第69話 返したくない
骨が痛む。内臓も、筋肉も、魂さえも傷ついている。サタンの攻撃は一撃一撃、全て重く、いなすだけでも相当な力を必要とした。魔素を爆発させて距離を取ろうにも、彼女はすぐに追い討ちをかけてきて、じわりじわりと追い詰められていった。いや、元々追い詰められていたのが分かりやすくなっただけか。身体を動かすのがしんどく、思考するのが辛かった。そしてそれと同じくらい、この戦いが……。
ーー「楽しいなぁ!!サタン!!」
ーー「もっとワクワクさせてくれよ!こんなもんじゃないだろ!!」
おれとサタンの叫び声が、神域に響き渡った。サタンの身体からは雷が走り、地震が起こり、竜巻が生まれ、けれどそれ以上に、彼女の楽しそうな声が神域を震わせた。ここまで楽しいことがあったのか。命を天秤にかけていても、おれはこの瞬間がただただ楽しかった。
が、サタンはまだそうでもないらしい。楽しんではいるものの、もっと求めているようだ。……まったく、ワガママなヤツだよ。とは言えおれだけが楽しむのも面白くない。ならば驚愕させてやろう。何度も見てきたのだから、再現することなど造作もないのだ。
ーー「ブチ上がるもんを見せてやるよ……。」
ーー「?」
ーー「『召雷』!!」
ーー「なッ!?」
おれは刀の先をサタンに向け、大気中の魔素から作り出した雷をサタンに喰らわせた。サタンのものとは程遠いが、一つの技の威力としては申し分ない。大地も空気も削られ、サタンは瞬く間に土煙の中に引き摺り込まれた。
ーー「ゲホッ……ゲホッ……!は…ははッ!!ホントに最高だよ!一体いつから!?」
ーー「へへッ……。何回見たと思ってるんだ…?劣化コピーではあるが、自分の技はなかなかに効くだろ……?」
ーー「他の技はどれくらい使えるのかな?」
ーー「そりゃ答えられない質問だな。」
実際は、“召雷”の模倣に時間を使ったために他のサタンの技はまだ使えないが、おれの手数が増えている可能性をサタンが考慮するのならば、迂闊には近づけなくなるだろう。彼女から見て、おれの手札は剣術と体術、炎、念力、時間回帰、空間魔術に加えて今までに見たサタンの技、といったところだろうか。おれの解析を警戒するのなら、彼女は恐らく今まで使っていない技で応戦するだろう。そしてそれはきっと、彼女の使い慣れていない技だ。隙ができるならそこだ。ここぞというときに、回復しつつある神聖力とおれの全身全霊をぶち込むしかない。
ーー「……やっぱり天才って言うのかな……。2000年程度しか生きていないのに、こんなに厄介なんだから………。」
ーー「ッ!??」
サタンがそんなことを言ったかと思ったら、おれは、いや、神域は重い水に沈んでいた。単に質量が大きいとか、そういう重たさではなかった。サタンの強大な魔力が、この異常なまでの重さを作り出していたのだ。おれは身動きが取りづらく、それでいて恐らく、サタン自身には有利に働くのだろう。
ーー「『怒りの沈没』
ーー「『召海』」
ーー「………。」
神域が完全に水に満たされると、サタンは猛スピードで襲いかかってきた。呼吸はできない……が、それはそこまで問題じゃないな。魔族の生命力があれば息をせずともそれなりに活動はできる。問題なのはサタンの動きだ。海流を作って加速し、その海流はおれの動きを妨げるものになっている。水中では炎の斬撃も使えないし………。
ーー「そろそろ決めるよ……!!」
ーー「『召雷』!!」
ーー「がはッ……!!!」
サタンの雷が、全身を貫いた。海に流れた雷は、まさに回避不可能だった。白い槍を避けたとしても、水中にいる限り感電してしまう。それで身体が止まった瞬間に、次々と雷が撃ち込まれた。この技は使い慣れていない技なのではなく、彼女の奥の手だったのだ。隙を見つけるどころか、おれが隙だらけになってしまった。
ーー「…………!!」
ーー「まだ目が死なないか……。やっぱりにーさんは面白いや。」
