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「お姉様には私の気持ちなんて分からないのよっ!」
ローズマリーは泣きながら行ってしまった。
たかが婚約者の王子を取られたぐらいで泣くことないのに。
そこまで魅力的に感じないのだけど。
私の警告を無視してまだユリアーデンにちょっかいをかけるのなら邪魔者として処理をしよう。
今なら誰も文句は言わないだろう。
◇◇◇
「ローズマリー・ヴァイオレット、貴様との婚約を破棄する」
私の警告後。ローズマリーも思うところがあったのかユリアーデンへのちょっかいを止めた。が、この馬鹿を止めることはできなかった。
彼はユリアーデンの腰を抱き、多くの生徒の注目を浴びる中庭でローズマリーを指さして宣言した。
ああ、なんと愚かな。
このバカ王子を処理してしまえば良かった。
「お前はユリアーデンに悪質な嫌がらせを行い、彼女を傷つけた。よってお前は王子である俺の婚約者に相応しくはない。お前との婚約を破棄し、俺はユリアーデンと新たに婚約を結ぶ」
「エインリッヒ様っ」
感激ですとばかりにユリアーデンはエインリッヒに抱き着く。彼女の豊満な胸を押し付けられ、エインリッヒはだらしなく鼻の下を伸ばしている。
「ローズマリー、お前は次期王子妃であるユリアーデンを害した罪として国外追放を言い渡す。即刻この国から立ち去るがいい」
「異議あり」
崩れるように地面に座りこみ、血の気の引いた顔でガタガタ震えるローズマリーが声を上げた私に縋るような目で見てきた。こんな目で見られたのは前世も含めて初めてだ。
私は暗殺者だったから私を見る者は怯えるか敵意を向けてきた。
だからとても奇妙な感覚ではあったが別にローズマリーがこの先どんな人生を送ろうがどうでもいいし、彼女を助ける為に彼女の前に立ったわけではない。
私はいつだって私の為にしか動かない。これもその為だ。
「ローズマリーを糾弾するのなら明確な証拠を提示してください。それと、この婚約は両家の話し合いにより決められたもの。陛下の許可が下りての婚約の為、破棄もまた陛下の許可が必要となります。よって殿下の一存で決められることではありません。また、そこの令嬢は子爵令嬢。仮にローズマリーが本当に彼女を虐めたとして、それは確かに淑女としてあるまじきことですが、上位の者が下位の者に手を出したところで厳罰に処すことは不可能です。理不尽に思われますが身分社会とはそういうものです。あなたが自らの権力を振りかざし、ローズマリーの尊厳を踏みにじり続けた過去に対してローズマリーが何も言えなかったように」
ローズマリーが虐めていたのは事実だ。けれどここで事実かどうかなど関係ない。明確な証拠がない限り、それはやっていないことと同じ。ならばこちらはやっていないと言い張ればいい。
そして“ローズマリーの尊厳を踏みにじり続けた”
これはエインリッヒの女遊びを指している。ローズマリーと婚約したにも関わらず彼は女遊びを止めることはしなかったしローズマリーを蔑ろにしたり自分の気分で振り回している節が多々あった。そこに関しては目撃者多数だ。
だからローズマリーが多くの男を侍らせていたのはそんなエインリッヒに対する彼女なりの抵抗。嫉妬をして欲しかった女心によるものだと私は周囲に思わせた。
実際はただ単にユリアーデンと同じでローズマリーも男好きだから侍らせていただけで真っ当な理由は存在しないだろうが心を目に見える形で表現することができない以上、そんな事実はすり替えてしまえば何の問題もなくなる。
「現段階で婚約破棄の手続きがされていない以上、殿下の婚約者はローズマリーであってユリアーデンではありません。また仮にユリアーデンとの婚約がなされたとして、ローズマリーがユリアーデンに淑女として相応しくない行動を取ったとしても殿下にこれを裁く権利はありません。それを裁くは王の役目。これは越権行為に当たります」
