オデットの受難(3)
リックファー侯爵家の夜会で、アリッテル・イリス・ローディイース嬢が魔力を暴走させ、それをオデット・ハリセール嬢が鎮めた話は、瞬く間に社交界に広まった。
それまでは国教ではない宗教の宗家で、若いのに主要な司祭の役目を担うオデットは腫れ物のような扱いだったが、事件以降興味を持つ貴族が増えた。
それは、ハリセール家にとっては絶好の機会だった。
信者はともかく、帝国内での地位向上は父親の悲願でもあったらしい。オデットは神殿の代表として、あちこちに顔を出すようにと言われ、忙しくしていた。
だが、それを勘違いする貴族もいたという。
今のオデットの立場は、本来は昔に亡くなった実母のもので、規律上彼女が12歳になったときに、引き継いだ。
それとは別に、元々ロビー活動は、継母の夫人が担っていた。オデットよりは宗教の中での位は低いらしい。
その継母は、愛人をたくさん作っていた。
同時に、その愛人関係にある男性たちは、熱心な信者でもあった。
その継母を知っている一部の貴族は、オデットもそうなのだと。
学院に忍び込み、オデットを刺そうとした男は、最近熱心に寄進をする貴族だった。
ドミニク生徒会長は、話を聞いて眉をひそめた。
「……言いにくいことを、ありがとう。すみませんでした」
「いいえ、お騒がせしてしまい……しばらく、休学しようと考えておりますわ」
半分近く切り取られてしまった髪を簡単に結ったオデットは、少し疲れているように見えるけれど、平静だった。
「家のことで……ここまで騒ぎになるなんて」
「今回のことは、保安部の失態です。オデット嬢が気に病むことでは……」
呆然と、そのやり取りを、ミズリィは見ていた。
靄がかかったように、周りの色が薄い。耳も遠くなったみたいにふわふわと音が飛ぶ。
(……こんなこと、なかったはず)
前世には、オデットは変わらず家のことで忙しくしていたけれど、休学なんてことはせず、揃って卒業していたはずだ。
アリッテルの事件のせいで、こんなことになった。
その事件は、ミズリィがスミレと友達になり、エヴァーラをそうとは知らずに社交界から追い出した、そのせいで起こった。
(わたくしの、せい?)
前世と違う行動をして、スミレを巻き込み、オデットは危険な目にあった。
もしかしたら、友人をただただ危ない目に合わせるだけの、余計なことをしているのではないだろうか。
「――ミズリィ、様?」
ふわりと、目の前が陰る。
「え……?」
「どうされたんですか!? どこかお怪我でもされて!?」
ぼやけていた目の前が、急に晴れる。
それと同時に、目の下のあたりが冷たくなる。
「……スミレ?」
「どこか痛いところが?」
正面に立つのは、スミレだ。その間近にある顔が、ゆらゆらと揺れている。
「なんともないわ、何も……」
「いいえ、そんなに泣かれて、なにもないことはありませんでしょう!?」
「泣いて……?」
この冷たいものは涙だったのか。そういえば、顎の下まで冷たくなっている。
止めなければ。不審がられている。
けれど、どうしても冷たいものは止まってくれない。
「お怪我はないんですね?」
スミレの声は優しい。ミズリィがうなずくと、ほっとしたように肩を落とす。
「お話していただけませんか? なにか、悲しいことでもあったんですか」
「――いいえ、大丈夫よ」
「私が大丈夫じゃありません」
そっと手に触れるスミレの手は、少し冷たい。
「私は、ミズリィ様のお友達ですよね?」
「……ええ」
「さっきはすみませんでした。お気持ちを考えず……だから、償わせてください」
さっきとは、オデットのことを知らなかったミズリィが彼女たちを責めたことだろうか。
償いとは、何をしてくれるのだろうか。
この、苦しくて不安な気持ちを、取り除いてほしい。
「なんでも、言ってください。秘密がいいなら、一生秘密にします。約束します」
スミレは見たことがないくらい必死だった。ミズリィの手を握り、祈りを捧げるように掲げる。
「秘密……」
秘密なら――彼女を信じても良いのなら。
もし、裏切られたら、もう生きてはいけないだろう、きっと。
どうか、愚かなミズリィを助けてほしい。
「夢を、見るの」
気がつけば、控えの間にはスミレとふたりきりだった。
夢の話だと、スミレには言って。
とうとうすべて話してしまう。
いつかの未来、いつの間にかそばに友人はいなくなり、婚約者の第一皇子は裏切った。