完全に八方塞がり、どんな手を使ってももはや敵わないと思ったときだった。海水で満たされた遥か彼方、目視できぬほどに遠いところで、これまでは感じなかった違和感があった。この神域を成す結界が、弱っていたのだ。おれもサタンも暴れた上で、今度は大量の水で圧迫されたのだから、むしろ未だに崩壊していないのが奇跡なのだ。結界の内側、ましてや他人の結果の内側に新たに結界を張るというのは、家の中に家を建てるような、とても困難なことだ。実力に大きな差がない限りはまず不可能なのだ。だが現在、神域の結界は完璧な結界とは言えぬ状態になっている。つまり今なら、ほんの一瞬であれば確実に、おれに有利な結界を展開できる。おれは刀に圧縮した魔素を込め、サタンに投げ飛ばした。
ーー「『白穿』!!」
ーー「わッ!……?自棄になった……?なわけないか……。」
投げた刀はサタンの頬を掠めて遠くまで飛んでいった。折り返してくるわけでもなく、ただひたすらに直進していく様子を見て、サタンは刀を警戒していた。そしてそれに気を取られているうちに、おれは回復した神聖力と魔素を練り上げ、結界を張った。弱った結界の中とはいえ、流石にサタンに妨害をされてしまっては結界は張れない。つまり今投げた刀はただ注意を引くためのものだ。敢えて直撃しないように投げたのが功を奏したな。
ーー「ッ!?しまッ……!!」
ーー「油断したか……?これで最後にしよう…。」
神域を満たす海水、大地、光……肉体を除く結界内に入ったものは、全て魔素へと分解された。光も届かない、全てが闇に飲み込まれたこの結界内で、炎の花畑は一際目立って輝いていた。それ以外のものは存在しないのだから仕方ないか。
ーー「………しまったな。フツー大事な刀を囮に使う……?」
ーー「関係ねぇさ……。」
ーー「“禁式”『久遠の闇』!」
ーー「うあッ…………!!!」
見渡す限りに咲き乱れた魔素と神聖力で作られた炎の花畑は、目に映らないほどに無数に散り、斬撃となってサタンを襲った。結界内は異常なほどに魔素で埋め尽くされており、その魔素は炎の斬撃に共鳴して新たな斬撃となった。斬撃が斬撃を呼び、結界に充満した全ての魔素が無くなるまで、斬撃の嵐は続いた。とはいえ、斬撃は全てサタンに届くほどのものであったため、魔素が尽き、結界が崩壊するのは刹那の出来事であった。神域の結界は既に崩壊しており、獄境の淡く小さな光でさえも、闇から出てきたおれには眩しいものだった。全ての力を出し切り倒れそうになると、強烈な雷がおれの頬を掠めた。
ーー「ふふっ……ゲホッ…ゲホッ…!……ハァ……なんだ……トドメは…ゆっくり刺すタイプか……?趣味の悪ぃこって………。」
ーー「ハァ……ハァ…………。トドメは刺したかったんだけど………ボクが雷を撃つ前に……にーさんの身体強化…解けてたじゃんか………。引き分けだよ……。」
ーー「…………おれの負けでいいじゃねぇか……。」
ーー「にーさんは……力を使える時間が限られてるんだ………。よわよわになったにーさんを殺して……何が嬉しいよ……?一番楽しみにしてた戦いが………そんな決着じゃあんまりでしょ………。」
……サタンがこうすることは最初から分かっていた。……分かっていたから、おれは負けたくなかったんだ。おれが勝っていたら………。
ーー「……“借り”ができちまったじゃねぇかよ……。」
ーー「……別に借りなんて思わなくてもいいんだけど………まぁそう思うならいつか返してよ……。引き分けたなら……まだ戦いは終わらないんだしさ。」
サタンに負けたくはなかった。でも負けてしまったんだから仕方ない。それを引き分けと言って、おれを生かしてくれてるんだから……ちゃんと“借り”は返さなければならない。悔しそうにしているおれの心を理解していたサタンは、申し訳なさそうな顔をしながらおれの肩を支えて、“今日は休もう”と言った。早く回復して二戦目をやらなきゃいけないんだから、と。




