─前編─
当作品は高尾の八王子城跡に着想を得て作成しました。
気になる方はぜひ行ってみてください!
蝉の声が降り注ぐ昼下がりの森。その合間に水が岩の合間から落ち、滝壺に飲み込まれる音が聞こえる。普段大学のキャンパスで過ごしているからなのか緑は珍しくない。だが、水が流れる音は迫力があるし聞き入ってしまう。
「おーい、コウちゃん。準備できとるか?」
シャッター音の向こうから男の声がする。俺は急いで巻き上げレバーを親指で引きながら返事のかわりに彼の間抜けヅラをファインダーに収める。
「どうや、決まっとるか?」
彼はおちゃらけたように白い歯をむき出しにする。
「しょうもないことしてんと早く撮るよ、ノリポン」
彼の頭を叩きながら女がレンズの中に割り込む。丁度シャッターを切ったとこだったから彼の顔は盛大にブレていることだろう。
男の名前は安田憲正。戦国武将のような名前を付けてもらったというのに、こいつは四六時中しょうもないことしか考えていない。ゴーカートに乗りながら風を掴んでカップ数を言ったり、ドミノを猫が倒すまでどのくらい並べることができるか試してみたり、メントスコーラの噴き出す強さで台車が動くか実験したり。それらの奇行は動画投稿サイトに全て公開されているという徹底ぶりである。そんな愛すべき馬鹿を俺たちはノリポンと呼んでいる。
そんな彼はある日、夏らしいことをしたいといい始めた。彼にしては普通の欲求だと思い川に飛び込むのはどうかと提案してみたのだが、僅か一時間後に期待を裏切られるとは知る由もなかった。
「そういえばお前ら下に水着はいてきたか?」
飛び込むという話なのだから当然そのつもりだ。しかし、彼女は─永野夢子はあっけらかんとした表情でノリポンに言い放つ。
「なしてそんなことしないけんの」
「もしかして着てない?」
「動画撮るし、濡れたりするんやだもん」
「ノリわりぃな、ユメ」
「そんなん知らないよーだ」
ユメコはドライバー兼カメラマンだ。動画を撮っているのは彼女なので飛び込みに参加しないであろうことは予想できた話だが、彼はそこまで頭が回らなかったらしい。
「あー、クソ。東雲にも声かければ良かった。おい、コウちゃんは着とるよな?」
笑いをこらえて俺は防水設計のカメラを掲げながら応える。
「そりゃあこんなクソ暑い時期やからな。飛び込みながらでもカメラ撮れるで」
「ナイス!」
彼は親指を立てて笑う。「バカって高いとこ好きね」と聞こえた気がしたが、気にしない。
「えー、あーあー。準備よし。そろそろ撮るで」
俺とノリポンは岩肌を背景に並んでユメコの合図を待つ。録画ランプが灯り、彼女が中指を立てる。
「よお、みんな! 東京エイリアンのノリとぉ」
「コウです!」
いつもの出だしから撮影は始まった。今回の企画は先ほどから言っている通り川に飛び込むのだが、その場所が問題だった。その近辺は戦国時代に城があった場所で、敵対する大名に攻め込まれて城主を含めた家臣団の家族まで討死・自刃した歴史がある。そのおかげか、この城跡近辺は心霊スポット扱いされている。その中でも目の前の川は城主の正室から家臣の妻、城下の女子供に至るまで身を投げ、三日三晩川が赤く染まったという。その真偽は定かでないものの、壮絶な戦いがあったことからその説得力は確かなものがある。
「というわけでね、今回は暑くなってきた夏にぴったり、心霊スポットに飛び込んでくで!」
「物理的に飛び込むのかよ」
適当にツッコミとベタベタなポーズをとり、編集点を入れる。ユメコの「はいオッケ」の声でポーズを解く。
「よし、じゃあ飛び込む瞬間撮っといてくれや」
「動画でも撮るのにか?」
「別画角でもほしいんよ。だから俺が先な」
「飛び込んだ後のリアクションはちゃんと声張れよ。ちょっと深さあるようやし」
彼はいつものように「はいはい」と聞いているのかいないのかよくわからない反応を返す。シャツを脱ぎ捨て、海パン一丁の彼は以前より丸く見えた。
「お前太ったか?」
