが現実は、重く、静かで、どこか祈るような雰囲気すらあった。


「おーい、神谷殿!」


 ぬかるみの向こうから、明るい声がかかった。

 振り返ると、木下藤吉郎——秀吉が笑顔で手を振っていた。


 甲冑は泥だらけだが、まるで気にも留めていない様子だ。


「なぁなぁ、よく戻ってきたなぁ! ほら、無事な顔見たら腹が減ったわ! あんた、飯は?」


「えっ、あ、いや……」


「やっぱ食ってないな。オレのとこ来い、塩漬けくらいあるでよ!」


 軽口を叩きながらも、ちゃんと周囲を見ている。

 誰よりも早く声をかけてくれたのは、この男だった。


(……軽いけど、優しい人だ)


「ありがとうございます、藤吉郎さん」


「おっと、“さん”は照れくさいな。兄貴と呼んでもええんやで?」


 ふふっと笑い、秀吉は先へと進んでいった。

 だがその背中は、さりげなく皆の間に溶け込み、気を張り続ける兵たちの空気を、少しだけ和らげていた。


(この時代の人たち……強いな)


 悠真は、心からそう思った。


 やがて、城が見え始めた。

 門が開き、兵たちがぞくぞくと中へと入っていく。


 そのとき、悠真はふと、一つの視線を感じた。


 門の傍に立つ、少女。

 浅葱色の着物に、黒髪をひとつに束ねた姿。

 整った顔立ちに、どこか芯の強さがある。瞳が、じっとこちらを見つめていた。


(……誰だ?)


 その少女は、悠真の視線に気づくと、小さく一礼して、そのまま奥へと歩き去った。


「……あの方は?」


 思わず隣にいた秀吉に尋ねると、彼はやや大げさに眉を上げた。


「ん? おう、あれは信長様の妹君、お市様やで。知らんのか?」


「えっ……!」


 まさか、あれが——。


 名前だけは知っていた。

 戦国を代表する女性のひとり。信長の妹。

 歴史の中では、悲劇に翻弄されるイメージしかなかった。


 でも今、目の前にいたその人は、静かで、凛としていて、そして美しかった。


(あの人が……お市)


 何かが胸の奥に引っかかった。

 それが何なのか、まだ分からなかった。


(また……会えるかな)


 そう思った自分が、少しだけ不思議だった。


 気がつけば、城の門が目前に迫っていた。

 信長の軍は確かに勝ち、今は帰ってきた。


 そして、悠真自身もまた、この時代の空気の中に——確かに“居る”のだと感じ始めていた。

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