第15話:織田の影、動く
——信じているのではない。ただ、似ているだけだ。あの頃の儂に。
信長の言葉が、どこか耳に残っていた。
神谷悠真は、静かな廊下を歩きながら、どこか心が落ち着かないままでいた。
先日の密告文の件は一応“誤解”として収束したものの、城内の空気がすっかり変わってしまったことに変わりはない。
すれ違う兵の目が冷たい。誰も口に出さないが、疑念は消えてなどいなかった。
(……あれが加賀美の仕掛けた罠なら、もう次が来る)
そう確信しながらも、どう対処すればいいか分からない。
この時代には、証拠も科学もない。ただ“噂”と“空気”が、すべてを決めてしまうのだ。
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一方、信長は自身の部屋で、静かに書状を書いていた。
筆を止め、蝋燭の炎を見つめながら呟く。
「——動け。“裏”がいる。書状が勝手に動くはずもなかろう」
そして、目を細める。
「名も顔も知れぬ影だ。探れ、何者が糸を引いているのか」
その言葉に応えるように、障子の陰からひとりの影が現れた。
浅黒い肌に鋭い目つきの男。忍のような装束を身にまとっている。
「はっ。名は偽りの可能性も。顔を変えておるやもしれませぬ」
「だからこそ探れ。名の真偽も、足取りも、すべてだ」
影は黙って頷き、音もなく姿を消した。
(何者かは知らぬが、儂の背に吹く風の変化を感じぬわけにはいかぬ)
信長の目が、炎の揺らぎに重なるように細められた。
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その頃——。
悠真は、庭の縁側でぼんやりと空を見上げていた。
日が落ち始めた空は、赤く染まりながらも、どこか不穏な気配を含んでいた。
「神谷様」
声をかけてきたのは、お市だった。
彼女は普段よりも少しだけ砕けた声で、そっと隣に腰を下ろした。
「……皆が、あなたを疑っているのは、分かってます。……でも、私は違いますから」
不意に言われたその言葉に、悠真は驚いて振り向いた。
「お市さん……どうして?」
「なんとなく、です。……理由なんて、うまく言えませんけど」
お市は小さく笑いながら、夕空を見つめた。
「でも、あなたが“悪いことをする人”には、見えません」
その言葉は、どんな証拠よりも、悠真の心に響いた。
(……信じてくれる人がいる。まだ……俺は、ここで戦える)
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一方そのころ、城外。
小さな農家の納屋に、複数の武装した男たちが集まっていた。
その中心に立つのは——加賀美。
「信長は動き始めたか。だが、遅い」
彼の手には、城内の配置図の一部が握られていた。
目を細め、口元をわずかに歪める。
「“歴史”を壊すには、ほんの小さな綻びで十分だ。……さて、第二の一手を打とう」