「は? んなことあらへんって。ちょっと横に長くなっただけやろ」
「それを太ったって言うんだよ、どアホ」
「こいつ痩せろって言うんに全然聞かんのよ」
いつものように三人でくだらない話をしながら動画を再開する。ノリポンは変にキメ顔でカメラの方を向きながら話す。
「ここから人が飛び降りたんやって! 全然高くないから大丈夫そうに思えるけどなあ」
「何か着込んで飛んだんじゃない?」
「服でそんなに重たなる? まあ飛び込んでいきますよっと」
彼は崖の端に立ち、腰を屈める。次の瞬間、地面から足が離れる。その躍動は半押しでフィルムに刻まれていく。水しぶきが散るその瞬間まで。──彼の巨体で大きい水柱が立つはずだった。
一瞬の沈黙があたりに流れる。俺とユメコは目の前で起こったことが飲み込めず視線の先の崖に限界まで近寄る。そこに馬鹿みたいに笑っているヤツがいるはずだった。
「おいおいノリポン。冗談はよせよ」
ヤツのいつもの冗談に違いなかった。いつもはバレバレな上に最高に面白い隠し芸をするというのに。今回に限っては巧妙であるが故に趣味が悪い。
「そんなことしてもおもんねーぞ」
崖の下を覗き込む。内側に隠れているのかとスマホのライトでも照らして確認する。しかし彼はいない。
「ねえ、ノリどこいったん? 消えたなんて言わんとね」
ユメコが不安気につぶやく。俺は力なく笑いかけるしかできない。彼女は泣きそうになりながらカメラを放り投げ、崖から飛び降りる。さも当然のように水しぶきも着水の音も聞こえなかった。地面に激突し、ボディとレンズにヒビが入ったカメラを見る。俺はふたりの向かった先に視線をやることなどできなかった。脳天気な笑い声も彼を罵倒する声も聞こえず、蝉の音が不気味に辺りを支配する。俺はたっぷり五分は思考停止し、ふたりの後を追いかけた。カメラは丁寧に崖の淵に置き、飛び降りる。水面は正面から見ると緑がより濃く見えた。
川に飛び込んだ先は川だった。当然のことかと思われるかもしれないが、そこはとても違和感のある場所だった。まず第一に夜のように暗い。一寸先が見えないわけでは無いが、薄ぼんやりとしか周囲の形が見えない。飛び込んだ時分は真昼を少し過ぎた頃だったはず。
「大丈夫か、ユメコ? どこにおるんや、ノリポン!」
先に飛び込んだはずの彼らに声をかけ、周囲を見渡す。しかし返事はなかった。そこには誰もいない。振り上げる足は水の抵抗を受けてか、異様に重い。ふたりがいることは確かなのだ。周囲を見渡してみた時、河原にぼんやりと祠が見えた。俺は手を振り、足を上げ、纏わりつく水を振り払うように走る。
「こんなことになるんだったらあいつを止めておくべきやった、チクショウ!」
まだ日が出ている昼の時間とはいえ、人が亡くなったらしい場所でふざけ半分で遊ぶことは良くない。常識的に考えれば誰でもわかることをその場のノリと勢いで見ないふりをした。歯を思い切り噛みしめる。
河原は永遠に思えるほど遠かった。祠に見えていたものがようやくはっきりする。石を積み上げただけのオブジェクトだ。身体を動かしている分マシだが、川の水は流氷のように冷たい。足先が痛くなっているため、河原で乾かさないと長く持たないだろう。急いで靴と靴下を脱ぎ、拭くものを探す。しかしポケットには財布と鍵しかない。仕方なくシャツを脱いで拭う。
少しの間休息をとったことで余裕が生まれ、俺は辺りを見渡す。河原は永遠に続くかのように広い。この世には二等分されたように流れる水と乾いた石の羅列しかないようだった。不意に脱ぎ捨てた靴が目につく。普通のスニーカーのはずだが、何かがおかしい。持ち上げて確かめてみる。ぼんやりとした輪郭だが、ソールが少しズレているようだった。川の中で何かに引っかかったのだろうか? 手触りも想像よりザラつきがある。
「ヂソ……タア」
ふと、男と女を半々の割合で混ぜた声がした。機械音声より聞き取りづらい声の主を振り返って確認すると、見上げるほどのヒトがいた。薄暗い空間に浮かび上がる彼の容貌には大きく赤く光る二つの目がアンバランスに付いている。彼は手が届く範囲まで近づいてきた。やにわに右手を振り上げる。その手には鈍く輝く棒が握られている。
