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第27話:暁の刃

城の一角で、異変が起きたのは、まだ夜が明けきらぬ未明だった。


 お市様の侍女が悲鳴を上げ、それとほぼ同時に兵たちが駆け出す。

 館の裏手で、黒装束の男が数人、お市様を強引に連れ去ろうとしていたのだ。


「お市様ッ——!」


 駆けつけた悠真は、物陰からお市様が乱れた着物のまま引きずられている姿を目にした。

 思考が追いつくよりも早く、体が動いていた。


「やめろッ!」


 叫びながら突っ込んだ悠真は、地面の石を拾い、咄嗟に男のひとりの額に投げつけた。

 直撃した男が呻き声を上げて倒れ込み、それに気を取られた隙に、お市様がふらつきながらも距離を取る。


「神谷様……!」


「こっちに!」


 手を伸ばした瞬間、残るふたりの黒装束が刃を抜いた。

 悠真の喉元へ斬りかかるように襲いかかる。


(ダメだ、武器が——)


 とっさに腰の袋から粉状の灰を掴み、相手の顔に投げつける。

 粉塵が舞い、視界を奪われた敵の動きが一瞬止まった。その隙を突いて、お市様の手を掴んだ。


「走って!」


 二人は夜の回廊を駆けた。

 背後で足音が迫るが、それ以上に兵たちの怒声が響き始めていた。


 助けに入った兵たちが黒装束を取り囲み、すぐさま取り押さえる。



 事件の直後。城の大広間には緊張が走っていた。


 信長は火鉢の前に座り、報告を黙って聞いていた。

 その表情はいつも通りに見えるが、静かな怒りが滲んでいるのは誰の目にも明らかだった。


「お市に手を出すとは……愚かな」


 ぽつりと呟いた言葉に、場の空気が凍りつく。


 神谷悠真は、まだ鼓動が落ち着かぬまま、膝をついて頭を下げていた。


「申し訳ありません……俺が気づくのが遅れました」


「そなたがいたからこそ、無事だった。……それは事実だ」


 信長の声は低く静かだったが、そこには確かに信頼の色があった。


「しかし——それにしても、動きが早すぎる」


「信長様……?」


「犯人の素性は不明だ。だが、あの動き、連携……ただの盗賊ではない。“誰か”が手引きしている」


 信長は視線を横に流す。

 その先には、加賀美の姿はなかった。彼は昨夜から姿を消したままだ。


「名も顔も知れぬ影が、殿中を這い回っておる。……あの浪人も、無関係とは思えぬ」



 事件のあと、お市様は侍女と共に奥の部屋で静養していた。


 そこを訪れた悠真に、お市様は柔らかな微笑みを向けた。


「神谷様、あのとき……私の手を、掴んでくださった」


「え?」


「はっきり覚えています。私……とても、怖かった。でも、神谷様の手があたたかくて……少しだけ、安心できたのです」


 悠真は、照れくさそうに頭をかいた。


「……俺だって怖かったですよ。でも、ああいうときって、考えるより先に体が勝手に動くもんなんですね」


 お市様は小さく笑った。


「兄上も、昔はそうでした。無鉄砲で、すぐに剣を抜くような方で……でも、どこか寂しそうで」


「信長様が?」


「はい。だからきっと、神谷様のような方を、どこかで重ねて見ておられるのかもしれません」


 その言葉に、悠真は少しだけ視線を伏せた。


(信長様が、俺を見て何を想ってるのか……それはわからない。だけど——)


「……俺、もっと強くなります。今はまだ、守られてばかりだから」


「そう……思っているだけで、きっと神谷様は、もう強い方なんだと思いますよ」



 その夜、誰もいない廊下を歩く信長は、ふと立ち止まり、つぶやいた。


「影が動き出した……か。こちらも、ただでは済まぬぞ」


 月明かりの中、その横顔は、炎のように揺れていた。


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