第22話:沈黙の中で
「神谷。話がある。ついてこい」
突然の呼びかけに、悠真の心臓が跳ねた。
信長の背中は既に歩き出しており、振り返ることはない。兵たちも動かず、ただその空気に従って静かに道を開けた。
(……やっと、来たか)
恐れと期待が入り混じるなか、悠真は無言で後を追う。
二人は人目のない静かな一室に入った。障子が閉められる音が、やけに重たく感じられた。
「腰を下ろせ」
悠真は促されるまま、座布団の上に膝をつく。
信長はその正面に腰を下ろし、じっと彼を見据えていた。長い沈黙の後、ようやく口を開いた。
「そなた。……何者だ」
言葉は静かだった。怒りも苛立ちもない。ただ、鋭い刃のような“真意の探り”がそこにはあった。
悠真はすぐに答えられなかった。いや、答えるべきかどうかを迷っていた。
「……信じていただけるかは、わかりません」
「信じるか否かを問うているのではない。儂は“知りたい”のだ」
信長の言葉には、かつて感じたような“興味”だけではなく、どこか“迷い”も滲んでいた。
「俺は……神谷悠真。ある遠い国の出身です。今の常識や技術とは、少し違うものを知っています。でも、それがこの時代に通用するとは限りません」
「……通用するか否か。それを決めるのはお主ではない。使う者、見る者だ」
信長は目を伏せ、ふっと笑った。だが、それは決して愉快そうな笑みではなかった。
「この戦を経て、儂のもとには様々な声が届く。そなたを“神の使い”と讃える者もいれば、“鬼の化身”と恐れる者もおる」
「……それは、俺のせいです」
「そう思うか?」
悠真は目を上げた。信長の瞳が、まっすぐに自分を見ていた。
あの夜、初めて会ったときと同じように。だが、あの時と違うのは——この目の奥に、“孤独”が見えることだった。
「信長様は……怖くないんですか? 俺のことが」
「怖いか? 面白いか? 不気味か? どれもある。だが儂はな、神谷。そなたに“変える力”があると思う」
「変える……?」
「時代を、だ」
その一言が、悠真の胸に刺さった。
この男は本気で、俺に“何か”を託そうとしている——。
「……けれど、それは危険です。変えてしまえば、元に戻れない」
「その言葉が、そなたの本質だ。……“変えたくない者”であるということ」
信長は静かに立ち上がり、背を向ける。
「それでよい。今はそれで。だが、いつか儂が背を向けた時……そなたが振り返らねばならぬ時が来るだろう」
そう言い残して、信長は部屋を後にした。
悠真は、畳に手をついたまま、その背中を見送った。
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その夜、加賀美は城下のとある小屋にいた。
今川の名を掲げた者たちと交わす言葉は少なく、だが確実に次の手を進めていた。
「柴田勝家は揺らぎ始めた。前田利家にもほころびが出てきた。
信長の本心は読みづらいが……神谷の存在が“歪み”を広げているのは確かだ」
彼は黒い木箱を一つ手に取る。中には、何かの印が刻まれた小さな丸い装置が入っていた。
「仕込みは順調だ。あとは、“信頼”という名の糸が、どこまで持つかだ」
闇の中で、加賀美の目だけが細く光っていた。