「うわぁぁ、すすすすんません!」
風切り音とともに振り回されたそれは背中を丸めてかがめた俺の頭、ではなく傍にあった積み上げられた石に直撃し、木っ端微塵に吹き飛ばす。硬い物同士がぶつかり、時にひびが入るような音が幾重にも重なり、やがて水の流れとともに静けさが辺りを支配する。庇うように上げていた腕をおろし、彼に再び視線を戻す。赤い双眸とかち合う。長い腕が伸び、俺の胸ぐらを掴む。心臓が止まるかと思うほど冷たく、湿っている。次の瞬間身体が宙を飛び、背中から川に放り出される。痛みと服に染みこむ冷気でぼんやりとしていた頭が覚醒する。俺は慌てて起き上がり、川の上流目指して駆け出す。
どれだけの時間が過ぎたのかわからない。不意に足が重く感じた。今までよりスムーズに足を上げることができない。視線を下にすると何か白いヒラヒラしたものが足に絡まっている。それはかじかんだ手でもなんとか掴むことができた。引き上げると布切れとしっとりとした質感の何か。気味が悪く、反射的に投げてしまう。俺は手についた水をシャツで執拗に拭う。ひとしきり落ち着いて再び足を進める。
それからいくら時間が経ったのだろう。腕時計はピクリとも動いてない。ここに来たときに打ち付けて壊してしまったらしい。遠くに誰か立っている人を見つけた。
「おい、ユメコか? ノリポンか?」
疑いようなく二人だと思った。棒を持ったバカでかいヒトのことなど頭からすっぽり抜けていた。そのときはひとりでいることにとにかく耐えられなかった。幸いなことに走り寄った先にはふたりの男女がいた。
「おう、コウちゃん」
力なく笑いかける馬鹿と泣きそうな顔のユメコ。彼らとようやく合流できた。ただそれだけで安心する。
「このバカ! 心配したで」
今度のことは流石に堪えたらしい。軽く叩いた頭は下を向いたまま、笑う。
「マジでごめん。やっぱやってええことと、いけんことあるんやなあ。」
彼はしんみりとした口調で続ける。
「そんなことよりここから出ようぜ」
俺はそんな彼の肩を叩き、勇気づける。掌に冷たい水が張り付く。
「そうしたいけど、こいつ全然動かんのよ」
ユメコが困ったように身体を揺らす。なるほど、彼は彼女の肩に腕を回して支えてもらっているようだ。
「ちょっとね、寒いしお腹空いて動けんのよ」
彼は相変わらず微笑みを漏らしている。それはどこか引きつっているようにも感じた。
「ユメコ、俺が代わろう」
彼女の肩から腕を下ろしてやり、背中にノリポンを背負う。どこかで転んだのか、彼の全身は満遍なく濡れている。流れの中から引き上げるとその巨体を遺憾なく発揮し、俺は少しふらついた。
「大丈夫?」
「なんだよ、それじゃあ俺がデブみたいじゃねぇか」
だからそうだっってんだろ。重心を探りながら心のなかでツッコむ。もう一度背負い直すと、ふくらはぎから太腿あたりが異様に冷たいことに気付いた。ズボンか靴が濡れているのだろう。しかし、違和感が首筋を這い上がってくる。彼は飛び込んだとき裸足に海パンだったはずだ。足元に視線を下ろす。何かが俺の足全体にまとわりついている。白い布のような、しっとりとした何か。
突然耳をつんざく悲鳴が響き渡った。それと同時にユメコが走り出す。あまりの音に硬直し、体勢が崩れる。背中からは何かが滑り落ちた。流れる水の中に落ちたそれは力なく呻く。数メートル離れた先の彼女は幾度となく俺と半分水没した彼と川の下流に視線を巡らせ、もう一度叫ぶ。そして声をかける間もなく元来た方向へ走る。
「なあ、寒いし腹減ったんだけど。帰りに明治屋で一杯食おうや」
