第40話:揺れる兆し
報告を終えた神谷悠真は、信長の言葉を静かに待っていた。
主君は巻物の一端を指でなぞりながら、しばし黙していた。
「ふむ……村の構造にまで干渉していたとは。やはり、ただの流れ者ではあるまい」
「神谷、お前は何を感じた?」
「……確証はありません。ただ、“この時代を内側から操ろうとしている”ような、そんな得体の知れぬ存在を感じました」
「ほう……」
信長の目が細められる。
その奥にあるのは、好奇心か、警戒か、それとも——
「その者、我らにとって敵か、あるいは……」
「敵と断じるには情報が足りません。ただ……放置すれば、歴史が歪む恐れはあると」
信長はしばし考え込み、やがて巻物をそっと閉じた。
「よい。神谷、そなたはこれより“目”となれ。誰よりも鋭く、深く、影を見通せ」
「承知しました」
「ただし、己を見失うなよ。——風の流れを読むのは構わぬ。だが、流されるな」
その言葉には、どこか重く、切実な響きがあった。
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その夜、光秀は机上の密書に目を通していた。
記された文には、村の再建案と兵の再編計画。だが、どこかがおかしい。
「この構成……時代にそぐわぬ速さと効率。まるで……未来を知る者の手によるようだ」
彼の脳裏に、一人の男の名が浮かぶ。
(加賀美……貴様か)
かつて一度、信長に連れられ訪れた“謎の使者”。
名も立場も曖昧なまま、短い滞在で姿を消した男。
「殿は、なぜあの男を信じなかったのか……いや、気づいておられたのか」
光秀は文を火鉢にくべながら、苦い吐息をついた。
「忠義とは、主に尽くすことか……それとも、主を“護る”ことか」
炎のゆらぎに揺れる影の中で、彼の眼差しもまた、わずかに揺れていた。
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一方、岐阜城の一角。
お市は廊下の端に立ち、庭を見下ろしていた。
風が、どこか妙な匂いを運んでくる。
(……何かが変わってきている。城の空気が、わずかに……ざわついている)
侍女が声をかけるまで、お市はその場を離れられなかった。
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そして京の一室。
加賀美黎士は、巻物の整理を終え、ある帳面に手を伸ばしていた。
「神谷悠真……やはり、未来から来たか」
指で地図の一点をなぞる。
「情報の断片、言葉遣い、視線。あらゆる部分に、未来の匂いが染みついている」
「だが、お前が“何者”かまでは、まだ読めん。……観測者か、逸脱者か、それともただの遺漏か」
加賀美の目に浮かぶのは冷徹な分析の光だ。
「いずれにせよ、俺の計画にとって最も厄介な“変数”には違いない」
筆を走らせながら呟く。
「次は、“揺らす”。光秀か、信長か。揺らいだ者から崩れ始める」
その視線は地図上の一点——美濃と尾張の境界に釘付けになっていた。
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翌朝。
神谷は城下で軽い視察を終え、帰路につこうとしていた。
ふと、背筋に“何か”が走る。
(まただ……視られている?)
振り返っても誰もいない。ただ、町の雑踏と、春の風だけがそこにあった。
(……まるで、時代そのものが、俺を試しているみたいだ)
神谷は小さく息を吐いた。
(違和感はある。明らかに何かがおかしい)
(でもそれが“本当におかしい”のか、“そう書き換えられた歴史”なのか——)
その答えにたどり着くには、まだ時間がかかりそうだった。
ふむ……また風が、動き出したようだな。
神谷という若者、あやつの足取りの先に何が待つのか。
わしにはまだ見えぬが、殿が“目”として認めた以上、並の者ではあるまい。
歴史が、もし誰かの手で歪められているのだとしたら——
わしらは何を守り、何を信じるべきか。
その答えを知るためにも、戦の先を見届けねばなるまい。
もし、そなたの心に響くものがあったなら、
「評価」や「ブックマーク」、そして「コメント」など寄せてもらえるとありがたい。
作者殿にとって、それが何よりの糧となろう。
……では、また会おうぞ。
──織田家筆頭家老・柴田勝家、かしこみ申し上げ候。




