第50話:信の矢
薄曇りの空の下、織田信長は静かに火鉢に手をかざしていた。
部屋には、神谷悠真と柴田勝家。
そして、もう一人の男が膝をついていた。
その男の名は——前田利家。
「……すまぬ。わしはこれまで、殿の命により“加賀美”と名乗る男の痕跡を追っておった」
利家の低い声が、静かに部屋に響く。
「だが、神谷殿が命を狙われた件で、もはや隠しておくべきではないと殿が判断された」
神谷はゆっくりと頷いた。
「つまり、加賀美はすでにこの城の中に“何らかの手”を伸ばしている……と」
「間違いあるまい」
信長が言葉を継ぐ。
「奴の名は、十年前より記録の端に現れては消え、現れては消え……まるで“歴史の裏”に潜んでおった」
「そして今、再び“表”に出てきた」
利家は真剣な眼差しで神谷を見た。
「神谷殿。……加賀美とは、いったい何者なのだ?」
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神谷は、少しだけ言葉を選んだ。
「……加賀美は、未来から来た者です。
彼は、歴史を意図的に“作り変えよう”としている。
俺の時代で語られる史実は、すでに“加賀美が介入した後”のもの……かもしれません」
沈黙。
利家が目を見開き、勝家は息を潜める。
信長は、ただ黙って神谷の目を見据えていた。
「未来の人間か……。なるほど、腑に落ちる。奴のやり口は、どれも妙に“先を読んでおった”」
信長は、立ち上がった。
「神谷。そなたは“正しき歴史”を守ろうとしているのか?」
「……はい。俺は、ここにある“命”や“想い”を捻じ曲げたくない」
信長は笑った。だがそれは、いつもの冷たい笑みではなかった。
「ならば、策を授けよ。奴に“我らの矢”を放つ、好機を示せ」
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その夜、神谷は机に向かい、筆を取っていた。
加賀美の“先手”に対し、自分が打てる“次の手”——
それは、あえて情報を逆に漏洩させ、加賀美の反応を誘い出す罠だった。
(信長様と利家様を囮に使い、敵の間者を誘導する……)
自らが仕掛ける“虚構の戦”——
それが、加賀美の注意を逸らし、真の動きを探る鍵になる。
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「お一人で悩んでいる顔ですね」
声がして振り向くと、そこにはお市が立っていた。
「……やっぱり、分かりますか」
「ええ。神谷様の背中、最近とても重たく見えるのです」
神谷は思わず苦笑した。
「でも、その重さに救われているのも事実なんです」
お市は神谷の傍らに座り、そっと囁いた。
「では、その重さを……半分、私に預けてください」
——優しい声だった。
どれだけ多くの命が懸かっていても、その言葉が神谷を人間に戻す。
「ありがとうございます、お市様」
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そして、翌朝。
「報せです。秀吉様が、京での軍備調整のため出立されたとのことです」
神谷は軽く頷いた。
「秀吉さんらしいですね。動きが早い」
信長も、口元をわずかに緩める。
「まこと、抜け目のない男よ」
そして、誰も知らぬまま。
ひとつの影が、静かに動き始めていた。
ほう……信長様が、ついに神谷殿を“表の戦略”に組み込まれたか。
利家も動き、儂も手をこまねいてはおれんな。
それにしても、加賀美なる男。未来から来た者とは、まこと奇怪な存在よ。
だが、信長様はそれを恐れぬ。
それどころか“利用する覚悟”すら感じるわい……さすがじゃ。
そして、秀吉殿も動いた。
さて、あやつが何を狙っているかは——今はまだ、わからぬ。
読者殿、次こそ一つの節目ぞ。
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次回も、見逃すでないぞ!
──織田家筆頭家老・柴田勝家、かしこみ申し上げ候。




