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第11話:庭の語らい

庭の風は、どこか懐かしく感じられた。


 朝露に濡れた石畳、手入れされた植木、静かに流れる水音。

 戦の喧騒とはまるで違う、穏やかな空間がそこには広がっていた。


 神谷悠真は、決められた時間より少し早く庭に来ていた。

 背筋を伸ばし、緊張をほぐすように深く息を吐く。


(……落ち着け。相手は“お市”……だけど、今は一人の女の子だ)


 そう言い聞かせながらも、胸の鼓動は止まらない。


 すると、ふわりと風が通り抜けるように、彼女の気配が現れた。


「お待たせしました」


 浅葱色の着物に、涼しげな微笑み。

 お市は、すっと隣に腰を下ろした。


「いえ……僕も、今来たところです」


「ふふっ、嘘ですね。ずいぶん前から、佇んでおられましたよ?」


「えっ……見られてたんですか?」


「ええ。廊下の陰から、そっと」


 からかうような口調ではない。ただ、静かに事実を述べるその言い方に、悠真は少しだけ照れたように笑った。


「……落ち着かないの、ばれてましたね」


「でも、それも分かる気がします。私も……誰かと、こうして話すのは久しぶりですから」


 お市の横顔が、どこか遠くを見つめていた。

 戦の勝利とは裏腹に、その瞳はやはり少し寂しげに見えた。


「……怖くなかったんですか?」


 ふいに、悠真は聞いていた。

 自分でも、なぜその言葉が出たのか分からない。

 ただ、どうしても気になった。


「怖い?」


「戦のあと……みんな笑ってなかった。お市さんも、すごく静かで……」


 お市は少し目を伏せ、そして小さくうなずいた。


「……怖かった、です。兄上が無事に戻ってこなかったらと思うと、何も手につきませんでした」


「……そう、ですか」


「でも、それより……戻ってきた皆の目が、違って見えました。

 生きているのに、どこか遠くにいるような……そんな感じで」


 悠真は、言葉を失った。

 自分もきっと、同じような目をしていたのかもしれない。


「神谷様は……どうして、あの戦にいたのですか?」


「……それは……」


 正直に言えないことは多かった。

 未来から来たことも、歴史を守らねばならない使命も。

 けれど——


「僕なりに、やるべきことがあったんです。信長様が信じてくれたから……だから、逃げられなかった」


 お市は、それを否定も肯定もしなかった。

 ただ、静かにその言葉を受け止めるように頷いた。


「兄上が、あなたを“面白いやつ”と評していました。けれど……私には、少し違って見えます」


「え……?」


「あなたは、“哀しみを知っている人”。それでいて、それを人には見せない。だから……」


 お市は言葉を切り、少しだけ微笑んだ。


「……きっと、兄上と似ているのでしょうね。若い頃の兄上に」


 それは、どこか温かく、そして懐かしさすら感じさせる声だった。


 悠真は、言葉を返せなかった。

 けれど、その時間はなぜか心地よかった。


 風が、再び庭を抜けていく。


「また……お話、してくれますか?」


 お市のその問いに、悠真は自然と頷いていた。


「はい。こちらこそ、ぜひ」


 それは、戦国の城の片隅で交わされた、小さな約束。

 だが、それが後に大きな絆となっていくとは、このときまだ誰も知らなかった。

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