死の瞬間まで、鮮明な記憶だった。
「……夢、なんですよね?」
「ええ、ですから」
「夢とおっしゃっていながら、ミズリィ様は断定口調でした」
「――……」
「夢だとは思っていらっしゃらないのですよね?」
スミレは、真面目な顔をしていた。
信じられないような話をしているのに、疑ってもいないし、笑ってもいない。
「どうして……信じてくださるの?」
「ミズリィ様はいつも真剣です」
スミレは少し微笑んだ。
「そして、強いお方だと思います。そんなミズリィ様があんなお顔で……泣いていらっしゃるのを見て、嘘だとは思えません」
「恥ずかしい……」
ずっと誰かに相談したかった。
けれど、それが信じてくれなかったり、もし最初から裏切るつもりでいたのなら、ミズリィをさっさと捨てて行くのではと。
思い悩むことは得意じゃない。どうすればいいのか、ひとつも思いつかず……オデットが危険な目にあって、それが自分のせいだとしたら。
限界だったのだ。
本当なら、思いとどまるべきだった。
また、誰かが傷つくのだろう。
「いいえ、私は嬉しかったです」
スミレは隣に座り、にこりと笑う。
外は夕焼けになって、真っ赤で、その色はミズリィに寒気を思い出させるけれど、スミレの髪の紫が濃くなった色を見ると、不安が和らぐ気がした。
「打ち明けてくださって。嘘とか、本当とかはどうでもいいんです。ミズリィ様が苦しんでいらっしゃるのを放ってはおけないんです」
「どうして……」
「いやですね、友達だからですよ」
意地の悪いような表情でスミレ。
明るい表情のようだけれど、どこか棘がある。
「最初はびっくりしましたよ。公爵令嬢が、こんな平民に話しかけてきて、プレゼントとか。どうかしてるって、思っちゃいました」
彼女の歪んだ唇から飛び出したのはいつもより、乱暴な口調だった。
「……え?」
「でも、本気で、私のことを思ってくださっているのがわかって。やり方はちょっとお貴族様で困った人だなって、思いましたけどね。けど、こんな人もいるんだって、驚きました」
「スミレ? あの?」
「だから、嬉しかったんです。私のためにエヴァーラに怒ってくださったり、友達だと言って一緒にいてくださることが」
今までになく、スミレは満面の笑みだった。
「こんなこと言ったって、イワン様には内緒ですよ? 怒られちゃいます」
こんな表情をするスミレは、想像もしたことがなかった。
いつも楚々として、少し臆病で、芯の強さはあったけれども押し付けたりしない。そんな子だと思っていたのに。
それは、本当の彼女ではないのかもしれない。
「大丈夫です。きっと、イワン様は味方です」
ようやく、いつものふわりとした表情になったスミレを眺めて、ミズリィはぼんやりとした。
「……ずっと、誰かに相談したかったの」
「はい」
「けれど、どうしても、裏切られたら、もしもっと酷い結末があったらと……わたくしは、考えることが苦手で」
「ええ、でも、もう大丈夫です。私が一緒に考えます」
手を握って、スミレは力強く頷いた。
「ミズリィ様をひとりで死なせません、絶対に」
「その、お願いがあるんですけれども」
ようやく心の整理がついたミズリィに、スミレはもじもじと最後に言った。
「こう、思い上がりだとか言われてしまいそうなんですが、けれど他に思いつかなくて……怒らないでくださいね?」
「何でも言ってくださってけっこうよ!」
スミレからのお願い!
コートも受け取らせるのに必死で、連れ回しているのにお茶代も気にする友達が、お願い。
もちろんミズリィは反射で頷いた。
「あの、今後のお話をしたくて……おうちに……行かせていただけたら」
「もちろんよ!?」
大歓迎である。
しかし、歓迎のパーティーをと思ったら、違います、と言われた。
「今後の、話し合いです! もう、恐れ多くて行けませんってまた言うところでした!」
「けれど、家族を紹介したいわ」
「……ご迷惑にならないか、それだけお聞きしたいのです。私、平民ですよ?由緒ある公爵様のご家族様にご不快になったら……」
「いいえ、わたくしがそんなことを思わせませんわ」
父はどう思うかわからないが、けれどスミレが悪い人間でないのはすぐにわかるはず。ミズリィが説得すれば、出入りくらいは許してくださるだろう。
妹のミルリィは、おそらく大丈夫だ。まだ世間知らずで、姉の友達だといえば素直に信じてくれるだろう。
実際、大事な友達なのだから。