エインリッヒはユリアーデンを王子妃というが成人後、エインリッヒは王籍を抜かれて臣籍降下する。だからユリアーデンが王子妃でいられるのはせいぜい数年程度だ。そのことを二人とも分かっているのかな。
「衆人環視の中でこのような辱めを受けたことに対してと、また勝手な持論で一方的な婚約破棄を言い渡したことに対して我が公爵家はエインリッヒ殿下に慰謝料を請求致します」
「王家に金を要求するだと」
ああ、本当に馬鹿な男だ。誰も王家なんて言っていないだろう。
「私はエインリッヒ殿下、あなたに対してと言いました。王家とは言っていません」
「同じではないか」
「いいえ、同じではありません。王家の資産からではなくあなたもしくは保護者である側妃様の資産からになります。それにアストルト姓を名乗れない方に王家の資産を自由に扱うことはできませんわ。あなたはエヴァン殿下とは違うのですから」
「っ」
エインリッヒの顔が怒りで真っ赤に染まった。額の血管が今にも切れそうだ。どうやら彼の逆鱗に触れたようだ。思った通り扱いやすい男だ。さぁ、踊りなさい。
「無礼な。この女を不敬罪で即刻処刑しろ」
ああ、本当に愚かな男だ。
エインリッヒは護衛として一緒に学校に通っている同い年の生徒に命じた。彼は生徒であるが護衛でもあるので腰に剣を下げていた。
命じられた生徒はどうしていいか分からず視線を私とエインリッヒの間で彷徨わせていた。ここでは命令を拒否するのが正解だ。
エインリッヒはお気に召さないし、強い叱責を彼に浴びせるだろうが子供の癇癪に怯える必要はないはずだ。
彼に私を処刑させる権限はない。だから命令に従って私に剣先を向けた時点でその生徒も罪に問われる。
「何をしているっ!さっさと殺せ」
「し、しかし」
「もういいっ!この無能めが。貴様は解雇だ」
エインリッヒは生徒の腰に下げている剣を抜き取り私を殺そうと駆け寄る。
「お姉様っ」
慌てるローズマリー、周囲は阿鼻叫喚が飛び交う。意味が分からない。エインリッヒは王族の嗜みとして剣を習っているのだろう。彼の動きから多少は剣を扱えるのが分かる。
しかし、所詮は嗜み程度。実戦経験もない彼が剣を振り回したところで私には子供が棒切れを振り回しているようにしか見えない。
私は横に一歩動けばいい。彼が振り下ろした剣は何にも当たることなく宙を斬る。そのせいで彼の重心は前に傾いたので私は足を引っかける。
「ふべっ」
彼は無様に顔から地面に突っ込んだ。
「ふ、ふざけるなよ、どこまでも愚弄して」
「そこまでだ」
顔に土をつけたエインリッヒは上体を起こして再度私を殺そうとしたがエヴァンが連れて来た護衛が彼を地面に押さえつけた。
「ふべっ」
彼はまだ地面にこすりつけられて汚れていた顔を更に汚すことになった。
「きゃっ」
エヴァンが連れて来た護衛はユリアーデンも拘束する。
「エヴァンっ、貴様どういうつもりだぁっ。ユリアーデンに手を出すなど」
「このような茶番を起こした罪を双方に問う為だ。当然だろ。こんな女に踊らされるなどお前は本当に愚かだな」
芋虫のように地面に這いつくばるエインリッヒはエヴァンを睨みつけたがエヴァンは睨むことしかできないエインリッヒを鼻で笑った。
「令嬢の挑発に乗って抜剣するなど愚か者の証だろう」
そう。私は知っていた。彼がエヴァンに対して劣等感を抱いていることを。
彼は何をしても兄であるエヴァンに勝てなかった。加えてエヴァンは正妃の子。自分は側妃の子。たったそれだけのことで王になれない。
己を哀れみ、哀れむことに心地よさを感じた悲劇のヒーローモドキはやがて自然とエヴァンを憎むようになった。私はそこを利用してエインリッヒに剣を抜かせた。確実に王家の瑕疵を作る為に。
「このことは既に陛下に報告している。追って沙汰を待て。連れて行け」
二人は騎士に連れて行かれた。
エインリッヒは抵抗し続け、ユリアーデンは「私は関係ない」と叫び続けた。それが無意味だということにさっさと気づいて諦めればいいのに。