第20話:裂かれる信頼
「……神谷。お前は、もう少しこの本陣には近づくな」
軍議が終わると同時に、信長の冷静な声が悠真の背中を貫いた。
部屋の空気が一瞬で凍りつく。悠真は目を見開いたまま、言葉を失った。
「……それは、どういう……」
「深い意味はない。が、今はまだ“噂”が消えていない。
お前の存在をよく思わぬ者も多い」
それはまるで、“表向きの処置”だと言わんばかりだった。
信長の声は穏やかだったが、そこにかつて感じた“情”はなかった。
(……信じてくれていたんじゃなかったのか?)
胸に小さな亀裂が走る。
けれど悠真は、それ以上言葉を返せなかった。
「心得ました」
深く頭を下げる。その姿は静かだったが、拳は確かに震えていた。
⸻
一方その頃、城の片隅——。
柴田勝家は、ひとり城壁の外を眺めていた。
豪胆な将として知られる彼が、今は言葉少なに唇を噛んでいる。
「信長様……どうしてあやつを、そこまで信用なさるのか……」
その目には、疑念と苛立ちが混ざっていた。
自分たちは長年血を流して主君を支えてきた。それなのに、どこの馬の骨とも知れぬ男が、軍議にまで加わる。
ましてや、戦場の“判断”にまで口を出すなど——。
ふと、背後に気配を感じる。
「……その思い、よく分かりますよ。柴田様」
声の主は、物腰の柔らかい文官風の男。
目立たぬ服装。だが、その目だけが異様な冷たさを湛えていた。
「誰だ、貴様」
「私はただの浪人。けれど、信長様の行動に疑問を抱く者が、他にもいることをお伝えしたくて」
男は懐から一通の巻物を差し出した。
「これは……?」
「“神谷悠真”という名の男に関する情報です。彼が何者で、何を知っているか。
ご興味があれば、どうぞお目通しを」
勝家は黙って巻物を受け取った。
その手は、ごくわずかに震えていた。
⸻
その夜、悠真は城の裏庭でひとり空を見上げていた。
見慣れない星。違う空気。
けれど、胸に去来するのは、“ここ”でしか得られないものだった。
「……神谷様は、何を選ぶつもりなのですか?」
振り返ると、お市がそこにいた。
月明かりに照らされた瞳が、じっと悠真を見つめている。
「信じるのか、それとも……」
「分からないよ、まだ。でも——俺は、この時代に来て、逃げたくないって思った」
お市はふっと目を細めると、隣に座った。
「じゃあ、今はそれでいいと思います。……私は、神谷様を信じています」
その言葉だけが、悠真の心に静かに灯をともした。
⸻
そして、加賀美は夜の座敷でひとり、碁石を打っていた。
白と黒。静かに、確実に陣地を塗り替えていく。
「信長よ、まずは家臣の心から崩してやろう。
“信頼”こそ、お前の最大の武器であり……最大の隙でもある」




