第3話:捕らえられた異邦人
信長の前に立たされた瞬間、神谷悠真は、全身が硬直するのを感じた。
威圧感。その言葉だけでは表現できない何かが、織田信長という男から発せられていた。全身を黒の甲冑で固め、背筋を真っすぐ伸ばした姿は、まさに“天下を取る”とされる男にふさわしい風格を備えていた。
「名を名乗れ」
低く、澄んだ声が響く。恐怖とは違う、けれど体の奥から揺さぶられるような威厳に、悠真は無意識のうちに背筋を伸ばしていた。
「あ……あの、か、神谷悠真……です」
信長の鋭い眼差しが、悠真の足元から頭の先までをじっくりと舐めるように観察する。現代の服装。奇妙な言葉づかい。そして、浮世離れした顔。
「ふむ、神谷と申すか。そなた、どこの国の者だ?」
「……あ、あの、遠い国から来ました……」
歯切れ悪く、しどろもどろの返答しかできない。下手に現代のことを話せば、間違いなく不審者扱いされて首を刎ねられるだろう。それだけは避けねばならなかった。
信長は一瞬、口元をわずかに緩めた。微笑んだ、ように見えた。
「遠国の者にしては、言葉が妙に通じるな。そもそも、その身なり——まるで見たことがない。布か皮かも判別し難い奇妙な装束だ」
「……あの、旅の修行中で……」
「ふん、適当なことを申すな」
空気が凍るような静寂に包まれた。背後の兵たちが一斉に手を槍へと伸ばすのがわかった。もし信長が「斬れ」と言えば、それで終わる。悠真は手の平に汗がにじむのを感じながら、必死に頭を回転させた。
(何か……何か信用を得る方法は……)
そのとき、彼の脳裏に、桶狭間の戦いの布陣図が浮かんだ。歴史オタクとして何度も見返した戦術の展開。今、この場所が“その渦中”にあるとすれば——。
「今川軍は、間もなく北東から回り込んでくるはずです!」
自分でも叫んだ理由が分からなかった。ただ、身体が動いた。信長の問いに答えるのではなく、目前の戦況を“予言”するかのように言い切った。
兵たちがざわめく。
「何だと……?」
「そなた、敵の動きを読んでおるのか?」
「ええ、山を伝って来ます。雨が降れば、地面はぬかるみます。川沿いの伏兵が最も効果的に動ける場所です。進軍速度は遅れるはずですが……」
信長の目が、じっと悠真の目を捉えていた。その瞳に浮かぶのは、警戒でも怒りでもなく——興味。探るような、いや、試すような視線だった。
「その言、まことか?」
「……はい」
答えたとたん、信長は手を挙げて兵たちを制した。
「面白い。では、見届けてみようか。そなたの“知恵”とやらが、いかほどのものかをな」
その一言で、悠真は命を繋いだ。
だが安心する暇などなかった。信長の指示で、彼はそのまま軍議の場へと引きずられた。周囲の目は冷たく、怪訝さに満ちていた。異物。異端。だが、それでも彼は自分に言い聞かせるしかなかった。
(この時代に来た理由は、きっと……ここで終わるためじゃない)
(俺は、やるしかない)