足元から声が聞こえ、ズボンの裾が引っ張られる。振り返ると彼は右手でズボンを掴み、こちらを見上げている。しかし目が見えていないのか視線が合わない。視線を少し上げると、奇妙な造形が目に飛び込んでくる。彼の足首まではしっかりとした固形だ。そのさき、踵らしきものからつま先まで引き伸ばされたものが水に漂っている。俺の足元まであるのだからノリポンの身長百六十七センチからおよそ十センチを引いた長さだ。先程拾い上げたゴム質の物体はこれがちぎれたものだろうか? 視界の端に動くものがある。ハッと周囲を見渡した。そこかしこに白くたなびくニンゲンだったものが見える。下半身が完全に力を失ったもの、下顎以降が漂うもの。上半身と下半身を分断するように溶けたものもいた。彼らは文字通り溶けていた。どういう原理かはわからないが、皮膚を残して川の流れに身を任せているらしい。俺は我に返るまでの数秒そこに立ち尽くしていた。そして気がつく。自分も裸足だということに。
数十分だろうか。俺は息が完全に切れるまでがむしゃらに走っていた。倒れ込む寸前で膝に手をつき、肩で息をする。遠くにヨロヨロと歩く誰かが見えた。息を整えながら近づく。その正体は予想通りというか、先に逃げていったユメコだった。彼女はココロここにあらずといった感じで歩いていた。
「ユメコ、大丈夫か!」
分かりきったことを口に出す。彼女は譫言のようにノリポンの名前を呼ぶ。
「ユメコ、お前に謝らんといかんことがある」
彼女の声が止まる。
「今回の企画立てたん俺や!」
深々と頭を下げる。
「たまには俺が企画しよう話になって、心霊スポット行こう言う話あいつに持ちかけたんや」
上げかけた頭に衝撃が走る。変な姿勢で受けたのでしりもちをつく。
「お前のせいで! お前のせいであいつ死んだとや! ふざけんな!」
胸倉を掴まれ、左頬を拳が何度も打つ。初めの方こそ勢いあった打撃も二回目以降は力なく肩を叩き、嗚咽を伴う。
「お前が死ねばよかったんや」
俺は右手で彼女の拳を受け止め、呟く。
「帰ろう。こんなところさっさとおさばらしようぜ」
力なく頷く彼女を背負い、川下に向かって歩みを進める。
「あのさ」
すすり泣く声が次第に止み、彼女が呟く。
「殴ってごめん」
「ええよ。ノリポン見殺ししたの俺やし」
「そんなことない。ウチも逃げ出したんに。コウちゃん責める資格ないわ」
「好きなんやろ? アイツのこと」
「え? あ、いや……そんな」
その言葉を聞いた途端、面白いように口どもった。しかし数秒後に
「うん」
とだけ返ってくる。
「ならしゃーなし。俺がお前の立場やってもそうする」
「え、アイツんこと好きなん?」
わざと聞こえるように小さな声で「ちょっとひくわー」と呟くユメコ。
「んなわけ無いやろ。勝手にそっち系にせんといてもらえる?」
「ごめんごめん」
彼女は笑いながら謝ってくる。
「よし、元気も出たことやし帰り道探そっか」
「オッケー! もう歩けるけん降りるわ」
肩を叩き、降ろすように促される。いつもより少し弱い肩への平手打ちに苦笑いで応えてやる。
長い道のりを努めて明るい声で歩いた。薄暗く、ぼんやりとした景色の中で正気を保つ方法はそれしかなかった。話もノリポンに直接関係ないものばかり。壊れたビデオカメラのこと、大学の単位のこと、ユメコが所属しているサークルのこと、俺の妹が大学に合格して四月から近くに住むこと。沈黙が幾度も流れたが、決してノリポンや動画のことには触れなかった。
会話のネタも付き始めた頃、オレンジ色の光が遠くに見えた。俺たちは顔を見合わせ、疲労感に抗って走り始めた。足がもつれて転びそうになる寸前にお互いの手を取り、夢中で走った。とにかく身体を動かしたことが功を奏したのか、凍えるような空気を吸っていた肺から白い吐息が湧き出てくる。そして、光の源がはっきりと見えるまで近づいた時。少し期待外れの光景に二人は足を止める。
そこにあったのは洞穴の入口だった。中から溢れる光は電球の類の一定したものではなく、焚き火のような揺らめきを伴っている。俺の脳裏に青白い巨大なヒトの影が横切る。川に放り出されたとき、地面からゆうに一メートルは浮いていた。
「行こう」
一歩踏み出したのは彼女の方だった。俺は足が竦んで動けない。中にいるのは本当に人間なのか?
