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第29話:静かなる波紋

 織田家の城下町——

 その朝は、いつもの喧騒とは違っていた。


 昨夜の襲撃事件が城内だけでなく、町の人々にも噂となって広まり、不穏な空気が漂っている。

 「織田家のお市様が襲われたらしい」「今川の残党の仕業だ」——そんな声があちこちで囁かれていた。


 だが、悠真はその空気の中に、もう一つ別の“違和感”を感じ取っていた。


(これは……偶然じゃない)


 町を歩いていると、妙に目立つ浪人風の男たちが増えていた。

 しかも、どこかで聞いたことのある不自然な言い回しで町人に話しかけ、動揺を煽るようなことをしている。


(情報操作……?)


 加賀美黎士——あいつの仕業だ。悠真は直感した。


(あの男は……歴史を乱すことに一切の躊躇がない)



 一方、城の奥。


 お市様は部屋の縁側に座り、庭の花を眺めていた。

 その側に侍女がそっと寄り添っている。


「……神谷様は、今どちらに?」


「城下に行かれました。お市様を心配しておりました」


 お市様は小さく微笑む。


「……優しい方ですね。でも……あの方の目は、とても遠いものを見ているようで……少しだけ、寂しさも感じます」


 少女のような呟き。

 あの夜、悠真に手を引かれたあの一瞬が、お市の胸に強く刻まれていた。



 その頃——悠真は勝家と利家に呼び止められていた。


「神谷……一つ、聞きたい」


 勝家が厳しい眼差しを向けてくる。


「昨夜の動き——偶然ではなかろう。そなた、何を知っている?」


(来たか……)


 悠真は迷った。

 ここで迂闊に未来の知識を漏らせば、それこそ疑われる。

 だが、隠しすぎれば逆に信用を失う。


 だから——


「俺は……今川の残党だけでなく、“外”の者が動いていると思っています」


「外?」


「織田家の敵は、今川だけではない。この国全体が揺らぎはじめています」


 ぼかしつつも、事実を伝える。

 利家が腕を組みながら唸った。


「……それは、殿も感じておられる」


「え?」


「殿は今朝、こう仰っていた。『この国は変わる。力だけでは治まらぬ風が吹いている』とな」


 悠真は、その言葉に胸がざわつくのを感じた。


(信長様……本能寺の変を……漠然と感じているのか?)



 夜。


 悠真は、再びお市様の元を訪れていた。

 縁側で月を見上げるその姿は、どこか儚げだった。


「神谷様……おかえりなさいませ」


「お市様……今日は、無事で良かったです」


 素直な言葉に、お市は少し驚いた顔をした後、静かに微笑んだ。


「神谷様……この国は、変わってしまうのでしょうか」


 悠真は答えに詰まる。

 本当は知っている。

 この先に待つ戦乱と悲劇を。

 けれど——


「……変わるとしても。守りたいものは……守るつもりです」


 その言葉に、お市様はほんの少しだけ顔を伏せた。


「私も……そう在りたい。兄上のために、織田のために……そして、今は——」


 そこまで言いかけて、お市様は言葉を飲み込んだ。


(……今は、神谷様のために)


 その想いを胸に秘めたまま、二人は静かに月を見上げていた。



 一方——


 加賀美黎士は、城下の闇に紛れて次の策を練っていた。

 その背後には、河合吉統かわい よしのりの姿もある。


「次はどう動く?」


 加賀美は静かに笑った。


「……次は、神谷悠真を試す。どこまで“未来”を背負う覚悟があるか……」


 月明かりの下、冷たい声が響いていた。


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