思いは口にして(3)
結局断りきれず、ミズリィはテリッツ殿下にデート、もとい、お茶のお誘いをした。
いつものお茶会にちゃんと参加して、勇気を振り絞って言葉にすると、テリッツは少し驚いたようだったが、話を聞いてくださってそのうち笑顔になった。
「つまり、オーガスト公子の問題行動に対抗するために、私とミズリィがかのティーサロンでお茶をしてほしいと」
「ご無礼を言いますわ。でも、これが一番……いいと……」
「ええ、構いませんよ」
「えっ」
驚いた。
断られることも考えていたので。
皇子にお願いなんて失礼ではないのか?しかも、純粋な気持ちで誘ったわけではない。イワンなどは、その気もないのに誘うのが失礼であって、理由もちゃんと言えば、殿下なら大丈夫だということだったけれど。
たしかに、目の前のテリッツは機嫌が悪くなったようには見えない……彼が機嫌を悪くしたのはミズリィの最期のときだけのような気もする。
「私も気になっていた場所ですし、またあのオーガスト公子の問題が大変なことになる前に、相談してくださってむしろありがたいです。ミズリィのお誘いという、初めてのことですし」
「……初めてでしたかしら」
「ええ、私が皇子であるため、気を使ってくださっていたのでしょう?」
「……」
本当とも違うとも言えなくて、ミズリィは黙った。
……誘う、なんてことを、考えたことがなかったのだ。いつも、ミズリィが望むより先に、テリッツはいろいろなことをしてくださった。だからだろうか。
テリッツは微笑んで、
「では、次の休みには、そのサロンでお茶をしましょう。皇家の馬車でお迎えに上がります」
「いえ、そこまでしていただかなくても」
「馬車は必要かと」
にこっ、と人を安心させるような優しげな顔立ちの皇子が、ことさら笑う。
「私の仕事はともかく目立つことです。皇家の馬車が店の前に止まっているだけで、多くの目を集めますから」
「……そうなのですね」
そういう、まるでイワンやスミレが言うようなことをテリッツも口にするのだな、とぼんやりと思った。
「続けてサロンでお会いするのもいいかもしれませんね。私のお気に入りということになります」
「そうなのですか?」
「ええ、そして、皇子が気に入った場所を誰も悪いことには使えません」
「……ノプライアンの送り込んでくる人たちがいなくなると?」
「そのとおりです」
最近良く見る、どこか満足そうなテリッツの笑顔を見ながら、なるほど彼をお茶に誘うというのが一番いいというのは本当だったらしいと、ミズリィも納得した。
ミズリィも、緊張しっぱなしの皇宮のお茶会よりも、慣れた店のほうがいいかも知れない。
「お願いを聞いてくださって、ありがとうございます」
「これくらい、いつでもおっしゃってください」
楽しみですね、といつもより柔らかい彼の声が言った。
VIPルームだという個室に通され、席につく。
見慣れたオーナーがテリッツとミズリィに感謝の言葉を述べて、お茶を淹れて去っていく。
個室には二人きりになった。
いつもの部屋とは違い、大きな窓が取り付けられ、今日は天気も良くて眩しいくらいだ。
テーブルにはきれいなクロスがかかり、花が飾り付けられ、美しい菓子がきれいに並んでいる。
お茶の香りが鼻をくすぐった。
「……美味しい」
お茶を口にして、驚いたようにテリッツ。
「皇宮のメイドに負けていません」
「ええ、とても美味しいんですのよ」
なんだか少し自慢したいような気分になった。
「お菓子も美味しいですわ。こちらのパティシエはホテルアルテミスの元料理人だとかお聞きしました」
「おすすめはありますか?」
「えっと……」
たくさん並んでいて、どれも美味しいのだけれど。
「これかしら。クリームたっぷりで、とても好きですわ」
「なるほど……たしかに。上品な甘さが良いです。このお茶と良く合います」
ためらいなく口にして、テリッツも微笑む。
ほんとうに、このときだけを見れば、幸せなひとときだった。
『前』は、疑いもしなかった、婚約者との時間。
今は、何をしていても不安になる。
イワンは、テリッツもミズリィを嫌っていないだろうという。それを信じるのも難しくて、あれほど彼を慕っていた気持ちはどこへ行ったのだろうとミズリィは悩むばかりだ。
時間が経つと、この時代に戻ってきた時よりは苦痛ではなくなったけれど、まだテリッツへの複雑な気持ちは強いまま。
しだいに口数が少なくなり、そのうち無言でケーキを口に含むだけになる。
「――君は」
かち、と小さな音が聞こえて、ミズリィはいつの間にか下がっていた顔を上げた。
テリッツは優しく微笑んでいた。いつもの、よく見慣れた表情。
「変わりましたね」
「……そうですかしら」
前にも言われた気がする。
テリッツはすこし、眉尻を下げた。
「今日のこともですが、以前の君は、自分から誰かのために動こうとして……そのために手段を講じるということをしたことがなかったように思います」
「……その、誰かのために、というのは、以前のわたくしは、分からなかったのですわ」
前は、こんなことを言われて、馬鹿にされたと怒った気がする。
けれど、今なら意味がわかった。
「見えていなければ、分からなかったのですわ。皆様が本当は何を考えているのか……大丈夫と言われれば大丈夫なのだと、ただ笑っているのなら嬉しいのだと。なぜつらそうなのに大丈夫と言ったのか、ただ笑っているだけで何も言わないのか、その人のことを考えようともしなかったのですわ」