「ほら、早く」
彼女に引っ張られる形で中に入る。洞の中は明るい。しかし、薄闇に慣れた目には却って眩しい。そこにいたのは、兜を脇におき、甲冑を纏ったひとりの女性だった。俺もユメコもあっと声を上げる。彼女は東雲によく似ていた。すっきりと通った高い鼻、少し上向いた目尻、深緑の瞳。唯一違うのは癖の強いウェーブのかかった髪が艷やかな黒ではなく、くすんだ金色を後ろで縛っていることだ。心なしか立ち居振る舞いも堂々としている。俺たちの闖入に驚く素振りも見せず、正座のまま静かに見返して来る。
「リアちゃん?」
ユメコが声をかける。彼女は頭を振る。
「妾が名乗るのは幾度となくあったが、呼びかけられたのは久々よ。だが、残念ながらそなたらの知り合いではない」
考えなくても当然の答えが返ってくる。東雲リアは今回の撮影には参加していないのだから。
「だ、だよね……失礼しました」
「よいよい。妾も久々の来客で浮かれておった。して、名は何と申す」
「アタシは永野ユメコで、彼は京極康生言います。よろしく」
俺はまだ相手の正体を掴めないでいた。俺たちは化かされているのではないか? あのヒトが川に漂う人間の皮を被って真似事をしているのではないか?
「どしたん、コウちゃん?」
武者は少し考え込んで立ち上がった。
「お主、妾を身の丈がやたら高いヤツの仲間だと勘違いしてはござらんか?」
「うっ……」
やはり知っているのだ。やおら彼女が立ち上がる。それだけのことに俺は気圧されるように半歩下がる。身長こそユメコよりも低いが、全身を覆う黒い具足と腰に佩いた二本の太刀が言い知れぬ威圧感を放つ。彼女は篭手を外し、太刀を抜く。ユメコが小さく悲鳴を上げ、壁を背負う。それはよく想像する日本刀と違い、十字架を思わせる直刀だった。その刃を握り込み、鞘走るように滑らせる。トロリとした液体が刃を湿らせ、床に滴り落ちる。透き通るような肌に痛々しく映える赤黒い様は白磁の花瓶に活けられた薔薇だ。
「妾の、イザベラ・デ・サントス=ホセ・セロリコに流れるこの血は父と母より受け継いだものだ。かような異形の者には一滴たりともくれてやるつもりはない」
彼女は胸元から布を取り出し、刀の血を拭う。
「どうしても信じられぬというならここから立ち去るがよい。出口はそなたの力で探すのだな」
俺は彼女に近寄り、左手をつかむ。
「何をする!」
「疑ってしまい、すみません。絆創膏くらい貼りますんで、出口を教えてくれませんか。ユメコ、消毒液持っとらん?」
バンソウコウ? と首を傾げていた彼女だったが、ユメコがポーチから消毒液を俺が財布から絆創膏を取り出し、手当する様子をジッと見つめていた。山城に登ると聞いていたので準備していたことが幸いした。
うっかりメイです。
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