第41話:継がれしもの
城の一角、薄暗い書庫の奥。
神谷悠真は、ふと足を止めた。
「ここは……」
信長から渡された報告書を届けに来たはずが、なぜか導かれるようにこの場所に来ていた。
書棚の中、ひときわ古びた木箱に目が留まる。
(妙な引っかかりがある……)
そっと蓋を開けると、中には巻物と数冊の帳面。
その一枚に、まるで“誰かの日記”のような筆致の文があった。
『──この命、いずれ尽きようとも。
それが“始まり”となるのであれば、迷いはせぬ。
儂は誰かに、この時代の先を託す。』
「……誰かに託す、だと……?」
文の筆跡は、明らかに信長のものではない。だが、その言葉には奇妙な既視感があった。
(なぜだ……初めて読むのに、心の奥がざわつく)
(まるでこれは……“自分が書いたもの”のような感覚)
思考の渦に呑まれそうになるその時、背後から声がした。
「神谷様……」
お市だった。
静かな足音とともに、彼女は戸口に立っていた。
「お探ししておりました。……殿が、お戻りを」
「あ、ああ……すぐに行きます」
巻物を元に戻しながら、神谷はお市と共に廊下を歩く。
「ここは……殿のお部屋なのですか?」
「いえ。元は、殿が若き頃、師より託された私室だと聞いています」
「“師”……?」
「はい。千利休という方が、殿に深く影響を与えたと……」
神谷の胸に、またひとつ、得体の知れぬ波紋が広がる。
(利休……)
(なぜだ……その名を聞くだけで、背中に火が走るような感覚になる)
お市はふと、横顔を覗き込んだ。
「……神谷様は、時折、とても遠い目をなさるのですね」
「え……?」
「まるで、私たちがまだ知らぬ“未来”を、すでにご存じのような……そんな目を」
神谷は言葉を失った。
だがお市は、笑って首を横に振る。
「……不思議ですね。なのに、怖くはない。むしろ、安心するんです」
神谷は返す言葉を見つけられぬまま、無言で歩みを続けた。
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その夜、信長は一人、庭を眺めていた。
「……お前の足取りに、なぜか“儂の鼓動”が重なるのだ、神谷」
手にしていた酒をわずかに傾け、月に向けて盃を掲げる。
「だが、まだだ。今は語る時ではない……儂自身も、まだ確信を得てはおらぬ」
信長の背に、ふと風が吹いた。
その風は、春の夜には似つかわしくないほどに冷たかった。
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一方、京の離れ屋敷。
加賀美黎士は、ある男と密かに対面していた。
「……ご紹介に預かりました、浅井長政の家臣・片桐でございます」
「君の主の“思惑”は承知している。だが、それは“表”の話だ。
私は“裏”で語れる人間を求めている」
加賀美は笑みを浮かべながら、卓上の図を片桐に示す。
「この道筋が変われば、やがて“信長の運命”も変わる。
そのために、君たちには一歩だけ、踏み出してもらう」
「……裏切れと?」
「否。導くだけです。誰も、君に剣を取れとは言わない」
薄闇に、静かに火が灯る。
その火は、これから始まる“もう一つの本能寺”の導火線となるのかもしれなかった。
⸻
翌朝。
神谷は縁側に腰を下ろし、ぼんやりと庭を見ていた。
昨日見た巻物の文字が、未だに脳裏を離れない。
(──託す)
(……あれは、本当に“誰か”の言葉だったのか?)
(……それとも)
胸の内で問いかけても、答えは返ってこない。
ただ春の風だけが、静かに庭を抜けていった。
人の心は、まことに読めぬものよ。
神谷という若者……あやつは、まるで“過去を知る者”のようでもあり、“未来を映す鏡”のようでもある。
殿がなぜあやつを重用されるのか……わしにはまだ測りかねる部分も多い。
だが、それでも構わぬ。いずれ、全ては露わとなろう。
そなたも、もしこの物語に胸打たれるものがあれば、
「評価」や「ブックマーク」、それに「コメント」など、思いの丈を残してもらえれば幸いである。
次なる戦のためにも、それは立派な備えとなるゆえな。
……また、共に見届けていこう。
──織田家筆頭家老・柴田勝家、かしこみ申し上げ候。