「……そうでしたか」
テリッツは静かに頷いた。
そうして、ミズリィは思い出す。
こんな、自分のことを彼から聞かれたことは『前』にはなかったのだ。
「……テリッツ様は、わたくしのことをどう思っていらっしゃるの」
そして、自分から彼のことを聞くのも。
テリッツは目を見開き、ミズリィをじっと見た。
「本当に、変わりましたね」
「そうかも、しれません」
「……とても、失礼なことを言うと思います」
「はい」
「以前は、君には少し失望していました」
かすかに苦い笑みを口の端に浮かべて、テリッツは言った。
やっぱり、よく思われていなかったようだ。
いつも当たるイワンの予想は、ここで外れた。
ミズリィも、あまりショックは受けなかった。それも、自分でびっくりしている。
テリッツは小さく息をつく。
「誤解をしてほしくないですが、好ましくないということではないです。あなたはいつも穏やかで、淑女の鏡でした。華やかで、美しくて……普通の貴族ならそれでいいでしょう。けれど、この国の、未来の皇后となる人間なら、話は変わります」
テリッツは、いつもあまり変わらない様子だ。
「ひとを率いて、治める立場です。その責任が、あなたには私と一緒に背負えるとは思えませんでした。力不足……というのでしょうか。そして、あなたは綺麗すぎた」
「きれい……とは?」
「先程ご自分で言ったように、表面上でしか物事を見ることができず、深く考えないというところです。人間や物事には裏表がある。それを、以前のあなたは知ろうともしなかった。
ですが同時に、美徳でもあります。そこまで純粋にいられる人間もそうはいません。ですから……期待はできませんが、皇后として座に就くくらいなら、強い魔術師で公爵令嬢のあなた以上にふさわしい女性もいないのは事実だったのです」
それは、どういうことだろうか。
ミズリィは必死に考えた。
「つまり……わたくしはテリッツ様にふさわしい人間ではないということですね」
「違います。あなたは何もしなくても、私の婚約者であることだけは揺るぎないのです」
「分かりませんわ!」
誰か、このテリッツの言葉とミズリィの気持ちを教えてほしい。
どうしても納得できない。理解ができない。
こんなに世界は複雑だなんて、知らなかった。
「……テリッツ様、わたくしのことが嫌いですか?愛していませんか?」
何をどうしても、答えはわかっている。
テリッツは、一度口を閉じて、
「恋愛的に、というなら、申し訳ありませんが……」
「――そうでしたのね」
全部、自分だけが勘違いをしていた。
彼と一緒にこの国で生きていくのだと、幸せになれるのだと。
テリッツがミズリィにしてくれたことはただ、婚約者の女性に必要な礼儀だけだった。
「ですが、何度も言うように、君は変わりました」
「……」
「今なら、本当の意味で君とのこれからを考えられます」
「……」
「今なら一緒に、この帝国を治めるものとして、」
「聞いてもよくわかりませんわ……」
テリッツが何を言いたいのか、わからないのが悲しい。
(スミレ……教えて)
時間を戻ってきた朝と、同じくらいに頭の中がぐちゃぐちゃだった。
久しぶりに、考えることをやめたいと思った。
こんなに難しいことをミズリィには考えられない。疲れた。
テリッツも困惑したようで、それきり無言だった。
輪舞曲から帰ってきたあとのことは、あまり覚えていない。
公爵邸の自分の部屋でずっとぼうっとしていたような気がする。メイドのフローレンスや、執事、妹のミルリィに何度か話しかけられた気がするけれど、どう返事をしたか忘れている。
時間は過ぎていく。
どうやら、丸一日、部屋に閉じこもっていたらしい。
ふと、眠っていたミズリィに、優しく触れる手があって、それで目が覚めた。
「お姉さま」
ミルリィの心配そうな目と声。
「……ミルリィ?」
「だいじょうぶですか?」
「……どうしたの」
「えっと、お姉さまのお友達がいらっしゃって」
「え……」
思わず、目を大きく開いた。
「お会いになられますか?」
「え、ええ。どなたかしら」
「メルクリニさまと、スミレ……さん?です」
「……今参りますわ。身支度をするからお待ちいただいて」
「はい!」
ぱっと笑顔になって部屋を出ていったミルリィに、入れ違いでフローレンスがやってきた。
「お嬢様!よかったです」
「その……心配かけたかしら」
「ええ!とても。ご友人の皆様がお待ちですから、皆でお手伝いさせていただきますね」
フローレンスと、他のメイドが何人もやってきて、あれよという間に支度が整った。みんな、口々に心配した、良かった、と言ってくれて、そういう振りだったとしても嬉しかった。
「ありがとう……」
「当然にございます。それでは」
メイドの年長のマダムが最後にアクセサリーをつけてくれて、それでなんとなく気分が落ち着いてきた。
メルクリニたちの待つ応接間に行くと、彼女たちはミズリィを見るとばっと立ち上がった。
「ミズリィ嬢!大丈夫か!?」
「学院をお休みになって、驚いてしまって……」
「あ、ああ、学院はそうね、休んだのかしら……?」
「ミズリィ……!」
「あの、大丈夫ですの。休んだら元気になりましたわ」
「……詳しくお聞かせください」
スミレがじっと目を見つめてくる。
その濃い茶色を見ていると、なんだか昨日の悲しみを思い出してしまう。
「聞いてほしいわ。わたくしは、やっぱり頭が悪いみたい」




