第17話:命と誇りのはざまで
「——神谷、お前に一つ、任せたいことがある」
朝の軍議を終えた後、信長は他の家臣を下がらせると、悠真だけを呼び止めた。
「尾張と美濃の境に近い村に、使者として行ってもらいたい。困窮しておる民の様子を見てきてくれ」
「……私が、ですか?」
「うむ。単なる使者ではなく、“お前の目”で、何が足りぬかを確かめてきてほしい」
信長は軽く笑いながらそう言ったが、その目には、ただの雑務ではない重みが宿っていた。
(なぜ俺なんだ? もっと適任の武将がいるはずなのに……)
そう思いながらも、悠真は頭を下げた。
「承知しました。全力を尽くします」
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二日後——。
山間の村は、想像以上に静かだった。
田畑は荒れ、子どもたちの声もまばら。
戦の余波で物資が届かず、村は疲弊していた。
村人たちは最初こそ警戒していたが、悠真が土を踏みしめ、同じ目線で話をしようとすると、徐々に心を開いてくれた。
「この道は雨が降るとすぐぬかるむんです。馬も通れなくて……」
「この井戸も、去年の地震で浅くなって……」
ひとつひとつの言葉が、悠真の胸に刺さった。
歴史書には載らない、名もなき人々の苦しみが、確かにここにあった。
(これが、戦の“裏側”なんだ。戦っているのは武将だけじゃない……)
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帰路の途中、悠真は小さな茶屋で休憩をとっていた。
ふと、隣に座った旅人風の男が声をかけてくる。
「おぬし、織田の人間か?」
「……ええ、まあ、そんなところです」
男は酒をすすりながら、ぽつりとつぶやいた。
「信長公は、ただの戦好きじゃねぇ。民のことを、ちゃんと見てる。……あれは、怖い男だが、信じてもいい男だ」
「……そう、思いますか?」
「ああ。だからこそ、おぬしも気ィつけな。信長公に認められたってことは……そのぶん、狙われるってことでもある」
その言葉に、悠真の背に冷たいものが走った。
「ま、ただの旅人の戯れ言さ」
そう言って男は立ち去った。だが、その目だけは、妙に鋭かった。
(……もしかして、今の人も……)
名前も、素性も分からない。だが、どこか“見透かされた”ような気がした。
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その夜、加賀美は薄暗い納屋で文をしたためていた。
「——神谷悠真、民に触れたか。ならば……感情の揺らぎは、次の一手に利用できる」
彼の策略は、戦場ではなく、“心の隙間”に向かっていた。




